写真:岡 泰行
鬼ノ城の歴史と見どころ
総社平野を見下ろす吉備高原(きびこうげん)の南端にこの城はある。民話「桃太郎」のモチーフともいわれる伝説では、ここを拠点に乱暴狼藉を働いていた鬼の温羅(うら)を、朝廷から派遣された吉備津彦命(きびつひこのみこと)が退治したと言う。そこから「鬼ノ城(きのじょう)」と呼ばれているが、近年の研究では、大和政権が築いた古代山城であったという説が有力だ。
663年の白村江(はくすきのえ)の戦いで唐と新羅(しらぎ)の連合軍に敗れた際、太宰府近くの大野城をはじめ、西日本の各地に山城が築城されたとされる。鬼ノ城はそのひとつに数えられる。広さ約30haの山上を4カ所の門、6つの水門、角楼、高石垣などを備えた、長さ2.8kmにも及ぶ直線的な版築土塁(はんちくどるい)が囲み、城内からは礎石建物群跡や溜井(水くみ場)などが見つかっている。
昭和53年(1978)の学術調査や、平成6年(1994)からの総社市教育委員会による発掘調査、平成18年(2006)から7か年計画の『甦る! 古代吉備の国〜謎の鬼ノ城』と銘打たれた調査から、城門や角楼、礎石建物群などが見つかり、鬼ノ城の様子が次第に明らかとなってきた。中でも、床の敷石や石段、12本の掘立柱跡などが見つかった西門は、遺構や史料などから推定された三階建ての門が復元され、見どころとなっている。
史料が残っていないため、まだまだ謎の多い鬼ノ城。ハイキングを兼ねて古代ロマンに思いを馳せ、天気のいい日には四国まで見渡せる眺望を楽しむと、旅の醍醐味はより深まる。
鬼ノ城の西門。版築土塁の様子も見てとれる。屋根上に並んでいるのは、古代の楯を模したもの。
城壁は下部の幅約7m、高さは5〜7mで要所には石垣が積まれている。
東側に位置する屏風折れの石垣は、尾根に向かって突出した高石垣が特徴。
眼下に広がる総社平野。豊臣秀吉に水攻めされた備中高松城も見てとれる。
現地で鬼ノ城ウォーキングマップを忘れずGET
総社市鬼ノ城ビジターセンター(月曜休館)に西門の復元模型や鬼ノ城の発掘調査に関する展示があるので、それを頭に入れて、鬼ノ城の石垣や城門跡などの遺構をつなぐかのように鬼ノ城を1週すると良い。散策前に『鬼ノ城ウォーキングマップ』を忘れずGETしよう(散策マップは鬼ノ城の入口でもGETできる)。書籍では『鬼ノ城と大廻り小廻り(村上幸雄著)』が良い。
鬼ノ城は、西門(復元)から反時計回りで高石垣や第一・第二水門、南門、東門、第五水門、高石垣、礎石建物群、北門といった遺構を見てまわることができる。各所では解説板が設置されていて、目に見えるものを中心に理解を深めることができる。
鬼ノ城の撮影方法
復元された西門を撮影するなら午後が良い。学習展望台からの望遠で西門の撮影が良いぞ。
鬼ノ城の写真集
城郭カメラマン撮影の写真で探る鬼ノ城の魅力と見どころ「お城めぐりFAN LIBRARY」はこちらから。鬼ノ城の関連史跡
鬼ノ城のおすすめ旅グルメ
山歩き後に鶴の里のソフトクリームはいかが?(BOZ 2010.10.16)
鬼ノ城の史跡めぐりにこだわる最適なホテル
JR吉備線、総社駅付近にビジネスホテルがある。車利用なら鬼ノ城の北東にある粟井温泉「あしもり荘」など。
鬼ノ城のアクセス・所在地
所在地
電話:0866-99-8566(総社市鬼城山ビジターセンター)
開館時間
8時30分〜17時15分、総社市鬼城山ビジターセンターは月曜休館。
アクセス
鉄道利用
JR吉備線「服部駅」下車、徒歩5km、または「総社駅」下車、タクシー約20分。
マイカー利用
山陽自動車道、岡山・総社ICから約8km。鬼ノ城ビジターセンターを目指す。無料駐車場(約60台)有り。
鬼ノ城は、7世紀後半のお城で戦国時代のものではありませんがお城ファンには見逃せません。近年の発掘調査で、城門、高石垣、角楼と呼ばれる石塁などが発見されています。発掘される以前から総延長数キロに及ぶ土塁や石塁、数ヶ所にある水門、倉庫群と思われる礎石の存在は知られていましたが、発掘により古代の精緻な築城技術(おそらく朝鮮式)が明らかになってきています。
( 天庵)さんより
伝説ではこの城に鬼(温羅=うら)がこもり、周囲の住民に被害をもたらしたので、吉備津彦という英雄が朝廷から派遣され鬼を退治したといいます。吉備津神社など、鬼にまつわる歴史スポットが周辺に点在しています。城そのものだけでなく、鬼ノ城からの眺めは最高です。
( 天庵)さんより
大化の改新を進めた天智天皇の治世、白村江(670年)の海戦で唐・新羅連合軍に日本(倭)軍は大敗した。大陸からの逆侵攻の恐れがあったため、防衛上の観点から西日本各地に山城が築城された。鬼ノ城もそのような山城の一つであったと考えられている。しかし、日本書紀などの歴史書には鬼ノ城に関する記述はみられず、謎につつまれている。伝説ではこの地に温羅という鬼がこもり、周辺住民を捕らえて食うなどしたため、住民の懇願により大和朝廷から吉備津彦が派遣され、温羅と激戦の末これを倒したという。残っている石垣の建造技術や発掘成果などから、7世紀後半頃に朝鮮半島(百済)からの渡来人の技術を用いて築城されたものと考えられている。
( 天庵)さんより
山城だけに展望がすばらしく、岡山南部はもとより天気がよい日は四国の屋島、小豆島まで展望できます。1時間ぐらいの散策コースがあります。半分は眺望が楽しめ、日ごろの疲れが取れます。歩ける服装で散策をおすすめします。
( BOZ)さんより
神籠石式山城という古代の山城と言われていて、ここ数年発掘が進んでいます。麓にある吉備津神社の桃太郎鬼退治の逸話になぞらえたお話もあります。今後解明されていくのが楽しみな城です。
( 城の観光好き・BOZ)さんより