写真:岡 泰行
松江城の歴史と見どころ
松江城を近世城郭として築いたのは豊臣政権の中老を務めた堀尾吉晴だ。1600(慶長5)年、子の忠氏が関ヶ原の戦いの功により、浜松から出雲・隠岐24万石に加増され月山富田城に入り、宍道湖にほど近い標高29mの亀田山を城地とした。
松江城の特徴と構造
松江城は、亀田山(末次城趾)の最長部に本丸が置かれ、天守は曲輪の北東部に独立して築かれている。本丸の南に二の丸、東側に二の丸下の段、堀の南側には三の丸(現在の島根県庁)があったほか、小規模の曲輪や出丸(上御殿)などで構成されていた。縄張りづくりは、当時吉晴に仕えていたとされる小瀬甫庵(「信長期」「太閤記」の作者)が手がけたと伝わる。
現存12天守のひとつである松江城天守は5重5階に地下1階(国宝登録上は4重5階)で、入母屋造の大屋根の上に望楼を載せた、後期望楼型の造りになっている。附櫓の入り口から入る地階は、中央に井戸があった。築城にあたっては、月山富田城の部材も使われたという。天守内部は建物を下から上まで貫く「心柱」ではなく、二階分ずつの通し柱を何本も立て、建物を支えている。また、多くの柱にはかすがいで留められた厚い木の板に包まれており、さらにその上から帯鉄によって締めつけられている。この「包み板」も、松江城を特徴づけている。
なお、「出雲国松江城絵図(正保城絵図)」や「出雲御本丸図」に、千鳥破風、唐破風のある層塔形天守が描かれていることから、築城当時の天守は今の姿と違い18世紀後半の修理で今の形になったという説もある。
天守台の石垣は、粗く割られた石を平らな面を表にして積み上げ、間に小さい石を詰めた打込接ぎの構造になっており、堀尾時代のものとされている。天守を囲む本丸には6つの櫓があり、瓦塀のあった一部を除いて多門櫓でつながっていた。現在は本丸石垣や櫓台跡が残っている。
外曲輪西側や二の丸手前の高石垣は加工の施された切込接ぎの石垣が見られ、時代の違いを感じさせる。また、一ノ門跡には鏡石で大きな石が使われている。
松江城の国宝指定
天守の建物を残している城は全国で12城あるが、天守が国宝指定されている城は5城あり、そのうちのひとつである(姫路城・犬山城・彦根城・松本城・松江城)。松江城の国宝指定については、その経過や立面図などの詳しい資料が公開されている。
子育て飴という怪談
「松江の七不思議」のひとつに子育て飴という話がある。松江の大雄寺に伝わる話で、知っておくと面白い。山陽と山陰の話とともにどうぞ。
- 山陽と山陰(お城めぐりFAN)
松江城の撮影方法
ずばり本丸から天守を望む
松江城本丸のまわりには、思いの外、木々が成長しているため、天守の撮影スポットは限られる。城内からは本丸からがその造形美がよく分かる。2019年に本来の姿に戻そうと天守前の植木が撤去されたので、風景的には以前に比べるとちょっと味気ないがそれでも天守の迫力がある。天守入母屋破風下の花頭窓が可憐さがあって良い。
南東から天守を望む
6階建のコインパーキング「タイムズ一畑殿町駐車場」屋上から松江城を望むことができる。ホテル「サンラポーむらくも」とほぼ同じ方角だ。
宍道湖の夕日を
宍道湖の夕は日本夕陽百選にも選ばれている。夕日の沈む方向には出雲大社があり、神々しい彩を嫁ヶ島とともに観ると感動風景となる。白潟公園や島根県立美術館前から観ると良いぞ。宍道湖の浮かぶ嫁ヶ島には、堀尾忠晴が弁財天を祭った竹生島神社があり、松江城とそうそう無縁ではない。
松江城の写真集
城郭カメラマン撮影の写真で探る松江城の魅力と見どころ「お城めぐりFAN LIBRARY」はこちらから。松江城の関連史跡
松江歴史館
松江城家老屋敷群跡に建つ歴史資料館。国宝再指定の決め手となった祈祷札や、城と城下町のジオラマ、松平不昧公にまつわる茶器や茶菓子、家老屋敷の礎石、町の歴史など松江城や松江市の歴史を集め展示されている。
松江歴史館は、資料や図録の販売コーナーや、創作和菓子の実演販売もある喫茶コーナーも併設。周囲は松江市の伝統美観保存区域となっているので、当時のよすがを求めてそぞろ歩くのも良し(島根県松江市殿町279)。
明々庵
茶人としても知られる7代藩主、松平治郷が家老有澤家の邸内に作らせた茶室。明治以降、東京の松平伯爵邸に移築されていたが1928(昭和3)年、出雲に戻された。その後、1966(昭和41)年、「不昧公150年祭」に合わせて現在の地に再移築された。茅葺きの入母屋造で治郷筆の扁額が掲げられた、不昧流の趣を持った茶室である。明々庵は、松江城天守を北側から望むことができる(島根県松江市北堀町278)。
興雲閣
