写真:岡 泰行

中津城の歴史と見どころ

黒田官兵衛に対する印象は、現地人曰く、姫路では「軍師」、中津では「策略家」だそう。策略家は今でいう、世渡り上手の意味あいなのだとか。日本三大水城のひとつと言われる中津城は、周防灘に注ぐ中津川の河口にある。黒田孝高(官兵衛)が秀吉から豊前国(ぶぜんのくに)を与えられ、その中心に築城された。

中津城の構造

城は山国川の支流、中津川沿いにあり、海に近いことから満潮時は堀に海水が入る。このため、日本三大海城に数えられることもある(ほかのふたつは、今治城・愛媛県今治市、高松城・香川県高松市)。本丸を中心に北に二の丸、南に三の丸を配し、全体的には扇型を形成している。本末は上段と下段の二段になっており、上段に藩主の屋敷、下段に表書院や松の御殿が置かれたほか、櫓は15基あったが天守はなかったとされる。その他、二の丸に櫓4基、三の丸に3基、門は全部で8か所あった。

中津川河口付近から見る中津城

西は天然の堀である中津川、北は周防灘に沿っている。東側に二重、南は三重の堀で囲まれている。外堀の内側には、「おかこい山」と呼ばれる土塁が巡らされていた(中津城ページ「歴史スポット」の項参照)。黒田時代の石垣の一部は、古代山城の唐原山城(唐原神籠石・福岡県築上郡上毛町)から運んできたものだ。

中津城模擬天守は、昭和39年(1964)に鉄筋コンクリート造で再建された。この天守が「奥平家歴史資料館」となっており、一般公開されている。開館時間は9:00〜17:00(年中無休)、有料(福澤諭吉旧居・福澤記念館、中津市歴史博物館との共通券あり)。天守以外のエリアは散策自由。

中津城総構えの土塁、おかこい山

中津城として忘れてはならないのが、「おかこい山」と呼ばれる総構えの土塁。中津城下に点在する(詳しい場所は上記Googleマップ参照)。

  • 自性寺おかこい山

    自性寺おかこい山

    奥平家菩提寺の自性寺周辺には、南北150m、東西230m、高さ約5mの外堀のおかこい山が残る。

  • 金谷口おかこい山

    金谷口おかこい山

    東西約130m、高さ約4mのおかこい山が残り、道路横の公園から見られる。

  • 鷹匠町おかこい山

    鷹匠町おかこい山

    外堀のおかこい山で、東西16m、南北10mほど残り、復元整備されている。

九州最古の近世城郭『中津城を知る』

中津市のWebサイトで九州最古の近世城郭『中津城を知る』がPDF公開されている。中津城の全体像と近年の石垣整備などを知ることができる優れもの。

そのほおか、『マンガ 黒田官兵衛と宇都宮鎮房 戦国の世を生きる』(屋代義宣・画/大分県中津市・監修)など。

中津城の撮影方法

定番撮影スポットといえば、中津城本丸を水堀越しに撮影するスポット。東側から望むので思い切って早朝が良い。

中津城の写真集

城郭カメラマン撮影の写真で探る中津城の魅力と見どころ「お城めぐりFAN LIBRARY」はこちらから。

中津城の関連史跡

中津の寺町と合元寺

中津の合元寺中津城の城下で、松厳寺、明蓮寺、合元寺(赤壁で有名)と続く寺町は見ておきたい。有事の際の敵を迎え撃つ備え(伏兵)のために、各寺院の敷地が食い違い死角を有する城下町の防衛ラインとなる。その他、金谷町や仲間町、鷹匠町などに土塀や白壁、格子戸などが残る風情のある城下町も。

合元寺は、城井(宇都宮)鎮房が黒田長政の謀略により中津城で殺害された際、合元寺で待機していた鎮房の家臣たちも黒田勢と斬り合いの後、全員討ち死にした。寺の壁は何度塗り替えても血痕が残るため、最後は赤く塗られてしまったという。庫裏には、当時の刀傷が残っている(大分県中津市寺町973)。

後藤又兵衛の墓

後藤又兵衛の墓黒田氏の重臣だった後藤又兵衛基次は、黒田長政との関係が悪くなり出奔。その後、大坂城の豊臣方に加わり、1615(慶長20)年、大坂夏の陣の道明寺の戦いで討ち死にしたとされる。しかし、実は生き延びて、この地で亡くなったという伝説が残る。中津市指定史跡。又兵衛が落ちのびた説は、奈良県宇陀市にもあり、後藤家の屋敷跡にある桜は「又兵衛桜」と呼ばれている。

中津市歴史博物館

旧石器時代から現代までの中津市の歴史や、中津城石垣を解説したビデオ『石垣が語る中津の守り』の鑑賞シアター、ガラス越しに石垣を眺められる石垣テラスのほか、カフェやミュージアムショップも併設されている(大分県中津市1290)。

