写真:岡 泰行

三原城の歴史と見どころ

三原城(みはらじょう)は、毛利元就の三男、小早川隆景により、天正4年(1576)から築城が始められた海城である。隆景は、天文13年(1544)に竹原小早川家を、天文19年(1550)に沼田小早川家を継ぎ、安芸東南部における勢力基盤を固めていった。このとき隆景は、小早川氏の高山城に入り、翌年には沼田(ぬた)川を挟んだ対岸の新高山城へと本拠を移した。

小早川氏は早くから瀬戸内海へと勢力を拡大しており、河口に位置し山陽道を押さえる三原要害が次第に重要視され、拡張・発展されていくこととなった。これが三原城である。文禄4年(1595)から行われた拡張では、新高山城の石垣が運び込まれた。天守台のアブリ積みは、この時に築かれたものとされる。

慶長元年(1596)、隆景は三原城で死去した。三原城は広島城の支城となり、慶長5年(1600)には福島氏が、元和5年(1619)には浅野氏が城主となり、明治を迎えることとなった。明治維新により三原城は解体され、山陽鉄道が本丸を通過する形で敷設された。天守台は一時期、個人所有となり新たに造園が施され、料亭が営まれていた。後に山陽新幹線の三原駅が設けられ、現在に至っている。

参考文献:『探訪ブックス日本の城』(小学館)、現地案内板

三原城の特徴と構造

「浮城」と呼ばれた三原城には、言い伝えによれば、本丸が大島、二の丸の船入櫓付近が小島であり、両島は水深の浅い岩盤で繋がっていたという。城域は、東西約900m、南北約700mにおよんでいたとされる。

三原城天主台
天守台には天守は築かれず、代わりに櫓と多聞が設けられていた。天守台の北側には山陽道が通っており、堀端にはその石列や武家屋敷跡が整備されている。

浮世川(河原谷川)
西にある浮世川(河原谷川)(写真)と城の東にある和久原川は、城の外堀として機能していた。

和久原川と水刎石垣
和久原川の護岸には、三角形の「水刎(みずはね)」と呼ばれる構造が設けられている。これは、川の流れを緩やかにし、下流域にある東築出を守るために築かれた石垣だ。

主な石垣遺構は次の通り(場所は上記Googleマップでチェック)。

三原城の散策資料

『城下町みはら散策マップ』と『三原城下町を歩く』三原市観光交流会議が発行する『城下町みはら散策マップ』を、観光案内所で必ずGETしよう。三原城の石垣がどこに点在しているか、移築城門(糸崎神社神門以外の4基)が掲載されているほか、現在の町割りに城域が色を変えて記載されている優れもの。また、同時に実測をもとに制作された城の櫓と堀を黒色、石垣は灰色といった具合にまとめられた『紙本著色備後三原絵図』が印刷された三原市教育委員会発行『三原城下町を歩く』も忘れずに観光案内所で。

三原城の散策コース

三原城の天主台へ登るには、JR三原駅1階コンコースから。その専用通路はAM6:30~PM10:00まで。舟入櫓跡の石垣は市の港町公園となっているので常時見学ができる。

三原城の撮影方法

小早川隆景銅像三原城の天主台は東面、北面、西面とあり、移築城門もほとんどが南向きなので、さほど撮影時間を気にする必要はないが、本丸中門跡の石垣が西向き、小早川隆景銅像が東向きに設置されている。

三原城の写真集

城郭カメラマン撮影の写真で探る三原城の魅力と見どころ「お城めぐりFAN LIBRARY」はこちらから。

三原城の関連史跡

関連移築城門

三原で見る移築城門は次の5基。場所は上記Googleマップでチェック。

なお、御成御門(安楽寺山門)のある佐木島へは、三原港から三原海陸運輸のフェリーで約25分(1日に5本運行)で佐木島の向田港、または、土生商船のフェリー約25分(1日に8本運行)で佐木島の鷺港で渡ることができる。鷺港の方が安楽寺に近い。島内には交通機関が無いため、JR三原駅観光案内所または三原港でレンタルサイクルを借りると良いぞ。

