三方ヶ原の合戦で敗走した徳川軍を追った武田軍が野営した場所で、徳川軍の夜襲にあい多くの兵が崖に転落したそうな。その崖が見られるほか、三方ケ原の戦いで討死した武将、本多肥後守忠真の碑や夏目次郎左衛門吉信の碑、資料館がある。資料館には、徳川家康の兜前立勝軍地蔵尊が見られるほか、なぜか、ねずみ小僧次郎吉の墓もある(詳しい場所はGoogleマップ参照)。
しまなみ海道に浮かぶ能島城。能島村上氏(村上水軍)の拠点だった城跡で、島全体が城だった。周囲の海は潮流が激しく、流れを知らなければ近寄ることもできない。岸には武者走りが掘られ、岩礁ピットと呼ばれる柱穴が残る。
大阪城は、大手門、千貫櫓、火硝蔵など13棟の重要文化財と壮大な石垣を有する。秀吉が築いた豊臣大坂城を包み込むように…
北条氏の本拠、巨大要塞、小田原城。相模国の西端にあり、南は相模湾、西は箱根連山を隔てて駿河国と接している。海と山を天然の…