写真:岡 泰行
高知城の歴史と見どころ
関ヶ原の戦いで掛川7万石から一躍、土佐24万石の太守となった山内一豊が築いた城。四国の覇者といえば長宗我部元親。天正14年(1586)、秀吉の九州討伐に加わり、帰国後、現在の高知城がある大高坂山に城を築いたことがある。度々の川の氾濫に悩まされ、たった3年で新しく浦戸城を築いてそこに移った。大高坂城は自然災害に悩まされる地形にあったのだ。
慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いで西軍に属した長宗我部氏は領地を没収され、代わって山内一豊が入封した。一豊は当初、長宗我部氏の築いた浦戸城に入っていたが、海辺にかたよりすぎていたことなどから、新しい城の候補地を探す。それが大高坂山だった。工事は川の治水からはじまり、大高坂山の本丸にさらに盛り土をし、慶長6年(1601)から2年の歳月をかけ主要部分が完成、一豊が入城し名を河内山城と改めた。二代目の忠義の代になって全てが完成、名は高智山城と改められ、そののち略して「高知」と書くようになった。この山内家が明治までこの地で世襲した。
現在残る天守は、一豊時代のものではない。享保12年(1727)、城下の大火によって天守ほか多くの建築物が焼失。その2年後から普請を開始し、寛延元年(1748)、ほぼ同じ工法で再建されたものだ。高知城は、天守、書院、櫓、門など、完全に揃った形で現存しており、現存12天守の中でも比較的古い様式だ。本丸の書院から当時の大名の生活がしのばれるほか、大手門は、創建当時の遺構とされている。
高知城の模型
高岡郡佐川町の佐川地場産センターには、栗田真二氏制作の高知城懐徳館(本丸御殿)の模型が展示されている。高知龍馬空港には高知城天守の模型が展示されている。
城ファンが紡ぐ、シリーズ『城の歴史旅』
高知城の撮影方法
高知城の定番撮影スポットは、これまで追手門前から追手門と天守をセットで捉えるアングルだったが、2017年3月にオープンした「高知城歴史博物館」の展望ロビーからの眺望が、平山城の高さも感じられ良い。東側から捉えるため午前中が適している。より眺望を良くするため、博物館オープンに合わせ高知城の木々も剪定され、石垣もよく見えるようになった。また、博物館2階の喫茶店のテラス北側から望むと、山内一豊の銅像と追手門と天守の3セットを1枚に収められる初の眺望もある。
高知城の写真集
城郭カメラマン撮影の写真で探る高知城の魅力と見どころ「お城めぐりFAN LIBRARY」はこちらから。高知城の関連史跡
近くには元親公、信親公の墓、山内神社内にある山内家の宝物館でもある土佐山内家宝物資料館(JR高知駅下車、路面電車「県庁前」降車、徒歩5分)、司馬遼太郎の史料などがある高知県立文学館(城のとなり)、高知県立坂本龍馬記念館(JR高知駅下車、路面電車「はりまや橋」乗り換え、バス「龍馬記念館前」降車)など。
[半兵衛 (1998.05.25)]
桂浜(高知城から車で20分程度)がある。有名な坂本竜馬の銅像があるぞ。山内一豊の銅像は城となりの高知県立文学館に。
[YASUHIRO-NOZAWA (1997.09.01)]
龍馬さんとこ(桂浜)行くがやったら朝早よーいったほうがえいで。すげー混むき。
[オジャ (1998.05.25)]
高知城のおすすめ旅グルメ
高知名物アイスクリン
夏場はアイス屋が高知城内にいる。その名も「高知名物アイスクリン」。アイスクリンは高知県の人が発明。普通のアイスとひと味違う。土佐の夏はこれがないとはじまらんがじゃきに。高知へきたら、買うて行っとうせよ(文:YASUHIRO-NOZAWA・前田修理亮幸茂)。
大手門前の日曜市
おすすめは大手門前の日曜市。大手門の前から数キロにわたって。当然日曜しかやりやーせんけど、いろんな物が安う売りゆーき寄ってみーや。ほんで、売りゆーおばちゃんらーに声かけてみーや。すごい土佐弁が聞けるきオモロイで(文:オジャ)。
