写真:岡 泰行
白河小峰城の歴史と見どころ
阿武隈川を北に臨む、標高370mの小峰ヶ岡に築かれた白河小峰城(しらかわこみねじょう)は、同地にある「白河関」同様、奥州と関東の境を扼する要の城である。南北朝期の武将、結城親朝(小峰氏祖)が城を築いたのに始まりであった。時代は下って寛永4年(1627)、棚倉から移封されてきた丹羽長重が寛永6年(1629)からおこなった大改修により、本丸北東部に三層三階の御三階櫓を据えた梯郭式の城に生まれ変わる。城域はほぼ五角形で、約60万平方メートルにも及ぶ大規模なものであった。
その後は本多家、久松松平家など七家21代が藩主を務め、慶応3年(1867)に幕府直轄(城は二本松藩預かり)となった。戊辰戦争の白河口の戦いでは、奥羽越列藩同盟軍と新政府軍の間で激戦が繰り広げられ、ほとんどの建物を焼失する。
発掘調査や当時の絵図をもとに平成3年(1991)には御三階櫓、平成6年(1994)には前御門が木造で復元され、往時の面影がよみがえった。御三階櫓では白河口の戦いの激戦地だった松並稲荷山の杉を使用したため、部材に当時の弾痕が残る。
東北地方の城としては珍しく、本丸と二の丸を取り巻いた壮大な石垣も特徴のひとつ。今も本丸と腰曲輪の竹の丸には見事な石垣が見られる(三ノ丸は土居造り)。しかし、平成23年(2011)3月11日に発生した東日本大震災で、城内10か所の石垣が崩落。震災前に撮影された写真を参照しながら、約7千個の石を復元する工事が現在も続けられている。
白河小峰城の撮影方法
白河小峰城は、主に二ノ丸や前御門から御三階櫓を望むと平山城らしさが出て美しい。見る角度によって変わる御三階櫓の表情を捉えよう。また、バラエティ豊かな石積みの数々を写真に収めるのも良い。ちなみに搦手側は桜の時期など隠れた撮影スポットだ。
白河小峰城の写真集
城郭カメラマン撮影の写真で探る白河小峰城の魅力と見どころ「お城めぐりFAN LIBRARY」はこちらから。白河小峰城の関連史跡
白河小峰城の東へ徒歩散策を。「戊辰薩摩藩戦死者墓」や「旧小峰城太鼓櫓(移築)」、「蛇尾の石垣」がある。また、最近の新たな見どころとして、JR白河駅の南側に道場門跡の虎口がある。石垣とともに発掘整備された虎口でその規模が実感できる。また、さらに通なところといえば、「スローライフゆう工房」。その裏庭に外堀土塁が残っているぞ。頼めば見せてくれるかも(いずれも上記Googleマップ参照)。
「旧脇本陣柳屋旅館 蔵座敷」も良い。1804年に大名や役人の旅館、脇本陣として建設、戊辰戦争時は斉藤一など新撰組隊士も泊まった。白河市が個人から譲り受け、1億5千万をかけ修復。修復に3年を経て、2018年4月に一般公開された。外観は蔵だが内部は和室が3部屋で書院造りの部屋もある(福島県白河市本町66番地)。
そのほか城外で見どころは、「丹羽長重廟(白河藩大名家墓所)」白河城の前身で中世山城「白川城跡(別名:搦目城)」関東からの東北への入口で堀跡が残る「白河関」など。もっと旅の風情が欲しいときは、白河藩主、松平定信が造営した景観が美しい「南湖公園」へどうぞ。
白河小峰城のおすすめ旅グルメ
「とら食堂」ラーメン屋。福島県白河市は、市内80店舗の麺処があり、その中の中心的存在。場所は白河市双石字滝ノ尻。JR白河駅よりバス15分だが、タクシー利用で「とらそば」と言えば場所が通じる超有名老舗。行列覚悟のこと。またもっとカジュアルにということであれば、JR白河駅構内にある「えきかふぇ」でご当地バーガーが食べられます。メープルサーモンのカツと白河豚のカツの二種類がありますよ。 [光秀 (2010.08.07)]・[さよ (2010.08.07)]
白河小峰城の史跡めぐりにこだわる最適なホテル
いっそ那須湯本温泉郷に一泊し白河・棚倉を攻められては? [大井 明 (1999.06.16)]
白河小峰城のアクセス・所在地
所在地
電話:0248-24-5050(白河集古苑)
開館時間
御三階櫓は10〜17時(4〜10月)、10〜16時(11〜3月)、休館日は12月29日〜1月3日。
アクセス
鉄道利用
JR東北本線、白河駅下車、徒歩5分。駅の出口は南側にしかないため、改札を出て左手にある高架下の連絡通路を徒歩で抜けて北側に抜け、城へどうぞ。その連絡通路には、白河小峰城の歴史や白河の歴史がパネル展示してあるぞ。
マイカー利用
東北自動車道白河IC下車、約10分(3km)。JR白河駅前の無料駐車場(30台)を目指す。駐車場が三ノ丸。
