合戦東軍西軍どちら派 三成派(1050票)
家康派(535票)
戦国武将人気ランキング 1位 大谷吉継(176票)
2位 島津義弘(113票)
3位 真田幸村(102票)
4位 島左近(92票)
5位 小早川秀秋(82票)
ジャック・ザ・立派? さんからのご投稿(2002.12.18)

家康派 如水が、す・き・だ・か・ら・だーーーー!!徳川家やその他の東軍大名はどうにでもなれってんだー!!

黒田孝高 家康の天下より、彼の天下が見たかった。長政ー!!なぜ貴様は家康を左手で斬らんかったんじゃー!!ついでに言うと、東軍に味方してお家取り潰しになった諸君残念だったな。諸君の敵は三成ではなく、家康だったなー!!ふははははははは!!

御館様 さんからのご投稿(2002.12.16)

三成派 三成様は人と呼ぶに恥かしからぬ寛大な御方であらせられる。義に生き、義に死す。誠に天晴れな御方である。死すべき時は彼の如くありたいものである。太閤様を批判なされる御方もございますが、今も昔も庶民の人気一番星は、太閤様を置いて他にはございますまい。我らの希望の星は彼にござりましょう。

直江兼続 関ヶ原後も西軍の中心人物だから。

吉江 景資 さんからのご投稿(2002.12.16)

家康派 三成派の埋伏の毒だから。

小早川秀秋 こやつは、太閤様の一族でありながら、裏切ったろくでなしだから。上杉政虎様を見習わせたい。豊臣に栄光あれ!

佐平次 さんからのご投稿(2002.12.15)

三成派 やはり、正義でしょう、本当は三成の心情はどうだったのかわからないがなんとなく邪心はなかったと私はおもう。

真田昌幸 表裏卑怯者と言われているが戦国の世を巧みな戦術で切り抜けたから。さらに関が原の戦いで西軍に味方したのはぐぅっとくる。

直江状 さんからのご投稿(2002.12.15)

三成派 石田様の生きかたこそ、人としての手本である。その石田様に刃向かう家康は愚か者である。今の時代、石田様の生き方が必要である。

明石全登 決戦の声優が孫堅だから。

妖刀村正 さんからのご投稿(2002.12.15)

三成派 朝鮮出兵も終わり、世が平和になったと思った矢先に関ヶ原!!家康お前何考えてんだ!!貴様は私利私欲のため上杉閣下にいちゃもんをつけ、罪も無い石田殿を陥れ、民にさらなる疲弊を与えた。貴様は死罪にあたる!!貴様が”今”の礼儀知らずを生み出したに他ならない!!東軍に味方した忘恩の輩も当然死罪になるべきだ!!こんな不条理な戦で死んだ兵士や武将が哀れでならない・・・

島左近 島左近を初めとする西軍武将(上杉、直江、大谷、宇喜多、明石、戸田、平塚、、小西、真田親子、佐竹、立花)とにかく彼らが哀れでならない。家康の勝手極まりない暴挙の犠牲になり、死んだもの、領地を削減されたもの(毛利らを除く)達の気持ちは半端なものじゃないだろう。結城秀康や松平忠輝なども家康に迫害されつづけとにかく哀れだ。彼を美しく評価する人間の気が知れない・・・

ハッピィー さんからのご投稿(2002.12.15)

三成派 忠義心厚く、夢・理想を持って行動し、義に殉じ最後まで希望を捨てず生涯を閉じた。徳川時代にその人物像を歪められたが、島左近・蒲生郷舎等多数の有能な家臣が最後までついてきたぐらい魅力的な人物だったと思う。

宇喜多秀家 全力で戦い抜き、徳川三代まで長生きし、幕府に媚びなかった。

片岡源五衛門 さんからのご投稿(2002.12.14)

