合戦東軍西軍どちら派 三成派(1050票)
家康派(535票)
戦国武将人気ランキング 1位 大谷吉継(176票)
2位 島津義弘(113票)
3位 真田幸村(102票)
4位 島左近(92票)
5位 小早川秀秋(82票)
浩毅 さんからのご投稿(2003.05.18)

三成派 三成派に真田昌幸・幸村がいたから。

大谷吉継 真田幸村の妻の父だったから

上杉鷹山&石田崋山 さんからのご投稿(2003.05.16)

三成派 彼には偉大な政治手腕と、天下を取れる器量があるから。彼がもし江戸時代まで生きて藩主だったら、鷹山と並ぶ偉大な藩主になっていたことだろう。

秋月種長 鷹山の先祖!

二郎三郎、俊 さんからのご投稿(2003.05.15)

三成派 家康も好きだが、三成は義を信じて戦ったから三成がいい。

島左近 ぼくの予想だと関ヶ原に誘い込む作戦は、左近が立てたものだとおもうから、左近が気になる。

D-X ver狸キラー さんからのご投稿(2003.05.11)

三成派 狸の約260年の独裁政治で百姓が苦しみ、自分は“神君”とかほざいて好き放題やったのが許せん!反対に三成は百姓に仁愛の心があり、自分が贅沢するなんてこともなく、百姓が喜んで暮らせる世の中になったことだろう。

伊達政宗 狸の天下を邪魔すると思って期待してたのに、何もせず指をくわえているとは使えん奴だ!如水もやるなら徹底的に最後まで老賊達と戦えばよかったのに、老賊に媚びるとは使えん奴だ!

上野文也 さんからのご投稿(2003.05.10)

三成派 家康と違って、自分の野望のためではなく、豊臣家を守るために家康と戦ったから。

大谷吉継 親友の石田三成のために、病をおして出陣し華々しく散ったので。西軍の裏切りが相次ぐ中で病に冒されながらも孤独に戦いつずけ死んだから。

信繁 さんからのご投稿(2003.05.08)

三成派 豊臣秀吉のために天下を取ろうとする徳川と戦ったから。しかも負けるかもしれないのに。

真田昌幸 徳川の大軍を追い払ったから

めくらまし さんからのご投稿(2003.05.08)

三成派 気の毒だから。秀吉の引き立てでたった一代でのし上がって、他の大名は殆ど誰もついてきてくれなかっただけ。物凄い勇気を持った人なのに、相手が家康だったばかりに後世のメディアにまで『無能』呼ばわり。もっと実像をよく見るべき。

直江兼続 家康にあれだけ言い切った、日本ただ1人の男。

いとけん さんからのご投稿(2003.05.07)

三成派 家康は裏切り者!絶対西軍三成の方が提案ok

長宗我部盛親 四国をいっ気に統一して土佐だけでもがんばって三成につくのはすごい

備前中納言 さんからのご投稿(2003.05.07)

三成派 秀吉の遺託を守り小大名ながら純粋に豊家を守ろうとした正義感に胸打たれる。三成や秀家・幸村の存在無く豊家が滅んでいたなら日本の戦国期は薄っぺらいものになっていたと思う。

宇喜多秀家 肖像画がかっこいい。

後鳥羽一郎 さんからのご投稿(2003.05.05)

三成派 義が不義に敗れた・・・・日本史上、関ヶ原ほど我々が納得できない不条理な戦いはない!内府、金吾秀秋、それと「三成憎し」などという訳のわからん勝手な口実を作って、実のところは自己保身の為に徳川に一味した豊臣恩顧の福島・黒田・藤堂など・・・・絶対許さんからの!!

