写真:岡 泰行
岡城(豊後竹田城)の歴史と見どころ
竹田市立歴史資料館が市内にあります。
歴史の道というのを岡城料金所で1,000円で販売しています。また、入場料300円と引換えに縄張り図付きの巻き物をいただけて、これが重宝します。
岡城(豊後竹田城)の関連史跡
九州の小京都といわれている竹田。土塀が続く町並みが残る殿町の武家屋敷など城下町散策がおすすめ。キリシタン礼拝堂も。
岡城(豊後竹田城)の史跡めぐりにこだわる最適なホテル
「ホテル 岩城屋」など。竹田駅から車で5分。
岡城(豊後竹田城)のアクセス・所在地
所在地
鉄道利用
JR豊肥本線、豊後竹田駅下車、緒方・三重方面行バス5分「岡城入口」降車、徒歩15分。
マイカー利用
無料駐車場(200台)有り。車だと大分市から国道57号線で一時間半といったところ。
城の北を稲葉川、南に白滝川を天然の濠として、その二本の川に挟まれた標高325メートルの台地上に岡城があります。最初に目に入るのが大手門へと続く急な階段と特徴的なのがカマボコ型石塁です。加藤清正の意見により大手門は西に移されたそうで、古大手門と大手門があり、城門の車敷がはっきりと残っています。
( 林田 公範)さんより
主要郭を区切る西中仕切跡から先の太鼓櫓門、三の丸、二の丸、本丸三層櫓などの石垣はお城ファンを唸らせます!さらに進むと東中仕切、廟所、搦手にあたる下原門があります。そうそう、二の丸跡に残る空井戸は明治元年の調査で横穴が確認されていたそうですが、現在は井戸の深さも半分ほどになりその横穴の存在はわかりません。
( 林田 公範)さんより
その他、普請方跡や家老屋敷跡も礎石等多くの遺構をとどめており、城内いたるところに瓦、漆喰などころがっています。一通り見たあと帰りは近戸門を抜け右手に空堀を眺めてから七曲がりと呼ばれるつづら折りの急な坂になった通路を通り駐車場へ戻るのがオススメ!
( 林田 公範)さんより
私の先祖は江戸時代に九州から静岡に移って来ました。ある時、同じ名前の方に聞いてみたところ やはり先祖は九州だったとのことでした。当時、私の先祖は岡城の殿様に仕える大工の頭領だったとのことでした。一度先祖のルーツを訪ねて行って見たいと思っています。
( 岡 秀明)さんより
平成11年8月現在大手門復興工事中です。春は桜、秋は紅葉の名所。
( 愚践)さんより
牛が臥せった姿に見えるので、臥牛城とも言います。私の曽祖父は幕末まであの城にお小姓として勤めていましたが、実は岡城のあの急な石段のどこかには「馬の首」という心霊スポットがあり、若侍仲間で肝試し大会が開かれていたとか。今でも竹田の年寄りに聞けば、どの辺に馬の首がでるのか教えてくれると思います。 ちなみに「馬の首」とは、確か戦場から主人の戦死を伝えに帰った馬が、逃げ帰ったと勘違いした奥方に首を刎ねられて、今でも伝えようとして走り続けてる…という話でした。
( へそ)さんより
馬の首?石段ではなく近戸方面に抜ける道筋ではないですかねえ?
岡城の特徴は「車軸築」(くるまじくきづき)です。石垣をじっくり見ると中心の軸となる大きな石のまわりに石がぐるりととりまいているのがお分かりいただけるでしょう。
車の軸のような石積みということで車軸築といわれています。
阿蘇が近くて地震が多いこの場所では、この石垣造りで重量のベクトル分散をして凌いでいるのだそうです。昔は正面の石垣もこの状態だったそうですが、壊れて積み直した際になくなりました。車軸築は高度な技術が必要なので。
中川家なのに岡藩とはこれいかに?
「岡」とは滋賀の木之本の賤ヶ岳の戦いで自刃した中川清秀公を丁寧に弔い供養をした岡家に報いるものという一説があります。岡家は地蔵院の東隣りに居を構えていたそうですが、私は確認していません。
カマボコ石には■な穴がありますが、屋根の支柱の差込み、あるいは松明を設置する穴ともいわれています。大手門の石段の途中で石垣がカクンと列違いになっています。これも石垣の強度(地震の際に揺れを吸収する)を増すためのものといわれています。正面を上り切って桜並木に入る手前右手にやや大きな石がありますが、1579年?に移封となって豊後に入封した記念の焚火が灯されていたそうです。
中川がキリシタン大名?ということで本丸の石垣に十字架が刻み込まれていますが、これは昔の人のイタヅラのようですね。
裏門(昔はここが正面門)を出て左の藪の中を下ると、そこにはお城の水場があります。
びっくり仰天しますよ!本当の岡城を見ることが・・・・
あ、でもずいぶん昔のことなので今はどうなっているのやら・・・・・?
歴史のロマンですねえ!
( 城好きの匿名希望)さんより