日本軍守備隊の陣地壕

浦添城の伊波普猷の墓から、グスクへ向かう道で、石垣が分断されたところを通る。城門があった場所ではない。右側の石垣は戦争で破壊されたものの当時の城壁のライン(基礎石などから判断)で、左側が想定されるラインを復元したものらしい。現地案内板を見ると、城壁のラインのどこが想定でどこが確認されているラインかがイラストマップで明記されている。現地の古老によると、左側の石垣の麓に、陣地壕の跡(穴)があるが、日本軍守備隊のもので、浦添城の南側にあるシーマヌウタキと内部で繋がっているのだとか。自衛隊が年に何度か当時の壕を調べるために、内部に入っているらしい。

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