前田利長 母のおまつ(芳春院)を徳川の奸計でもって人質にとられてしまったが、なんとか阻止できなかったものか・・・・・・?・・・。

Gets!!・・・and Turn! さんからのご投稿(2003.05.04)

三成派 (某球団終身名誉監督風に)ん〜〜〜、まあ、なんと申しましょうかあ〜〜、いわゆるひとつの我々日本人独特の判官びいきですね、ええ〜〜。豊臣の天下を無理矢理スチール・・・、ええ・・スチールすなわち泥棒しようとした家康という人にですねえ、真っ向ストレート勝負で立ち向かった三成というブレイブな、すなわち勇気ある男の中の男、マン・オブ・ザ・マンの三成にはですねえ、ええ〜いわゆる心の底から感動すると申しましょうか、胸にグッと込み上げてくるものがありますね、えええ〜〜〜・・・えっへっへっへ!!

加藤清正 ええ〜〜〜、いわゆるひとつのタイガーキラーと申しましょうか、いわゆる虎退治で有名なこの清正という人は、福島正則という人もそうですけど、ええ〜三成とは、同じ釜のライス、飯を食った仲の元フレンドでありながら、天下スチーラーの家康に味方したと、そういうことですよね、ええ〜〜・・・。なんと申しましょうか、んんん〜〜、サッドな寂しいことですよね、ええ〜〜〜・・・・(しんみり)清正のメイクしたキャッスル、いわゆるお城はワンダフルと申しましょうか、見事ですけどね、ええ〜、えっへっへっへ!!

マサチュー摂津守行長(工科大生) さんからのご投稿(2003.05.02)

三成派 治部少殿始め西軍諸将は、敗れたりとはいえ、大敵家康を一時は苦しめた(家康も親指の爪を噛みまくっていた!)こと、感服つかまつる!

小西行長 この「気になる武将」欄で、これまでの皆さんの御意見を見た範囲では小西摂津守行長の名前があまり挙がっていないところが逆に気になる。歴史本などでも、西軍で実際に戦っていた四将のうち石田、宇喜多、大谷の各隊の奮戦ぶりを伝えるものは多いが、あとの一隊・小西隊の活躍を伝えるものがあまりに少ないと思うのは私だけだろうか。かの朝鮮遠征では、豪将・加藤清正と激しい先陣争いを繰り広げた行長・・関ヶ原に於いても小早川金吾中納言の裏切り直前までは獅子奮迅の働きで攻め来る徳川方を押し返していたと思われる猛将・小摂(こせつ)殿である。(元・薬屋のせがれ、又、敬虔なキリシタン大名という小摂殿の肩書きのせいで、我々が小摂殿の猛将っぷりをイメージしにくくなっているのだろうか?)

美川 啄木鳥 さんからのご投稿(2003.05.02)

三成派 (美川憲一口調で)あら、やだわ〜。家康さんが好きな人たちも珍しくいるものなのねえ〜。家康さんが勝って当たり前みたいにギャーギャー騒いでるわ〜・・・ちょっとオダマリィッ!! あたしってさそり座だから、ぬすっとダヌキなんてあたしのさそり毒でイチコロにしてみせるわよ〜。オホホホホホッ・・・フンッ!

福島正則 この正則さんが代表格だけど、他にもいっぱい秀吉さんに取り立ててもらいながらぬすっとダヌキに一味した恩知らずがゴロゴロいるわ〜〜。浅野も黒田も加藤もみんなまとめて「つっつくわよ!!」うのchanにもキツツキになって手伝ってもらうわよ〜!・・・フンッ!

コンチェアト さんからのご投稿(2003.05.02)

三成派 三成の才能に惚れたから。その才能で是非天下人になり、家康も秀吉も築けなかった万民のための世を、彼の手で築いてほしかった。

加藤清正 家康に義理立てして、主君をおろそかにしたから。二条城で会見を行おうが、参勤交代の途中で秀頼に挨拶しようが、三成殺しに手を貸し、家康を天下人にした罪は永遠に消えることはないだろう。

妖刀村正 さんからのご投稿(2003.04.30)