家康派 今日は(旧暦だが)赤穂浪士の吉良邸討ち入りから300周年の記念日! 徳川が政権を握ったからこそ、参勤交代も行われ、参勤交代があったればこそ、浅野たくみのかみ(アサタク)が松の廊下で吉良上野介(キラコー)に斬り付ける事態が生じ、浪士たちの討ち入りが行われたから。 要は私が忠臣蔵のファンだから。 それにしても、ここがいくら「関ヶ原オタク」のコーナーとは言え、日本人の心・忠臣蔵の300周年記念日に全然関心ないみたいですね・・・・。 いや、大いに結構!、「関ヶ原」だけに徹底的に集中してくだされ。  「忠臣蔵は、いつもお決まりのパターンだからつまんない。 もう飽きた。」という御批判、我々も謙虚に受け止めさせていただかねばなりません。 そろそろ、「敵役」の上野介を主人公に(当然、誕生・幼少時代から)した時代劇をやらないと、赤穂市民以外のすべての日本人から忠臣蔵は見捨てられるでしょう。 また、吉良側からすれば、「闇討ち同然のテロ」に立ち向かい、本来は全く罪のないはずの主君・上野介を最後まで命を賭けて守ろうとして凶刃に倒れた、清水一学・小林平八郎など吉良家家臣のひとり一人こそ、真の忠臣達であるにもかかわらず、悲運の彼らのことは、日本人のほとんどが見向きもしない・・・・・。 やはり、このままでは忠臣蔵もいけない! と危機感を覚える今日この頃です。

浅野幸長 アサタクの御先祖様だから。(戦国にはあまり詳しくないのですが、幸長の兄弟から続いているのが播州赤穂浅野家でしたっけ? だとすると、幸長は直接の御先祖様じゃないですね。でもそのお父さんの弾正長政は確実に御先祖様ですが、選択肢に浅野長政の名前がなかったので幸長を選ばさせて頂きました。 元禄忠臣蔵ファンのわたくしめが、100年さかのぼって、関ヶ原ファンのみなさまのコーナーに、ずうずうしくも勝手に「討ち入り」させて頂きましてホントに申し訳ございません。 300年記念の本日だけは、ひらに御容赦くださりませぇー。 でも、秀吉・家康時代の浅野家に関しては、少しだけエピソードを知っております。弾正長政が、無謀な朝鮮出兵を非難し、秀吉のことを「狐憑き」とののしったこと。それと、徳川時代になってから豊臣家の大阪城を久々に訪れた幸長が、城内の風紀の乱れた有様を見て慨嘆し、「治部少(石田三成・関ヶ原の西軍の大将)がいたら、大阪城もこんな有様にはなってなかっただろうなぁー・・・。」と、関ヶ原では敵だった(前田利家の死の直後、加藤清正たちと襲撃もした相手の)規律正しい三成のことをしのんだということですよね。

もっち- さんからのご投稿(2002.12.14)

家康派 狸でケチで地味だから勝ち残ったのです。匹夫には分かるまいが、単なる野心とか欲深ではこんな生き方は出来ませんよ。家康さんは将器の人だよね。

伊達政宗 伊達だから。そわそわしててキケンな人だから。徳川でなく豊臣の世であれば、この人ひと暴れしたんでね-の?(他にも野心家はウヨウヨしてるし、どっちにしろ豊臣じゃもたんベな。)

蜻蛉切 さんからのご投稿(2002.12.13)

家康派 ってゆーか、家康は好きじゃないけどー。本多忠勝大スキー!!!

本多忠勝 最高・最強・ナンバー1

hata さんからのご投稿(2002.12.12)

三成派 三成は秀吉の遺言を守り、秀頼を盛り立てようとした忠義ものだから。わずか佐和山数十万石の彼が関八州に250万石の憎き家康を除こうとした勇気ある武将だから。悔しいのは秀吉が一番頼みにしていた利家と家康なのに遺言をないがしろにし徳川が豊臣から簒奪したのは日本史の汚点である。もし利家が関ヶ原まで存命であって秀頼を西軍の旗頭にしていれば家康は謀反者だったはずだ。豊臣時代が長く続いていれば日本の近代化は欧米諸国と同時期で明治維新に無理に拡張政策をせずひいては第二次世界大戦の敗戦国にもならなかったはずだ。

真田幸村 関ヶ原の敗戦後、九度山に蟄居するも豊臣のため大阪の陣まで家康を追い詰めたから。

毛利輝モト冬樹 さんからのご投稿(2002.12.11)

