写真:林田公範
獅子ヶ城の周辺史跡を訪ねて
獅子ヶ城のアクセス・所在地
【監修者プロフィール】
岡 泰行 | 城郭カメラマン [プロフィール]
1996年よりWebサイト「お城めぐりFAN」を運営し、日本の城郭をめぐる旅をライフワークとする。長年にわたる豊富な経験と、城郭写真家としての専門的な視点から、当サイトの記事を監修。その写真と知見は、数々の書籍やメディアでも高く評価されている。
1996年よりWebサイト「お城めぐりFAN」を運営し、日本の城郭をめぐる旅をライフワークとする。長年にわたる豊富な経験と、城郭写真家としての専門的な視点から、当サイトの記事を監修。その写真と知見は、数々の書籍やメディアでも高く評価されている。
獅子ヶ城:城ファンたちの記憶
実際に獅子ヶ城を訪れた城ファンの皆さまが綴る、印象に残った景色、人との出会い、歴史メモ、旅のハプニングなど、心に残る旅の記憶を共有しています(全5件)。

獅子城は、松浦党の祖源久の孫である披が治承から文治年間(1177〜1189)頃に築城したと伝えられている。その後、披の子の時代になって平戸に移転したために、獅子城は廃城となっていたが、上松浦地方を波多氏が支配するようになり、室町時代末になると、佐賀地方に勢力を持つ竜造寺氏の脅威が増すにつれ、上松浦の防備の最前線として獅子城の重要性が再び 認識されるようになった。そこで、波多氏をはじめ松浦党一統は、勇将の誉れ高い大川野日在城々主鶴田兵部大輔直の弟鶴田兵庫介前(後に越前守)を任じ、永年廃城となっていた披時代の旧城を修理して護りに就かせた。
( 林田公範)
北部九州を中心に、いくつもの城跡を見てきたが、これほどまでに興奮させられる城跡はそうない。無名の城でも、実際に足を運ぶと唸らせられるものも時としてある。超オススメ!!
( 林田公範)
石垣がめぐらせてある本丸や曲輪、二つの虎口、櫓台、片方に大岩を利用した堀切もすばらしい。出丸には、二本の竪堀と大堀切も残されている。
( 林田公範)
見所としては、井戸曲輪に見られる一枚岩の上に残っている建築遺構の溝や柱穴、さらに岩盤を刳り貫いた深い井戸もそのままある。
( 林田公範)
目もくらむほど高い断崖絶壁の上にある中世山城で、きわめて良い状態のまま残されているが、それだけに危険も多い城跡だといえる。一歩足を踏み外すと間違いなく命はないような危険個所が随所にあるので心して攻めるべし!
( 林田公範)