#大坂城包囲網の城 の検索結果
豊臣秀吉の死後、徳川家康は豊臣秀頼と豊臣恩顧の西国大名を牽制するため、大坂城包囲網を街道の封鎖を目的に天下普請で城を築いた。これらは大坂城の東にある城で見られる。
大坂城包囲網と紹介されている城はいくつかあるが、そのうち西に位置する大半は城は、徳川家康の死後に築かれたものだ。大坂の陣の翌年、徳川家康は死去している。この時、大坂城の西、山陽道、南海道には徳川の譜代大名の城がない状態だった。二代徳川秀忠は、尼崎城、明石城、姫路城、龍野城と築き、元和3年頃から播磨を採りはじめた。その後、広島城の福島正則を改易、福山城を築いた。また、大坂城の南にある岸和田城や和歌山城に徳川系が入封する。大坂城を守る布陣が敷かれた。