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三成派(1049票)
家康派(535票)
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1位 大谷吉継(175票)
2位 島津義弘(113票)
3位 真田幸村(102票)
4位 島左近(92票)
5位 小早川秀秋(82票)
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部長 さんからのご投稿(2012.04.23)
三成派
義に厚く、私財を投じてまで主家を守ろうと戦を起こした為。
大谷吉継
友の為に、勝算の低い戦に身を投じた為。
jawa さんからのご投稿(2012.04.22)
三成派
義戦を戦い抜いた。
宇喜多秀家
西軍最大兵力で奮闘。
内山誉弘 さんからのご投稿(2012.04.16)
三成派
石田三成は義貫いた所が好き。徳川家康は、やる事が最低!
松野重元
小早川秀秋をはじめ、重臣たちが、西軍を裏切る事があっても、この人は、強く批判した。自分は、呆れて小早川家を出奔した。
ろこた さんからのご投稿(2012.04.16)
三成派
生き様が素敵じゃないですか!!「大一大万大吉」この言葉に私は惹かれましたわ。
立花宗茂
関ヶ原の戦いの際、家康から東軍につくよう言われた際に言った「秀吉公の恩義を忘れて東軍側に付くのなら、命を絶った方が良い」
この言葉にはグッっとくるものを感じました。彼は戦上手だけではなく、常に温厚で誠実に人に接し、そして義理堅く正直な面はまさに、サムライです!!
城城マン さんからのご投稿(2012.04.15)
家康派
秀吉が最悪だから。
小早川秀秋
戦国最強 さんからのご投稿(2012.04.04)
家康派
家臣団の団結が強いから。
本多忠勝
落馬したが見事によけて九死に一生だったから。
ぱらぷる さんからのご投稿(2012.03.13)
三成派
義を持って戦おうとしたからで候。
大谷吉継
冷徹なまでに治部少の弱点がわかっていながら、「友情」で全て相殺しているから。
koto さんからのご投稿(2012.03.10)
家康派
愛知県育ちなので、ふるさとが三河の徳川家康さんの方がすき。三成さんは近江「滋賀県」生まれだし、斬首されちゃうし…うーん。
吉川広家
毛利輝元さん、「主君」が西軍の総大将になってしまったのに、毛利家のために家康さんと内通して、秀元さんを出陣せずにするなど、忠義心厚くて頭も良く、かっこいいからです。
cicciena さんからのご投稿(2012.03.05)
三成派
三成とゆう人間の生き様、信念、すべてにおいてかっこいいから!心底三成好きやけど、家康は嫌いじゃない。小早川は嫌いの部類にもいれたくないほどきもちがわるい!
島左近
彼と三成の義がだいぶ熱い。
クニ さんからのご投稿(2012.03.05)
三成派
勝利した徳川家によって不当に貶められた秀吉と三成。それでもなお輝きを放つ両者は、家康などとは比較にならない英雄だろう。「お家安泰」が目的の徳川家は、まるで北朝鮮のキム一族のようだ。
宇喜多秀家
ふうらいぼう さんからのご投稿(2012.03.04)
家康派
家康は、平安の世を望んでいたから。
本多忠勝
50回の戦いで傷を負わなかったから。
コウ さんからのご投稿(2012.02.21)
三成派
徳川が勝ってこそ今の時代があるわけだが、生き様かな。
大谷吉継
石田三成とくれば…島左近・直江兼次と悩みに悩んで大谷殿にしました。
幸村 さんからのご投稿(2012.02.01)
三成派
三成は戦上手だったから。
真田幸村
秀忠を合戦に遅らせたから。
三成様好きです さんからのご投稿(2012.02.01)
三成派
最後まで忠義を貫いた所が格好いいです。
島左近
とにかく最高!
世良田二郎三郎 さんからのご投稿(2012.01.27)
家康派
耐え難きを耐えたから。
本多忠勝
強そうだから。
梵天○ さんからのご投稿(2012.01.18)
三成派
狸(家康)が嫌いだから。三成もそんな好きじゃないけど、まだ良い。
伊達政宗
元々全武将の中で一番好き。三日月兜や黒漆塗り五枚胴具足がかっこいい。…と思う。でもやっぱり能力かな、謀略家で、一揆扇動してるし。藤次郎(本名・伊達藤次郎政宗)いいねやっぱ。山城大掾藤原国包見てみたい。米沢城…(泣)。
三六線人 さんからのご投稿(2012.01.10)
三成派
義を感じるから。
本多忠勝
強いし兜もかっこいいし、文句なし!!
六文銭 さんからのご投稿(2012.01.10)
三成派
信念が強いから。
真田幸村
強うござるので。
六文銭 さんからのご投稿(2012.01.10)
三成派
家康は幸村を倒したから。
井伊直政
赤備え
打倒家康 さんからのご投稿(2012.01.09)
三成派
現代では、江の影響もあり三成が悪く言われているが、実際、豊臣家に最期まで忠誠を誓ったのは、三成ぐらいである。確かに三成に、人情はなく嫌われるのは当然だが、小早川を断った東軍も東軍である。
小早川秀秋
最初は東軍に付こうと東軍のところに言ったが、東軍に断られ、仕方なく西軍に付いたが、その後、東軍の誘いで、寝返った筈だが東軍の誘いで寝返ったことしか現代につたわっていないから。