白河小峰城はできればじっくり見て欲しいですね。ただ天守に登るだけでなくて、是非城のまわりを一周してみてください。たいして大きい城ではないのでそれほど時間はかかりませんから。本当は外郭の石垣も相当な規模で残っているのでそれも見て欲しいのですが、そうなるとちと時間がかかってしまいます。本丸の石垣では、同心円上に積まれているところや、南側の犬走りにある石切場の跡なども見所だと思います。また、石垣にはよく見ると焦げたところなどがあって、たぶん幕末時の死闘を物語るものだと思います。西の搦手側からの眺めもなかなかいいものです。
( 地蔵)さんより
兎に角石垣が立派です。現在城跡は本丸以外消滅していますが、この本丸の石垣こそ白河城の白眉といってもいいでしょう。本丸の正門、清水門跡を入ると正面に高石垣が聳えますが、左右に半円状の積み方をしている部分が有り、謎です。
( 大井 明)さんより
平成に御三階櫓とそれに続く御前門が木造で古図「御櫓絵図」(1808年の一級資料、諸門諸櫓の建地割図集)に従い忠実に復元され、かつての「石垣だけが立派」という状態から変貌しています。
( 大井 明)さんより
別名「小峰城」ともいう。鎌倉時代より結城白川氏が所領していたこの地を天正18年豊臣秀吉の命で蒲生氏の所領となった。その後寛永四年、幕命で丹羽長重(織田信長に仕え秀吉出世の足がかりとなったあの丹羽長秀の子。秀吉没後一時丹羽家は取り潰され、その後復活した。何とも数奇な)が入封し、中世城郭だった小峰城を近世城郭に修築した。寛永9年完成。その後松平諸家が交代で入封、幕府直轄となり幕末の戊辰戦争を迎える。戊辰戦争白河口の戦いで、会津藩の攻撃を前に守備兵が城を焼いて退却したため主要部は焼失、その後の戦い・破却で建造物は失われた。
( 大井 明)さんより
書籍『丹羽長重と小峰城』城址内の集古苑で販売。
( 大井 明)さんより
白河城は城の現在、本丸と二の丸の一部を残しているのみですが、不等辺五角形をしていたという外郭の石垣北東部分が、御三階から国道294号線へかけて500mほど残っています(端の方は森林化しており不明瞭)。郭の内部も市街地化しており、石垣の上に民家が建ち並んでいます。防御力の高そうな民家です。
( Takashi)さんより
再建された御三階櫓には戊辰戦争の際、激戦地となった杉の古木を使用している。その古木には多数の弾痕があったらしく、実際、城内の柱や床板にもその痕跡を見ることが出来る。ちなみにそのあとは分かり易く「ここが弾丸のあと」と言うような感じで明示してある。
( のぶのぶなが)さんより
二の丸にある公衆トイレは、化粧処を外観復元した建物らしい。もちろん木造に白漆喰と本格復元だが、中身はしっかりトイレ。
( 城の観光好き)さんより
石垣の同心円状のつみ方は、谷積みというそうです(詳しくは、ボランティアの方がよくご存知です)。この積み方は、姫路城と名古屋城と白河小峰城だけだそうです。
( さよ)さんより
この連休に行ってまいりました。石垣は壮大でした。本丸は料金も無料で吃驚です。『武士の一分』で撮影に使用されたみたいですよ。
( 雑兵)さんより
2013年に発生した東日本大震災により石垣の崩落をはじめ施設全体に甚大な被害がありましたが、現在修復作業が進められており、2015年4月に入城できるようになりました。
( 城好きの匿名希望)さんより
3.11の震災で、石垣が崩落。本丸南面の落し積みはすでに修復済み。城域すべての石垣修復は、平成31年までかかるであろう見込み。平成21年に国史跡指定を受けたので、この時の状態に忠実に戻すことを目指している。
崩落した石材の中には、どこに使われていたか不明なもの、割れてしまったものも中にはあるそうで、これらは新しい石材に置き換わるらしい。現在、本丸へは西側の桜之門跡から登城できる。三重櫓はすでに修復を終えて内部見学可。三重櫓に続く前御門は、本丸内側(西側)からのみ見られる。なお、前御門の正面(東側)が見られるのは、少なくとも2017年以降となるらしい。
( shriofan)さんより
石垣の谷積みは香川県観音寺市の皇太子神社にもありました。麹の神様をお祀りしている神社だそうです。規模は小さいですが、実に見事です。
( 城好きの匿名希望)さんより
清水門の復元計画がスタート。約6億円をかけ令和6年の完成を目指すそうな。
( shirofan)さんより
このエリアでは「白河の関」も有名らしい。「白河の関」は城郭大系にも掲載されていました。
( 城好き匿名希望)さんより