三成派(1050票) 家康派(535票) |
1位 大谷吉継(176票) 2位 島津義弘(113票) 3位 真田幸村(102票) 4位 島左近(92票) 5位 小早川秀秋(82票) |
家康派 もうすぐ12/14だが、徳川の天下になったからこそ、オレの好きな「忠臣蔵」もあったから。 ただ、吉良上野介を主人公にしたドラマもあっていいと思う、いや、早急にドラマ化すべし。
吉川広家 勝敗のポイントは、やはりこの人。 南宮山部隊が家康本陣に突入していたら、秀秋も東軍を攻めていただろう。 「おおた」という人は三成をメチャクチャに酷評していて、徳川びいきのオレとしても思わず気分がわるくなった。 しかしこれは「おおた」サンが悪いのではなく、これまでの時代小説、時代劇ドラマ、歴史家たちが三成像をねじまげて描いてきたことが悪いのだと思う。 あれだけ「虎の威を借りて、秀吉在世中に敵という敵を作りまくった戦下手の横柄な官僚・三成」というイメージをメディアや本で洗脳されたら、誰だって「三成憎し」になってしまうし、おおた氏の言われる通り「関ヶ原は、三成の自己保身」という誤った結論に行き着いてしまうのは無理もなく、かく言うオレ自身も恥ずかしながら、そうだった。 もっと歴史を純粋に見よう! 「三成には人望がなかった。」という決まり文句はまさに結果論でしかない。人望もなく敵を作りまくった人間が、自分のせいで豊臣家中を真っ二つにしかねない、それによって主家を没落に追い込みかねない挙兵をするだろうか? 三成は「敗れた」こと、つまり結果ばかりによって、その人間性まで悪し様に言われているが、「敗れる」まえに、巨大な家康を向こうに回して、勇敢にも「挙兵し」ている事実が、ないがしろにされている。 三成はわが国の歴史の中でも稀有な英傑であることは誰の目にも明らかなはずである。三成を、現在の官僚になぞらえ、「無用の輩」とのたまうなど言語道断。 戦国武将の中で、現在の道徳のすたれた日本に喝を入れてくれるリーダー・総理大臣に最もふさわしいのは石田三成の他になし。 小泉さんより100倍イイと思う。 現官房長官の父親・福田赳夫が総理のとき、北朝鮮による拉致事件が集中したことが明らかになったが、この時、三成が総理だったら、日本人を1人たりとも誘拐されてしまうようなことは断固阻止していたと思う。
家康派 家康が勝ち、めぐりめぐって今の日本、そしてここに生きる自分自身が、現にあるから。
宮本武蔵 来年の大河ドラマの主人公。 関ヶ原のときはまだ16〜17歳だったと思うが、ホントに宇喜多軍の中にいたのだろうか? それと、12/8付、おおたサンへ 私も家康を尊敬しておりますが、三成も立派だと思いますよ。 家康が戦国の世に終止符を打ち、太平の世を築いた日本史上最大の功労者であるにもかかわらず「陰険な狸爺」呼ばわりされ、大多数の日本人にいまいち評判が悪いのはなぜか・・・。 それは、太閤死後、互いに知恵を振り絞った凄まじい駆け引きの末、覇を賭けて争った相手・石田三成に対する日本人の評価があまりにも低すぎるという遺憾な現状があるからです。 日本史上最大の雌雄を賭けた決戦が、「キツネとタヌキの化かしあい」程度に矮小化されてはなりません。 三成が勇将であることは紛れもない事実。三成があたりまえに立派に評価されてこそ、家康も多くの日本人から正しい評価を受けると思うのですが・・・。
家康派 覇王の家
鳥居元忠 家康の人質時代からの友であり真の忠臣。三成の軽挙の為により命を落とした。(大谷吉継なども三成の犠牲者と言えようが、こちらは愚将に従っただけにさらに憐れであり、西軍にありながら同情する。)
家康派 人間的には治部殿の方が好きなのですが、(怜悧な文治派官僚・・というイメージは江戸期にかなり誇張されてつくられています。治部殿こそ真の意味で猛将ではあるみゃーかのう!)もしも治部殿が勝っていたらば現在の彦根・長浜の琵琶湖東岸に、首都にはならずとも最低、人口150万を超える大都市ができていたと存じまする。 また、湖東のみならず、琵琶湖の南岸、西岸あたりにも70〜80万人口クラスの都市ができておったと存ずる。 さすれば、もうこの平成時代は無論のこと、昭和40〜50年頃の時点で、「近畿の水がめ」たる日本一の湖・琵琶湖が工業・生活用水などの大規模たる汚染により、死滅しておったと存じたてまつりまする。 したがって、環境問題の点で、治部殿が悲運、やむをえなかったのかもしれませぬ。(安土、坂本に城を構えた信長、光秀の非業の死も無関係とは思えませぬ。・・・滋賀県の人、ごめんなさいね。)
なし なし
家康派 武田と干戈を交え、信長と共に戦い、秀吉ですらその勢力を削ぐ事が出来なかった。歴戦の勇者家康に、三成ごときが戦仕掛ける事自体笑止である。
黒田長政 時代の趨勢を見極めるに長けている。如水の野心はやがて身を滅ぼしたであろう。
家康派 我慢強い総大将軍だから
伊達政宗 独眼竜というのがかっこいい!?が大名を裏切ったとうのを聞いたとき少し虚しかったがっ!!騎馬鉄砲隊も結構いけるんじゃないかなぁと思ったから
家康派 老いてもなお天下人への夢を捨てなかった心意気がよい。家臣たちが天下人になるよう仕向けたという話もあるが…。高齢にして子供も生まれたしさぞかしタフなご老人であったのだろう。
伊達政宗 正宗公の生き様は小学生の頃の心の支えでしたゆえ。