写真:林田公範
岸岳城、肥前名護屋、唐津城も車で30分圏内。 [林田公範 (2000.01.18)]
住所:佐賀県唐津市厳木町 [MAP] 県別一覧[佐賀県]
[鉄道] JR唐津線、厳木駅下車、徒歩50分で登山口。 [自動車] 長崎自動車道多久ICで降り、国道203号を唐津方面へ進み厳木町へ。無料駐車場有り。 [林田公範 (2000.01.18)]
目もくらむほど高い断崖絶壁の上にある中世山城で、きわめて良い状態のまま残されているが、それだけに危険も多い城跡だといえる。一歩足を踏み外すと間違いなく命はないような危険個所が随所にあるので心して攻めるべし!
( 林田公範)さんより
見所としては、井戸曲輪に見られる一枚岩の上に残っている建築遺構の溝や柱穴、さらに岩盤を刳り貫いた深い井戸もそのままある。
石垣がめぐらせてある本丸や曲輪、二つの虎口、櫓台、片方に大岩を利用した堀切もすばらしい。出丸には、二本の竪堀と大堀切も残されている。
北部九州を中心に、いくつもの城跡を見てきたが、これほどまでに興奮させられる城跡はそうない。無名の城でも、実際に足を運ぶと唸らせられるものも時としてある。超オススメ!!
獅子城は、松浦党の祖源久の孫である披が治承から文治年間(1177〜1189)頃に築城したと伝えられている。その後、披の子の時代になって平戸に移転したために、獅子城は廃城となっていたが、上松浦地方を波多氏が支配するようになり、室町時代末になると、佐賀地方に勢力を持つ竜造寺氏の脅威が増すにつれ、上松浦の防備の最前線として獅子城の重要性が再び 認識されるようになった。そこで、波多氏をはじめ松浦党一統は、勇将の誉れ高い大川野日在城々主鶴田兵部大輔直の弟鶴田兵庫介前(後に越前守)を任じ、永年廃城となっていた披時代の旧城を修理して護りに就かせた。
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しまなみ海道に浮かぶ能島城。能島村上氏(村上水軍)の拠点だった城跡で、島全体が城だった。周囲の海は潮流が激しく、流れを知らなければ近寄ることもできない。岸には武者走りが掘られ、岩礁ピットと呼ばれる柱穴が残る。
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北条氏の本拠、巨大要塞、小田原城。相模国の西端にあり、南は相模湾、西は箱根連山を隔てて駿河国と接している。海と山を天然の…
目もくらむほど高い断崖絶壁の上にある中世山城で、きわめて良い状態のまま残されているが、それだけに危険も多い城跡だといえる。一歩足を踏み外すと間違いなく命はないような危険個所が随所にあるので心して攻めるべし!
( 林田公範)さんより
見所としては、井戸曲輪に見られる一枚岩の上に残っている建築遺構の溝や柱穴、さらに岩盤を刳り貫いた深い井戸もそのままある。
( 林田公範)さんより
石垣がめぐらせてある本丸や曲輪、二つの虎口、櫓台、片方に大岩を利用した堀切もすばらしい。出丸には、二本の竪堀と大堀切も残されている。
( 林田公範)さんより
北部九州を中心に、いくつもの城跡を見てきたが、これほどまでに興奮させられる城跡はそうない。無名の城でも、実際に足を運ぶと唸らせられるものも時としてある。超オススメ!!
( 林田公範)さんより
獅子城は、松浦党の祖源久の孫である披が治承から文治年間(1177〜1189)頃に築城したと伝えられている。その後、披の子の時代になって平戸に移転したために、獅子城は廃城となっていたが、上松浦地方を波多氏が支配するようになり、室町時代末になると、佐賀地方に勢力を持つ竜造寺氏の脅威が増すにつれ、上松浦の防備の最前線として獅子城の重要性が再び 認識されるようになった。そこで、波多氏をはじめ松浦党一統は、勇将の誉れ高い大川野日在城々主鶴田兵部大輔直の弟鶴田兵庫介前(後に越前守)を任じ、永年廃城となっていた披時代の旧城を修理して護りに就かせた。
( 林田公範)さんより