島根県有形文化財。1903(明治36)年に完成した「松江市工芸品陳列所」が前身。大正天皇の皇太子時代、山陰行啓の際の宿所としても使われた。2013(平成25)年から2年にわたる保存修理が施され、1912(明治45)年の姿が復原された(島根県松江市殿町1-59)。
小泉八雲旧居
「耳なし芳一」「雪女」など、日本に伝わる怪談を著したことで知られる小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が松江時代に住んでいた旧居。国指定史跡。八雲が日本で住んだ松江、熊本、神戸、東京のうち、当時の住居がほぼそのまま残されているのは、ここだけである。隣接する「小泉八雲記念館」には、八雲が使っていた机や椅子、喫煙パイプ、戸籍謄本などが展示されている(島根県松江市北堀町315)。
田部美術館
山林王としても知られ、戦前に衆議院議員、戦後は島根県知事も務めた実業家、田部(たなべ)長右衛門(朋之)が1979(昭和54)年に設立した美術館。伝統美観保存区域にあり、入り口は長屋門(松江市指定文化財)となっている。本館を設計したのは、「メタボリズム」で知られる建築家の菊竹清訓(きよのり)だ。館内には、不昧公ゆかりの茶器や楽山焼、布志名焼など田部家に伝わる美術工芸品などが収蔵されている(島根県松江市北堀町310-5)。
近隣の主要な城
松江城のおすすめ旅グルメ
出雲そば
戸隠そば、わんこそばと共に「日本三大蕎麦」に数えられる。一説には、松平直政が出雲入りした際、前任地の信州松本から蕎麦職人を伴ってきたことで定着したとも言われる。ソバの実を皮のまま「挽きぐるみ」するため、麺の色が黒く香りも高い特徴を持つ。丸い器を3段重ね、それぞれにそばを盛った「割子そば」と、そば湯に入れた茹でそばをツユや薬味で味を足して食す「釜揚げそば」の2種類が主流である。
シジミ
汽水湖の宍道湖は、ヤマトシジミの漁獲量が全国一。食事の締めとして、あるいは宿泊翌朝の栄養補給にはシジミ汁がおすすめ。シジミを含む7種の魚介「宍道湖七珍」(スズキ、モロゲエビ、ウナギ、アマサギ、シラウオ、コイ、シジミ)もよく知られている。宍道湖のほとりに「宍道湖しじみ館」があり、漁師から直接仕入れたシジミを販売している(島根県松江市千鳥町36)。
松葉ガニ
山陰で水揚げされたオスのズワイガニは「松葉ガニ」と呼ばれる。毎年11月頃から3月頃にかけてがシーズンで、さしみや鍋、かにすきなどが楽しめる。市内の料理屋やレストランなどのほか、季節限定の「かに小屋」もある。
松江おでん
松平氏7代藩主、松平治郷(不昧公)が京都から持ち帰って広めたと言われる当地のおでん。具材がおおきめなのが特徴だ。
松江城の史跡めぐりにこだわる最適なホテル
松江ニューアーバンホテル
宍道湖のほとりに建つホテルだが、松江城天守を正面から捉えることができる(天守との距離670m)。城側のホテルは少なく9階の2部屋のみ。なかでも東側の部屋の方が良いぞ。なお、松江城からちょっと距離があるので、望遠レンズ必須ということで。
サンラポーむらくも
松江城に最も近いホテルで、南西から天守を望むことができる。4階〜6階のお城側の客室から見え、シングル・ツインともに城側でない方と料金は変わらない。
松江しんじ湖温泉
松江城から南へ約1kmほど下ったところにある温泉街。日本夕陽百選に選ばれた夕景や、シジミ漁の様子を眺めながらゆったりしたい。一畑電鉄「松江しんじ湖温泉駅」には、芦湯も併設されている。温泉街は松江しんじ湖温泉組合でチェック。
玉造温泉
松江城から車で15分ほど、美肌の湯で知られる温泉街。「出雲国風土記」にも登場するなど、約1300年前から続く「日本最古の温泉」とも呼ばれている。玉造温泉旅館協同組合で。
そのほか、松江城周辺にもビジネスホテルや旅館、ゲストハウスなどがある。旅のスタイルに合わせて予約しよう。
松江城のアクセス・所在地
所在地
住所:島根県松江市殿町1-5 [MAP] 県別一覧[島根県]
電話:0852-21-4030(松江城山公園管理事務所)
- 国宝松江城ホームページ(公式サイト)
開館情報
天守
4月1日〜9月30日 8:30〜18:30(受付は18:00まで)
10月1日〜3月31日 8:30〜17:00(受付は16:30まで)
本丸
4月1日〜9月30日 7:00〜19:30
10月1日〜3月31日 8:30〜17:00
※松江城天守閣、小泉八雲記念館、武家屋敷(または小泉八雲旧居)3館共通券は1,100円
年中無休。
アクセス
鉄道利用
JR山陰線松江駅下車、バスへ。
一畑電鉄「松江しんじ湖温泉駅」下車、徒歩20分または、松江市営バス(北循環線内回り)で5分、「県庁前」下車、徒歩5分。
