写真:岡 泰行
玖島城(大村城)の歴史と見どころ
大村善前の命により築城され、加藤清正の助言で改修された玖島城は、大村湾に突出した半島を利用して築城された平山城で三方を海に囲まれ海上交通を重視している。明治四年の廃藩置県まで十二代270年間大村氏の本城。
玖島城は庭園化され、市民の憩いの場となっている堀を渡るとまず目に付くのが、玖島城跡(大村公園)のシンボル的存在ともいえる板敷櫓である。玖島城の改修にあたり加藤清正が助言したとされ、この櫓台の扇勾配を見ているとそんな気がしてくる。
板敷櫓を右手に見て海岸沿いに進むと小さな造船所を思わせる石組みがある。これがお船蔵跡で、かなり良い状態で残っていた。おそらくこの石組みの上に覆い被さるように蔵が建っていて船をすっぽり格納できたのだろう…。この他にも新蔵跡と呼ばれる海に突き出した船着場が近くにある。
里郭から海へと通じる石段で47段あることから「いろは段」と呼ばれている石段がある。このあたりの石垣は、手が加えられておらず一部崩落していたりするのだが、そういう朽ちて風化しているような様がいい。
ここ玖島城跡でもっとも印象的だったのが空堀である。深さ6〜7m、幅18m、長さ200mの規模で一部水が溜まって原生沼みたいになっている。この空堀を隔ててすぐ向こう側は、本丸石垣が取り巻いているのである。
虎口は、新しく積み直された石垣と旧態の石垣が混在している。土塀は最近再建されたもので、「観光向けに、見た目だけ城らしくしたらいい」というのが滲み出ている。この虎口右手には、矢倉があったらしい…。本丸を取り囲む石垣はすべて寺勾配で直線的であった。
然程広くない本丸には、大村神社が建立されているほか、訳の分からん石碑も幾つも立っている。そんなもん気にせずに進むと搦手門跡を発見。とても小さく質素な造りであった。
大手門から左に折れ桝形がある。なんでも玖島城の桝形は、本格的でないのが特徴なのだとか…。大手門から右にいくと穴門がある。ちなみに最上部まで高さは4mほどで、石組みは粗いがいい感じ。ここを抜けると内堀で、今は菖蒲園や桜の名所として市民の憩いの場となっている。
(文:林田公範)
玖島城(大村城)の関連史跡
近くに玖島城築城前の大村氏の居城で三城城があり空堀、土塁が残っている。また、城下町の五色塀も見ておきたい(林田公範 1999.07.15)。
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