丸子城の歴史と見どころ
丸子城は駿府を守る目的で標高140mの三角山の尾根に築かれた山城。今川氏時代にその被官だった斉藤安元によって築かれ、武田信玄が駿府に侵攻して後は、その家臣、山県昌景が改修、武田家滅亡後は、徳川家康が入った。今川氏のときは北曲輪がその主郭だったらしい。初めて訪れると大堀切や三日月堀などその規模に驚かされる。
丸子城の関連史跡
丸子城のおすすめ旅グルメ
「待月楼」とろろ屋。丸子城登山口を過ぎて200m。とろろ懐石弁当(2,000円ほど)がうまい。[田村靖典 (2000.3.13)]
本丸は今川氏時代、武田氏時代、二カ所あります。最高136mの山頂を中心に、今川時代に本丸があった北城と、武田時代の本丸の南城を連結した縄張りになっています。大規模な三日月掘の遺構に目を奪われます。
( 半兵衛)さんより
丸子は「まりこ」と読みます。昔は「鞠」の字を用いたそうです。
( 半兵衛)さんより
徳川、武田で交互に領有され武田時代には山県昌影が守る。円形の縄張りが武田流の築城法を伝えている。
( 田村靖典)さんより
武田時代に修復され、一の丸、二の丸、虎口、土塁、空掘り等がよく残っている。
( 田村靖典)さんより