写真:岡 泰行
古渡城の歴史と見どころ
古渡城跡は、真宗大谷派名古屋別院にある。東別院は徳川光友から織田信秀の古渡城の跡地約1万坪の寄進を受けて建立された。古渡城の規模は、東西140m、南北100mの平城で、周囲に二重の堀をあったらしい。織田信秀が末森城に移り廃城となった。東別院の敷地内には、名古屋城の残石がある。また、東別院のすぐ東側にある下茶屋公園にある池は、古渡城の堀の跡と言われている。
写真:岡 泰行
古渡城跡は、真宗大谷派名古屋別院にある。東別院は徳川光友から織田信秀の古渡城の跡地約1万坪の寄進を受けて建立された。古渡城の規模は、東西140m、南北100mの平城で、周囲に二重の堀をあったらしい。織田信秀が末森城に移り廃城となった。東別院の敷地内には、名古屋城の残石がある。また、東別院のすぐ東側にある下茶屋公園にある池は、古渡城の堀の跡と言われている。
東本願寺別院の左端の方に石碑がある。信長が元服したといわれる。信長に名古屋城を譲り、信秀はこの古渡城を居城とした。天文15年(1546)元服して織田三郎信長を名のる。13才であった。
( 吉良実敦)さんより
津島港は尾張と伊勢を結ぶ河川交通の要所。織田信定はこの経済力を元に力を付け、信秀、信長と引き継がれていったそうな。
( 城好き匿名希望)さんより