写真:岡 泰行
飫肥城の歴史と見どころ
日向国南部に位置する飫肥。室町時代の頃、飫肥郷の海沿いにあった油津と外浦、ふたつの港は、明や琉球との貿易船が立ち寄る場所であった。このため、南九州に覇を唱えたい島津氏と日向国全土を勢力下にしたい伊東氏の間で約80年にわたる争奪戦が繰り広げられた。
1567(永禄10)年、伊東義祐が一度は手中にするも、1572(元亀3)年の木崎原の戦いを期に勢いを失ってしまう。1577(天正5)年、義祐は豊後の大友宗麟を頼って落ち延び、飫肥城は島津氏が支配した。
豊臣秀吉による九州攻めの後の大名配置(九州仕置)により、秀吉の家臣となっていた伊東祐兵(義祐の子)の領地となり、後の飫肥藩5万1千石の礎となる。
祐兵は飫肥城下町の整備にも努めたが、城はほぼ中世の姿であった。1662(寛文2)年の外所(とんどころ)地震以来、3度の大地震で被害が出たため、藩では幕府の許可を得て城を改修し、石垣を取り入れた近世城郭として生まれ変わることになる。
明治維新後、ほとんどの建物が破却されたが、昭和53(1978)年に大手門、翌54年には松尾の丸が復興されている。
飫肥城本丸への登城路。石段の上と右手奥にはかつて、升形虎口を形成する城門が置かれていた。
飫肥城大手口を固める犬馬場の石垣。本丸へ至る通路は登城者側からは見えない工夫が見られる。
飫肥城旧本丸の北門。立ち並ぶ飫肥杉は2004年放送のNHK朝ドラ『わかば』にもたびたび登場。
飫肥城歴史資料館
飫肥藩伊東氏にまつわる甲冑、武具、衣装、古文書、絵図など約220点が展示・保管されている。
飫肥城の関連書籍
『飫肥城歴史資料館研究紀要』(飫肥城下町保存会)
『絵図と古文書』1・2(飫肥城下町保存会)
飫肥城の撮影方法
一番の撮影スポットはやはり大手門だが、休日に訪れると人を入れずに撮るのは至難の業かも。また、旧本丸は苔むす空間が美しく写真映えするのでおすすめ。
飫肥城の関連史跡
飫肥城下町
飫肥の町は、昭和52年(1977)、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。当時の街並みや武家屋敷の風情がよく残り、散策に持って来いのスポット。
日露戦争の講和(ポーツマス条約)締結に尽力した当時の外務大臣、小村寿太郎の生家、江戸末期の飫肥藩士で後に幕府の儒官として「文久三博士」と呼ばれた安井息軒も教鞭をとった藩校の振徳堂、上級家臣だった旧伊東伝左衛門家などがあり、カフェや食事処、ギャラリーなどもそろう。
豫章館
豫章館は1869(明治2)年に建てられ、藩主が居住していた屋敷地。
松尾の丸
飫肥城の松尾の丸に、江戸初期の意匠で復興された書院造の藩主御殿がある。
飫肥城のおすすめ旅グルメ
藩主に献上していた厚焼卵
藩主に献上していた厚焼卵は、プリンのような甘い味わいで最初の一口はみんなビックリ。江戸時代から続く伝統の味覚を代々受け継ぐ間瀬田厚焼本店にはお土産用もある。
飫肥のてんぷら
魚のすり身に豆腐などを練り込んで揚げる飫肥のてんぷら。見た目は薩摩揚げに似ているけど、黒砂糖を使っているので若干甘さが強い。元祖おび天本舗や、国道220号線沿いの「にこにこショップ」などで買える。
日南一本釣りカツオ炙り重
指定店だけで食べられるご当地グルメ「日南一本釣りカツオ炙り重」は、新鮮なカツオを七輪の木炭で炙って食べるから、おいしさも格別。時季や入荷状況によっては提供してないこともあるので、事前に電話がおすすめ。
名産の伊勢えびを
毎年9月から11月にかけて、太平洋に面した日南海岸沿いのドライブインやレストランでは、名産の伊勢えびを楽しめる「伊勢えびまつり」が行われる。飫肥から少し足をのばして、大都市よりも格安で供される新鮮な旬の味覚をたっぷりとどうぞ。
飫肥城の史跡めぐりにこだわる最適なホテル
リゾートホテル、ビジネスホテル、民宿、ゲストハウスなどあり。ぜいたく目に過ごすならリゾートホテル、日向灘(太平洋)どれの土地の味覚を味わうには民宿、旅の疲れを癒したいときは郊外の北郷温泉もいいかも。県南や鹿児島県志布志市の城跡などを回るなら、日南市の宿をベースにしよう。旅程によっては、宮崎市または都城市のホテルをベースにするのもひとつの手だ。
飫肥城のアクセス・所在地
所在地
住所:宮崎県日南市飫肥10丁目1-1 [MAP] 県別一覧[宮崎県]
電話:0987-25-5566(飫肥城歴史資料館)
開館時間
飫肥城域は散策自由(飫肥小学校敷地内を除く)。飫肥城歴史資料館は9:00〜17:00。
アクセス
鉄道利用
JR日南線、飫肥駅下車、徒歩15分。
マイカー利用
宮崎自動車道田野ICから南へ約40分(30km)。無料駐車場(60台)有り。
飫肥城以外にめぐりたいスポットがあれば、バスや列車より車の方が便利。宮崎ブーゲンビリア空港やJR宮崎駅周辺にはレンタカー会社もいくつかあるので、旅程に合わせて事前予約しておこう。
遺構は石垣と堀。飫肥城は、もともと9つの城から成り立つ平山城。別名を亀井城とも言う。明治4年に全てが取り壊されたが、昭和53年に大手門を再建。
( 半兵衛)さんより
長々と伊東と島津が争った城。江戸時代は飫肥藩・伊東家5万1千石の城下町。現在、徹底的に町並みを城下町にしている。
( 井上真改)さんより
城内には、関税自主権を回復した小村寿太郎の記念館がある。
また城下町は国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。
( 城好きの匿名希望)さんより
飫肥城の前では、観光客が弓を射ることができるが、これは歴史的な由来がある。戦国時代の南九州で武将らの遊びといえば、「四半的」という弓。この試射が体験できる。的の距離が四間半、的の大きさが四寸半、矢の長さ四尺半と、すべて「四半」がその由来。明治期には正月の遊びとなったらしい。
( shirofan)さんより