三成派 三成の器の大きさに感服させられたから。徳川や豊臣の天下ではなく、彼の納めている天下を、できれば見てみたかった。

南部信直 津軽や九戸の反乱にくじけずに、幕末まで藩主としてなんとか生き延びたから。

クロジェプト☆エックス さんからのご投稿(2003.04.30)

三成派 NHKでプロジェクトXという番組をやってますが、毎回、「すごいなあ、これができるまでにこんな苦労があったのかあ!」と感動しております。石田三成が大敵徳川を相手に天下分け目の勝負を挑むことができた事実は(挫折という結果にはなりましたが)我が日本人のプロジェクトXの先駆けといってもいいでしょう。中島みゆきさんのあの歌を聴くとき、関ヶ原に勇ましく向かう三成たちのことを思い、ジーンと来るんです。 三成は”戦国に輝ける地上の星”ですね・・・・。

立花宗茂 この人、シブくて好きですね。 願わくば主戦場にて鬼神の如き活躍をして欲しかったなと思う人です。

石田内閣 さんからのご投稿(2003.04.29)

三成派 三成閣下の心意気に惚れましたよ。まさに、感動!!の一言ですな。

池田輝政 姫路52万石!

花の慶次 さんからのご投稿(2003.04.29)

三成派 自分の10倍もの大名を相手に喧嘩を売る。その心意気やよし。しかもその心は豊臣家の御ため。これで徳川方のFANという人はどこかおかしいのではないでしょうか?

島左近 西軍、東軍を通じて一番暴れまくってた猛将。しかも死体が見付からないというのも夢があっていいじゃないですか。

sukashitohru さんからのご投稿(2003.04.28)

三成派 豊臣家の譜代家臣の中で徳川家康の本心を見抜いていたものは三成や行長等少数の家臣であり、加藤清正や福島正則等関ヶ原の戦いの後豊臣家が220万石から65万石に減封されたことに対し何の手も打てなかったことから自家のみの保身に徹し主家をないがしろにした福島等とは違い、三成は己の主家を最も大切にし広い視野を持っていたように思える。

福島正則 豊臣家を潰した張本人であり、長野県小布施にある岩松院の小さな墓に入るとき、既に滅んだ豊臣家に対しどのような回顧の念を持っていたのか聞いてみたい。

長州人(やまぐチェ県人) さんからのご投稿(2003.04.28)

三成派 最後の最後に味方の裏切りで不幸にも敗れたとは申せ、日本史上最大のビッグイベントを企画・遂行した治部少殿・・・・。日本をまっぷたつにした大合戦の一方の大軍を率いた事実上の総大将(英雄以外のなにものでもない)の人物像を「戦下手で人の心の掴めぬ四角四面の嫌われ者・憎まれ官僚」などとしか(この21世紀になっても)評価できていない人々は歴史に関わること(歴史評論家になったり、社会科教師になったりすること)を一切ご遠慮願いたい。我が国の歴史教育上、そういう人達は大弊害なり。まあこの私でも、治部少殿のことを絶対正義の完璧な偉人で、崇拝すべき聖人君子だとまではさすがに思っていない(治部少殿も人間だから間違い等あることも当然)。 ただ天下分け目の大将を務めた我が国史上屈指の大英傑たる石田治部少輔三成殿のことをもっと真っ当に評価し、今少し英雄視することも国史教育上、必要なことだと考えるものである。 日本史嫌いだった子供たちも(その中でごくごく一部の子供たちだけになるかもしれないが)一転、歴史に興味を抱き、「歴史って先人たちの感動のドラマなんだあ!」と理解して、勉強に励み始める一助となるかもしれない。

大谷吉継 現在、信じられないような犯罪・動機なき凶事等が我が国にも多発しており、日本の安全神話が完全に崩壊してしまっているのは周知の事実。それに関連して、日本人の道徳心も昔に比べると崩壊状態であるといわれている。 是非とも、大谷刑部吉継殿(および治部少殿)が我々日本人に時代を超えて伝え続けてくれている数々の感動秘話を小学校の「道徳」の教材として採用するよう、文部科学省は早急に認定を!

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