中津ゆかりの城

長岩城この界隈には、中津の歴史に欠かせない大小様々な城跡が至近距離に点在する。大分県指定史跡の長岩城には是非とも足を運んで欲しい。

  • 長岩城
    国人領主、野中(仲)氏の22代390年続いた居城であった中世山城。急峻な扇山の地形を利用し、石塁や塹壕などの防御設備をもつユニークなもの。なお、1588(天正16)年、黒田勢に攻められて落城した。大分県指定史跡(大分県中津市耶馬溪町)。
  • 池永城
    黒田勢に攻められ落城した、薦神社大宮司の池永重則の城(大分県中津市上池永)。
  • 犬丸城
    同じく黒田氏に抵抗した、犬丸越中守清俊の城(大分県中津市犬丸)。
  • 大畑城
    黒田氏入封時の豊前一揆で最後に落城した、加来安芸守統直の城(大分県中津市加来)。
  • 田丸城
    島佐渡守祐了の居城。堀や土塁跡が残る(大分県中津市福島2174長久寺)。
  • 土田城
    いち早く黒田氏に従った、百富(留)河内守の城(大分県中津市三光土田)。
  • 秣(まぐさ)城
    城井(宇都宮)氏一族、秣大炊介の城(大分県中津市三光上秣)。
  • 一ツ戸城
    中間統胤の城。細川時代の石垣が残る(大分県中津市耶馬溪町)。
  • 平田城
    野中(仲)氏の城。黒田二十四騎のひとり栗山善助利安が居城とした。中津市指定史跡(大分県中津市耶馬溪町)。

福澤諭吉旧居・福澤記念館

福澤諭吉旧居中津藩士の子どもだった福沢諭吉が、青春期までを過ごした住宅と、諭吉の人生と資料などを展示した記念館(大分県中津市留守居町586)。

近隣の主要な城

岡城(大分県竹田市)、日出城(大分県速見郡日出町)、杵築城(大分県杵築市)、佐伯城(大分県佐伯市)、大分府内城(大分県大分市)、臼杵城(大分県臼杵市)、小倉城(福岡県北九州市)など。

中津城のおすすめ旅グルメ

中津からあげ

中津の唐揚げいわゆる鶏のから揚げ。1970年代ごろ、から揚げ専門店が登場し市内に広まっていったという。販売店が中心となって「聖地 中津からあげの会」も結成され、イベント出店やフォトコンテスト開催など、中津の唐揚げを全国に広める活動を展開している。ちなみに、大分や別府にいくとこれが「鳥天」となる。

鱧(はも)料理

筑紫亭のハモ中津といえば豊前海の鱧。日本料理「筑紫亭」が有名店。栄養豊富な豊前の海で育った鱧は、中津の名物。包丁で小骨を切って食べやすくする「骨切り」の技術も、中津で生まれたとか。夏限定かと思いきやオールシーズン。冬は冷凍ものだが、これが冷凍することで甘みが増す。国東半島から中津の近海で捕れる鱧は、夏は湯びき、冬は鱧ちり、しゃぶしゃぶなど、とにかくハモ三昧。6〜7月、9〜11月、そして冬と年に3回も旬があるので、中津城もこの季節を狙って訪れたい。

中津城の史跡めぐりにこだわる最適なホテル

中津市にはビジネスホテルや温泉宿など、20数軒そろっている。旅のシチュエーションに合わせてチョイスしよう。

中津城のアクセス・所在地

所在地

住所:大分県中津市二ノ丁本丸 [MAP] 県別一覧[大分県]

電話:0979-22-3651(奥平家歴史資料館)

鉄道利用

JR日豊本線、中津駅下車、徒歩15分。福沢諭吉旧居から徒歩8分。

マイカー利用

東九州自動車道豊前ICから約18分。無料駐車場有り。

城ファンの気になるところ (6)

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    周防灘に流れ込む中津川の河口に築城された水城。天正15年(1587) 、秀吉の名軍師、黒田如水の築城。古城、犬丸城を修築したもの。元和7年(1620)に細川忠興が入封。明治10年(1877)の西南戦争で残っていた建物が消失。現在は昭和39年(1964)に建てられた模擬天守と櫓がある。

    ( 半兵衛)さんより

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    本丸北面に残る石垣は、左右で積み方が異なる。向かって右側の石垣は初代城主、黒田孝高(如水)が築いたもの、左側が三代城主、細川忠興が築いたそうな。その境目が見られるぞ。

    ( 半兵衛)さんより

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    個人所有のお城です。個人での維持が危ぶまれています。

    ( 誉椎聖人)さんより

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    JR中津駅にある観光案内所にて無料レンタルサイクルを借りると城下町散策がぐっと楽になる。

    ( 右近)さんより

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    かつて中津城下を取り囲んでいたお囲い山といわれる高さ5メートルほどの腰巻土塁の一部が自性寺に現存している。ビジュアル的には墓地なので厳しいが足を運ぶ価値はある。

    ( 右近)さんより

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    中津は大分県の中で、一番市民税が高いらしく、山国川を挟んだ福岡県側に住み、中津に出勤する人が多いのだとか。

    ( shirofan)さんより

城の情報

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