写真:岡 泰行
来島城の歴史と見どころ
来島村上水軍の拠点、来島城の歴史
来島城(くるしまじょう)は、来島村上水軍の拠点で、最大潮速時速約20kmの来島海峡の喉元に位置する海賊の城だ。発展のため三家に分立し来島、能島、因島に分かれ海上を支配した村上氏。応永26年(1419)、来島には村上義顕(よしあき)の三男吉房(よしふさ)が入り、6代約160年続くこととなる。4代、道康の時、主家河野道直の名称になろうとするが、それに反対する家臣団に攻められたが来島城は落ちなかった。
永禄12年(1569)、来島氏の臣、池原牛福丸が河野氏を継いで後は、因島村上氏、能島村上氏との紛争が絶えず起こり、天正10年(1582)、毛利氏・河野氏の連合軍により織田信長側に寝返った来島城を攻撃、時の当主、道総(みちふさ)は、備中にいた羽柴秀吉を頼り来島城を脱出、その後の秀吉の四国平定でこの方面の先陣を務めた功で伊予の風早郡一万四千石を与えられ、来島を完全に離れ来島城は廃墟となった。その後、徳川家康に仕え、関ヶ原の合戦の後、慶長6年(1601)、豊後の山奥、角牟礼城(大分県)に移封となり山麓に陣屋(久留島陣屋)を築く。来島氏は長親の長男、通春の代に姓を「久留島(くるしま)」と改め明治まで続いた。
難攻不落の海の城、来島城。岩礁ピットを見るには
来島城は、来島村上氏の本拠で周囲850mの潮流に守られた小さな島だ。島の中心部は標高47mの南北に細長い山で本丸、二の丸、三の丸、屋敷跡などの削平地が残る。周囲の岩礁には、岩礁ピットと呼ばれる船と駐めていた柱穴が無数に残る。
現在、来島の南側護岸はコンクリートで固められているが、2002年の観光休憩所建設時の発掘調査で地表から約30~40cmの深さに岩礁があり、島の南側にもピットが確認されている(南側は現在は埋め戻されている)。島の北半分は来島城本来の姿をとどめている。潮位が60cmを切る時を狙って島に渡ると北側の岩礁をぐるりと歩くことができる。また、島の東側の岩礁には、戦国時代に利用されていた岩を削った階段が残っている。余談ながら岩礁ピットは波に洗われ続けているため、近いうちにその姿が見られなくなるともいわれている。
来島城の東岸には岩を削って造られた戦国時代の階段が残る(写真中央)。大島から出ている来島海峡急流観潮船でも来島の東側を通るため、この階段を海上から観ることができる。
現地で得られる資料は、波止浜港から定期船で来島に渡ると、港に来島城の解説板と観光休憩所があり、休憩所内部に多少の資料が展示されている。
来島城の撮影方法
村上水軍の海賊の城の撮影は、とにかく岩礁ピットを捉えておきたい。普段は海面下にあるため登城前に予め潮位をチェックしておくと良く、来島の北側に残る岩礁ピットをつぶさに見ようとすると、せめて潮位1m以下、いやもっと欲張って潮位60cm以下を意識したい。また、来島城の遠景ショットなら「大潮荘」から。詳しくはグルメスポットの項目を参照されたし。
来島城の写真集
城郭カメラマン撮影の写真で探る来島城の魅力と見どころ「お城めぐりFAN LIBRARY」はこちらから。来島城の関連史跡
小島の芸予要塞は壮大な遺跡
波止浜港からの定期船で渡ることができる島に小島(おしま)がある。周囲3kmの島で芸予要塞跡(小島砲台)と呼ばれ、日清戦争時の明治32年(1889)、ロシアを警戒して造られた。旅順攻略で二〇三高地を攻略するため、小島から大砲が運ばれた。小島の港近くに大砲がおかれているが、NHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』で忠実に外観復元された28cm榴弾砲のレプリカでゆかりの地である小島に設置されたものだ。芸予要塞は砲台や兵舎、火薬庫が残り、その造りを見て歩くと面白く、風景はまるでラビュタを連想させるものがある。小島は遊歩道が整備されておりすべてをまわると2時間30分ほどかかるので、定期船の時間に注意して計画を立てておこう。
来島城のおすすめ旅グルメ
眼下に来島(来島城)と小島(芸予要塞)を見下ろすロケーションにある「大潮荘」で海の幸をどうぞ。大潮荘は各席からの眺望が得られるが屋上も開放されており、壮大な風景が見られる。なお、大潮荘に向かう途中、来島海峡展望館があり、馬島や来島海峡大橋が観られる展望スポットもあるので、合わせて訪れると良いぞ。馬島は今治藩の馬を育てていた島らしい。
来島城のアクセス・所在地
所在地
電話:0898-36-1118(今治地方観光情報センター)
アクセス
鉄道利用
JR予讃線、今治駅下車、市内バス約20分、渡し場降車、徒歩1分で波止浜港(はしはまこう)。波止浜港から定期船で約5分で来島。
マイカー利用
西瀬戸自動車道、今治北ICから国道317号線を北へ約6分(2.4km)。波止浜港に無料駐車場(6台程度)有り。波止浜港から定期船で約5分で来島。
来島城は各曲輪とも狭いなりにも一応の広さがありますが本拠と呼ぶには不十分な気がします。やはり水軍の活躍の場は海上ということなのでしょうか。
( Hodaka Toya)さんより
来島城を眺めるのであれば、糸山展望台(今治市)がお薦めです。眼下に、来島海峡、それを渡るしまなみ海道、そして来島が一望できます。
( AKI)さんより
来島城は今治の造船所から400mほど沖合に浮かぶ、周囲1Kmほどの小島。島に至る海は、流れる外堀、難攻不落の天然要塞。カヤックでも5分とかからない。だが、東側は来島ノ瀬戸、西側は西ノ瀬戸と呼ばれ、潮流が波立ち、所々海面が盛り上がったりする。帰路は引き潮で5ノットの潮流に恐怖を味わった様に御座りまする。
( まつかぜ)さんより
この界隈にくると因島水軍城、甘崎城、能島城、来島城、小島(芸予要塞跡)はセットで訪れておきたいところです。
( shirofan)さんより
因島水軍城(資料館)には、次のようにあった。
「村上師清が南朝の長慶天皇の命で、佐木島、伯方島を兵粮料所として雑賀の湊から出航、伊予船所紀氏の後継者となり、次郎吉豊は因島本主中務大夫法橋入道跡を継ぎ、三男吉房は来島家を起こして一門三家が瀬戸内海中央部に盤踞することとなる。」
( 村上水軍)さんより
来島城に渡れば、帰りの船の時間をチェックして、できれば島を一周しよう。南は細い道が1本あり本丸への分岐点に看板がある。北は干潮時に堤防を越えて歩く。岩場をひたすら歩くので足下は悪く滑りやすく、くれぐれも慎重に。思ったより時間がかかりました。そして自分の足下ばかり見ているとビットを見逃してしまうことも。逆に潮が引いていない時は、本丸への登城のみになるので次の定期船まで時間が余る…。
( カンダタ)さんより