写真:岡 泰行
都之城の歴史と見どころ
本丸跡に建つ「都城歴史資料館」へどうぞ。本丸跡には縄張図が描かれた案内板もある。
都之城の散策コース
都之城本丸跡に建つ「都城歴史資料館」は、AM9:30分〜PM5:00。
都之城の関連史跡
早水神社の北東に、島津発祥の碑がある。また、姫城町の市役所近辺は、一国一城令で都城が廃城となって後の都城領主館跡でその案内板がある。また、都城島津家の下屋敷門が、島津家米蔵屋敷門として残っている。そのほか、都城島津家の墓が残る龍峯寺跡など。
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大淀川沿いのシラス台地に都之城がある。資料館が建っている場所が本丸跡。
( 宮崎県人)さんより
平成6年に、都城歴史資料館と併せ、有志の寄附金によって城山大手門(脇戸附櫓門)が復興された。
( shirofan)さんより
都之城の本丸には、虎口跡とその門跡、南側に塀跡や建物跡(柱の位置が示されている)、その付近に鍛冶工房跡が残る。おあとつい見落としがちになるが、本丸の東側(歴史資料館向かって右側)には、虎口跡の案内板があり(公園整備で東側の虎口遺構は見られない)、その本丸一段下に腰曲輪が見られる。
( 宮崎県人)さんより
豊臣秀吉の準家臣、伊集院忠棟の居城がこの都之城。豊臣秀吉は伊集院忠棟に都之城10万石を拝領した。
関ヶ原合戦直前、【庄内の乱】が勃発した為に、鬼島津こと島津義弘は少勢で関ヶ原に参戦する羽目となった。その【庄内の乱】の舞台となったお城です!
【庄内の乱】とは、島津宗家と島津家を凌ぐ勢力となった島津分家の伊集院家の戦い。
豊臣秀吉の御朱印衆伊集院忠棟は、豊臣秀吉から直接、知行配分責任者に任命され重宝された。伊集院忠棟は島津家の人質となり、九州平定の際、九州の覇者島津家と豊臣連合軍を和睦交渉させた知将。伊集院家勢力拡大に怯えた島津義弘の息子の島津忠恒は伊集院忠棟を斬殺、命の恩人を仇で返した。
伊集院忠棟の息子の伊集院忠真が父親の仇討ちをする。これが【庄内の乱】。都之城は1年間の激戦、血の海となり、徳川家康が二度にわたり調停し、鎮圧した。伊集院一族は皆殺しとなった悲しい惨劇のお城でもある。
( 伊集院忠真)さんより