三成派 西軍の武将たちの方が、東軍の武将たちよりもさわやかなイメージがあるではありませんか。

九鬼嘉隆 海賊の大将で、相当凄味がありそうです。どなたかが、信長の孫の秀信(元・三法師)を、関ヶ原関連のドラマで登場させるべし、とおっしゃられていましたが(私も賛成)、九鬼嘉隆も是非、登場させてほしい。  子供たちにも人気が出てヒーローになると思う。 伊勢の方でも戦っていたんだから。

サヨナラは12月のララバイ さんからのご投稿(2002.12.11)

三成派 東軍は「利」だが、西軍は「義」だから。

吉川広家 いまだに吉川晃司ファン(ふ、ふ、古いっ!)で彼の遠いご先祖様かもしれないから。 「笑っていいとも」のあのコーナーに晃司が出たとしてもタモリや爆問には「広家」という名前、ヒントなしでは出てこねえだろうなあ・・・。

近藤勇(トミーズ雅) さんからのご投稿(2002.12.11)

三成派 もしも三成方が勝っていたら日本は今どうなっていただろう?!といろいろ想像をめぐらすことができるじゃんか! 歴史はロマンですよ、ロ・マ・ン!!

島左近 私は博多っ子なのですが、関ヶ原から何年も経って、黒田家の家臣たちが「左近は凄かった、怖かったぁ〜!!」という内容の話をしたとのこと。「こ〜れぞま〜こ〜との黒田武士」でさえも身震いさせるほどのオトコはすごいんだろうな!

フィラデルフィアン さんからのご投稿(2002.12.10)

三成派 みつなりがかっていればtradeちゅうしんのmonetary economyが17th centuryにcompleteしていたようなきがします。いえやすがかってしまったのでagricultureちゅうしんのsocietyができてしまいこのことがにほんのはってんをおくらせてしまいましたね。いえやすはぐんじんとしてはexcellentでしたがstatesmanではありませんね。

島左近 みつなりがいえやすとたたかうことができたのはかれのgovernanceがあったからですね。

無心庵号深龍斎 さんからのご投稿(2002.12.10)

家康派 豊臣秀吉、前田利家亡き後、天下のための天下を治めるのに最も相応しい武将は、家康殿を措いて他はないのではないでしょうか。人望、実力において、彼を上回る人物はおらず、仮に三成殿が天下の権を握ったとしても、家康殿ほど早く、着実に天下泰平の世を実現することはできなかったでしょう。

榊原康政 貴殿は、秀忠公遅参の責任を取るかたちで、自ら水戸25万石を辞退し、旧領館林10万石に甘んじたそうですが、死に際して、何故家康公の見舞いの使者に対し、あのような態度を御取りになったのですか?辞退したこと自体を、後になってからでも評価してもらいたかったことが、存命中に叶わなかったからなのでしょうか?

胡麻色の髪の乙女 さんからのご投稿(2002.12.09)

三成派 小学低学年のときTBSの'81正月特番「関ヶ原」を見て以来、三成の方に同情しております。三成=加藤剛、家康=森繁久弥ほか豪華名優をずらりとそろえたドラマです。 まだ見たことがない若い人たちは、レンタルビデオで是非見て欲しいですね。「家康派」の人たちだって、脚色だとわかりつつも、三成に感情移入して思わず「徳光和夫さん状態」になる=号泣してしまうこと請け合いです。特に、古橋村の洞窟に三成を匿った与次郎大夫(今福将男)が、「わしの様な者に、『義』だなんて・・・・もったいない・・・」とすすり泣くシーンや、家康が最後に「これからは我が徳川家、三成のような家臣に恵まれればよいが・・・。  義・忠義の家臣にのう・・・。」と本多正信(三国連太郎)に語りかけるシーンなど。 TVで芸能人が、「どっちが早く涙を流すか」競争をしているのをみたことがありますが、今述べたシーン(他にも名シーンあると思う)を思い浮かべればその競争に絶対勝てるでしょう。

上杉景勝 同じくその「関ヶ原」で三沢慎吾という、あまり知名度のない役者さんが演じていたが、東軍が小山軍議後、西へ反転した情報を、直江兼継(細川俊之)からもたらされた時のやり取りが超かっこいい。 兼継:「(家康軍を)追って出とうはござりまするが、背後の伊達が!」     景勝:「ぬぬぅ・・・伊達かぁ・・!」の、「伊達かぁ・!」の部分は、超かっちょいい。 ちなみに、伊達政宗は登場しなかったのでちょっと残念。