鰹のたたき
鰹の消費量全国1位の高知。かつお料理では本場のわら焼「鰹のたたき」は是非食しておきたい。大手門から東に1ブロックのところに「ひろめ市場」があり、高知の食をいろいろ愉しむことができる。
高知城のアクセス・所在地
所在地
住所:高知県高知市丸ノ内1丁目2-1 [MAP] 県別一覧[高知県]
電話:088-824-5701(高知城管理事務所)
開館時間
9時〜17時(入館16時30分まで)、12月26日~1月1日休館。
アクセス
鉄道利用
JR土讃本線、高知駅下車、徒歩30分。または、路面電車(土佐電気鉄道市内線)「電車高知城前」降車すぐ。
マイカー利用
高知自動車道、伊野ICから国道33号線を東へ約16分(6.5km)。
その昔、仮面ライダーV3の劇場版に登場している(笑)
( YASUHIRO-NOZAWA)さんより
天守から高知市内が一望できる。夜は公開していないので御注意を。
( YASUHIRO-NOZAWA)さんより
知ってるかもしれませんが、高知城の旧名(長宗我部元親が治めていた頃)は大高坂城です。当時は沼地が多く使えなかったらしいです。
( 白鉢巻)さんより
追手門を何気なくくぐると、柱の陰に土佐犬が寝ていた。危うく前足を踏みそうになり、「なんで、こなんとこに犬がおるん?」とつぶやくと、「前をよう見んきに…」飼い主に睨まれたことがある。有料記念撮影の小道具らしいが、とんだ災難いや、私の用心不足でした。
( 城山神々)さんより
本丸の建造物や主要部の石垣がほぼ完存するものの、東南部(侍屋敷跡)以外の堀が明治期に埋められたのは残念。今後の整備としては、建造物の復元よりも、県庁舎・図書館等の移転と、内堀の再掘を期待します。
( 城山神々)さんより
望楼型でも総塗籠の天守。突揚窓は二層目のみで、他は格子窓になっており、内部は引戸ではなく、観音開。古式構造でも、細部はやはり江戸中期。一層目中段に軒屋根を廻らせているのは、台風の多い地方だからなのか、近辺の旧家にも例がある(この天守は四層とするのが一般的だが、私は三層と考える)。本丸石垣と天守台を兼用し、本丸内部から見る天守は軒屋根のせいもあり、下層が貧弱で不格好。
( 城山神々)さんより
各郭の石垣の根石周辺に排水路がある。石垣側面上部にも排水用の石管が突き出ている。気候と軟弱な地盤を考慮したのか。特に旧二の丸詰門跡から三の丸に下る石段の途中に木板の蓋があり、開けてみると排水路のかいしょがあり、二の丸方向へ石管が三の丸方向へは土管が地下を走っているのがわかる。
( 城山神々)さんより
「龍河洞」という鍾乳洞があります。高知市からはちょっと遠いですが…。しかし、規模は日本でも指折りです。近くに竜馬資料館もあります。そうそう、高知空港からは結構近いです。
( オジャ)さんより
毎年お盆前後に「よさこい祭り」が開催されます。これは地元の人間がいうもの変ですが「見れる」祭りです。遠路はるばる高知城にいらっしゃる方は、是非タイミングを合わせてください。
( オジャ)さんより
高知城は掛川城にそっくりです(逆?)それというのも、一豊が掛川城から高知へうつり城をつくっているときに「掛川のとおり」といったそうです。
( 透)さんより
高知城は1601年に山内一豊が築いた。21世紀初年は、築城400周年にあたる。享保年間に城下町の大火で焼失し、現在の天守は寛延元年(1748年)に再建されたものだが、古い時代の造りをよく残している。現存する木造の十二天守のうちのひとつ。三層六階の天守閣の最上階は戸が明けはなれていると向こう側の空が見えるほどで開放感は抜群。無粋な金網などなく、高所恐怖症の人間には回廊に出るには勇気を要する。桂浜に行く途中に長曾我部元親初陣の地があり元親の銅像がある。
( todo)さんより
三の丸から排水設備の遺構が2ヶ所見つかったらしい。全国的にはめずらしく、ほかでは、仙台城などで確認されているそうな。
( 左近)さんより