小早川隆景の足跡

小早川隆景墓・米山寺宝篋印塔小早川隆景の足跡を辿るなら、高山城と新高山城、米山寺(広島県三原市沼田東町納所460)の3点を。米山寺は小早川家の菩提寺で初代実平から17代隆景までの宝篋印塔(国の重要文化財指定)20基の墓がある。また、天主台北側の山が気になった人も多いと思うが、山名氏時代の山城で桜山城跡。三原城甲の丸とも言われ石垣や曲輪が残る。または、「増上山大善寺」三原市西町・三原浅野藩4代浅野忠義生母、月渓院の墓。徳川将軍家より嫁入りしたのだとか。

三原城のおすすめ旅グルメ

三原の「ひょこめ」魚介料理福山で魚介料理なら地元民が通う人気店「ひょこめ」に足を運ぶと良いぞ。季節の移ろいと出会える名店。また、三原はとにかく「たこ料理」。三原駅コンコースに城に乗るタコのモニュメントがちょっと面白い。手軽に愉しむには「たこせん」を土産物屋で。ところが最近は、瀬戸内で蛸が捕れず、海外産なのだとか。そのほか、三原ラーメン、三原流お好み焼きなど。

三原城の史跡めぐりにこだわる最適なホテル

「三原ターミナルホテル」が、三原で唯一、上階から三原城跡が望めるビジネスホテルらしい。三原という土地はコロナ後の宿泊費高騰が見られず、安くて綺麗なビジネスホテルが多い印象だ。

三原城のアクセス・所在地

所在地

住所:広島県三原市城町1丁目 [MAP] 県別一覧[広島県]

電話:0848-64-9234(三原市文化振興係)

アクセス

鉄道利用

JR山陽本線、三原駅下車すぐ。駅が天主台の上に建っている。

マイカー利用

山陽自動車道、三原久井ICから、南へ10km(約15分)。駅周辺にコインパーキングあり。

城ファンの気になるところ (12)

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    城は瀬戸内海に面して築城されましたが、今ではJR三原駅が城内を貫いています。ですが堀は数箇所残り、かつての面影は残します。石垣は駅北口、南口とも数箇所、保存されています。

    ( Sho)さんより

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    小早川隆景が築城。後に安芸国に浅野氏が移封され、三原は広島藩の支城になります。 代々、広島藩家老が三原城主です。私の先祖はこの三原藩士でした。 明治時代、海軍の鎮守府がこの城の施設を利用して開設されそうになりましたが、結局、呉に決まり、城は破壊されました。

    ( Sho)さんより

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    2009年現在、天主台を囲む堀の周囲にあった民有地を買収し公園化整備が行われています。

    ( roto)さんより

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    三原城は、点在する遺構と城の縄張りに沿った道路を歩くことでスケールを体感するお城。石垣が移築城門、石碑や町割りで城の姿が分かる。

    ( 城の観光好き)さんより

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    時間のない人は「天主台」と「舟入櫓跡の石垣と岩礁」、「本丸中門跡の石垣」の3点セットでどうぞ。三原城は、大島(本丸)と小島(二の丸)の2つの島を埋め立てて作られている。小島の突端が「舟入櫓跡」でその石垣に、島の岩礁が基礎部分に見られるのがポイント。

    ( 城の観光好き)さんより

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    天主台は日本一広さだとか。石垣は「アブリ積み」という古い技法だそうな。

    ( 城の観光好き)さんより

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    城内を歩くことができるCG、三原城バーチャルウォークスルーが三原市観光協会のサイトで見られるぞ。古文書や絵図、実測に基づき作られたもの。

    ( 城の観光好き)さんより

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    ルイス・フロイスの記録によると当時は「みわら」と発音していたそうな。

    ( 城の観光好き)さんより

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    西国街道がある。三原城築城の際に西国街道を城内を横断するかたちで曲げたため、天主から西側を西町、東側を東町と称するようになり、今でも例えば「東町の○○」と言うと伝わりやすい。

    ( 城の観光好き)さんより

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    古写真が、三原市教育委員会のサイトで見られるぞ。

    ( 城の観光好き)さんより

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    天主台の西側のバスターミナルには小早川隆景の銅像があるぞ。

    ( 城の観光好き)さんより

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    三原駅構内には三原城の復元模型が展示されてます。

    ( 三重県のお城好き)さんより

城の情報

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