小一郎秀長渕剛 さんからのご投稿(2002.12.09)

家康派 もうすぐ12/14だが、徳川の天下になったからこそ、オレの好きな「忠臣蔵」もあったから。 ただ、吉良上野介を主人公にしたドラマもあっていいと思う、いや、早急にドラマ化すべし。

吉川広家 勝敗のポイントは、やはりこの人。 南宮山部隊が家康本陣に突入していたら、秀秋も東軍を攻めていただろう。  「おおた」という人は三成をメチャクチャに酷評していて、徳川びいきのオレとしても思わず気分がわるくなった。 しかしこれは「おおた」サンが悪いのではなく、これまでの時代小説、時代劇ドラマ、歴史家たちが三成像をねじまげて描いてきたことが悪いのだと思う。 あれだけ「虎の威を借りて、秀吉在世中に敵という敵を作りまくった戦下手の横柄な官僚・三成」というイメージをメディアや本で洗脳されたら、誰だって「三成憎し」になってしまうし、おおた氏の言われる通り「関ヶ原は、三成の自己保身」という誤った結論に行き着いてしまうのは無理もなく、かく言うオレ自身も恥ずかしながら、そうだった。  もっと歴史を純粋に見よう! 「三成には人望がなかった。」という決まり文句はまさに結果論でしかない。人望もなく敵を作りまくった人間が、自分のせいで豊臣家中を真っ二つにしかねない、それによって主家を没落に追い込みかねない挙兵をするだろうか? 三成は「敗れた」こと、つまり結果ばかりによって、その人間性まで悪し様に言われているが、「敗れる」まえに、巨大な家康を向こうに回して、勇敢にも「挙兵し」ている事実が、ないがしろにされている。 三成はわが国の歴史の中でも稀有な英傑であることは誰の目にも明らかなはずである。三成を、現在の官僚になぞらえ、「無用の輩」とのたまうなど言語道断。 戦国武将の中で、現在の道徳のすたれた日本に喝を入れてくれるリーダー・総理大臣に最もふさわしいのは石田三成の他になし。 小泉さんより100倍イイと思う。 現官房長官の父親・福田赳夫が総理のとき、北朝鮮による拉致事件が集中したことが明らかになったが、この時、三成が総理だったら、日本人を1人たりとも誘拐されてしまうようなことは断固阻止していたと思う。

闘将大権現 さんからのご投稿(2002.12.09)

家康派 家康が勝ち、めぐりめぐって今の日本、そしてここに生きる自分自身が、現にあるから。

宮本武蔵 来年の大河ドラマの主人公。 関ヶ原のときはまだ16〜17歳だったと思うが、ホントに宇喜多軍の中にいたのだろうか?  それと、12/8付、おおたサンへ 私も家康を尊敬しておりますが、三成も立派だと思いますよ。 家康が戦国の世に終止符を打ち、太平の世を築いた日本史上最大の功労者であるにもかかわらず「陰険な狸爺」呼ばわりされ、大多数の日本人にいまいち評判が悪いのはなぜか・・・。 それは、太閤死後、互いに知恵を振り絞った凄まじい駆け引きの末、覇を賭けて争った相手・石田三成に対する日本人の評価があまりにも低すぎるという遺憾な現状があるからです。 日本史上最大の雌雄を賭けた決戦が、「キツネとタヌキの化かしあい」程度に矮小化されてはなりません。 三成が勇将であることは紛れもない事実。三成があたりまえに立派に評価されてこそ、家康も多くの日本人から正しい評価を受けると思うのですが・・・。

せっせ成政 さんからのご投稿(2002.12.09)

三成派 判官びいきというか、泣かせてくれるほうが好きだから。

織田秀信 これまで、関ヶ原を扱った時代劇はたくさんTVで放送されましたが、関ヶ原前哨戦の、東軍による岐阜城猛攻にさらされた、なんといっても総見公のお孫さんという結構重要な役どころのはずにもかかわらず、この人(当時ハタチくらいか?)は、まったく出てこない。  山崎合戦後の清洲会議で秀吉に抱えられていた幼児が、関ヶ原とその後をどう生きたか、今後の時代物ドラマで少しは扱ってもいいのでは?(金吾中納言とほぼ同い年くらいか?)

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