または、松江駅7番乗場から「ぐるっと松江レイクラインバス」で10分、「国宝松江城(大手前)」下車、徒歩2分。
マイカー利用
山陽自動車道、松江西ICから松江だんだん道路に入り、西尾ICから府道260号線を西へ4.5km(約10分)、大手前駐車場(有料)を目指す。
火災による焼失で過去に建て直されたことがあるらしいが、オリジナルに近い状態で現存する数少ない天守。基本的に殆どいじられてないので、便利は悪いが資料的価値は抜きんでています。その急勾配の階段は木が摩耗して黒光りしており、かなり危ない。
( TAK)さんより
石垣の隙間をのぞいたとき…、私はみた!なにかよくわからないが、お地蔵さまのようなものがみえたのです。ちゃんと目もあった!いったいあれはなんだったのか…。幼稚園児だったころの強烈なおもいでです。
( 民部少輔)さんより
8月最初の土・日は、水郷祭(すいごうさい)というお祭りがあり花火が上がる。 このお祭りを狙って攻めてもいいが、きっと混みまくりだろう…。
( 半兵衛)さんより
大正4年に島根県内務部に「近く破壊のおそれがある」と報告されたとのこと。それほどの荒廃ぶりたったらしい。なんでも明治27年頃より天守の修繕が行われたが、本格的に解体修理を行ったのは、昭和25年。この時に現在の姿となる。
( 半兵衛)さんより
松江城の天守は5層6階。1・2層は城主の住居、その上に2層の櫓をのせた形になっている。
( 半兵衛)さんより
天守正面の「石落し」の話です。外から見上げると明らかにそれは「ある」のですが、登ってみると、何故かきれいに床板がはってある(笑)。ちょうどその場にいた係りのおじさんに聞くと「ばれたか」というような顔つきで、床板を持ち上げてみせてくれました。
( じぇみ)さんより
馬場池というその昔お城の馬を洗っていた池が今でもありますが、その池の周りを息を止めたまま3周すると幽霊が出てくるそうです。
( yuhi)さんより
本当の話かわかりませんが、子供のころよく聞いた話です。天守閣のなかに大きな井戸があるのですが、この井戸から内堀の石垣に向かって抜け道があるとのことです。
( yuhi)さんより
松江城天守閣からの眺めは最高!!眼下に広がる宍道湖の景色(特に夕焼け)は美しい。また、天気のいい日には隣国伯耆の大山も見える。城の堀をぐるっと一周する遊覧船も大人気だとか。そんな松江城だが、建築当初は地盤が弱かったため、土台に人柱が埋めてあるとか…。
( こーじぃー)さんより
松江市が進めてきた松江城・二の丸南櫓の外観工事が1999年11月に終わった。当時の工法で忠実に復元し、二の丸の中・太鼓両櫓も復元工事中で、2001年、春に完成しています。
( 岩峯慎一)さんより
天守閣下に埋められた人柱は踊りがうまかったため、天守閣の前で踊るとお城が泣く様に揺れるらしい。あと、大橋川に架かる松江大橋にも人柱が埋められている。
( 松江の古狸)さんより
松江城天守閣。現存12天守のひとつ。山陰では唯一、天守閣が現存する城。1611年(慶長16年)築城。関ヶ原の戦いで戦功のあった堀尾忠氏が築城。松江藩の初代藩主、堀尾吉晴は完成目前に急死している。その後、堀尾氏は嗣子なく3代で改易となった。
( shirofan)さんより
全国に現存する12天守の一つで山陰では唯一の天守閣です。実戦本位で安定感のある武骨な体裁に、桃山風の荘重雄大な城である。
( 磯部俊哉)さんより
何故天守閣の壁の色が黒いか?堀尾義晴は倅忠氏の急逝で、隠居の身から築城の大仕事をしなくてはならなくなった。倅を弔う墓標のつもりで陰気な色彩にしたのではと考えられる。
( 園山勝美)さんより
日本三大湖城のひとつ。松江城、膳所城、高島城だそうな。
( 光秀)さんより
松江市開府400年祭が5年間にわたって行われ今年が最終年となる。3月19日に家老屋敷跡に歴史館がオープンする。立派なもので江戸時代の松江が全て理解できるよう工夫されているので是非ご覧いただきたい。yahooで検索すると色々写真付きの解説があるので参考にしてください。
( 園山勝美)さんより
1607年から1611年に堀尾吉晴が築城したが、完成直前に死去、孫の忠晴が跡を継いだが1633(寛永10)年、子無く断絶。若狭より京極忠高が移封されたが163(寛永14)年、嗣子なく、家康の孫松平直政が信州松本から転封され以後明治維新10代定安まで続いた。
( 園山勝美)さんより
松江城天守には、総数308本の柱があるが、そのうち、集成材として包板の加工が施されたものは130本ある。
( 光秀)さんより
松江城天守が、2015年7月8日、正式に国宝に指定されました。天守が国宝に指定されるのは63年ぶりで、全国で5城目となります。
( shirofan)さんより