写真:岡 泰行
八木城の歴史と見どころ
八木城は、八木駅の西に位置する本郷集落南方標高330mの城山に築かれた山城で丹波地方有数の規模を誇る。築城年代は定かでないが16世紀後半には城として機能していたと推測され、丹波守護代の内藤氏が居城としていた。
天文22年(1553)、内藤氏は八上城主の波多野氏と対立、八木城を攻められ、時の城主内藤国貞は討死する。その後、松永久秀の弟、長頼が八木城を奪還した。永禄8年(1565)、丹波平定を成し遂げた長頼は勢力を回復してきた荻野直正によって討ち取られる。内藤氏は次第に力を失うが、永禄11年(1568)、織田信長の上洛を契機に信長の後ろ盾を得て、歴史の表舞台に登場する。
当時、内藤如安(ジョアン)というキリシタン武将がいた。内藤ジョアンは三好氏重臣である松永久秀の弟、長頼(内藤宗勝)の息子として八木城に生まれ、永禄7年(1564)ごろ、宣教師ルイス・フロイスより洗礼を受けたらしい。永禄11年(1568)、信長上洛後、足利義昭と信長の対立があり、この時、足利義昭についている。八木城には祭壇があり、イエズス会を示す金文字が付いたかぶとを身につけ足利義昭の元に参じたと伝わっている。一方、ジョアンの兄と甥は、織田側の柴田勝家に仕官したことから、内藤氏は一族を分けるかたちで対応したと考えられている。その後、足利義昭から離れ、宇土城主となったキリシタン大名の小西行長に仕官、文禄・慶長の役にも従軍した。慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いでは小西行長は西軍として参加、敗戦後、内藤ジョアンはキリシタン大名の高山右近を頼るも、慶長19年(1614)、キリスト禁教令でマカオへと追放、後にマニラへと移り寛永3年(1626)に死去した。
「姫の洞窟」明智軍丹波侵攻の際、内藤一族の姫がこの洞窟から逃げたと伝わる
八木城の構造は、最高所の本丸から四方の尾根に曲輪を展開するかたちで、八木城絵図(個人蔵)によると本丸は石積で囲われていた。現在も本丸の周囲で石積の一部を確認することができる。城の規模は、東西約700m、南北約900mの範囲にわたり、また、西に展開する支城ともいわれる内藤法雲郭(烏嶽)も加え、丹波地方有数の規模を有していた。
天正3年(1578)から始まる明智光秀の丹波侵攻の過程で八木城は落城する。合戦の様子を伝える当時の史料は無いらしい。八木城にはその後も光秀が材木を運び入れる指示をしていることから、改修して使用したことが考えられるという。本能寺の変後、廃城となった。現在、登山口付近に、内藤ジョアン顕彰碑が建ち、北麓にある東雲寺が八木城主の居館跡と伝わっている。亀岡より北は、朝霧がよく発生するため、晩秋には霧に包まれた幻想的な風景が見られることでよく知られている。
参考文献:『日本城郭大系11』(新人物往来社)・『八木城と内藤氏―戦国争乱の丹波―』(南丹市立文化博物館)
八木城の散策コース
八木城に至る登山道、城山自然歩道は、内藤ジョアン顕彰碑からトンネルを経て登るコースと、北より妙見宮を経て登るコースがある。前者から登城がおすすめ。登山口や本丸にある縄張図をしっかり撮影して山頂では方角をしっかり頭に入れて散策すると良い。帰りは妙見宮方面の登山口への下山も良い。
八木城の関連史跡
歴史香る街道筋の町並みが、八木駅の東、大堰川に沿う本町通りに残る。本町通りは旧山陰道で北進すると鳥羽宿を経て園部に至る街道だ。
また、八木町の安楽寺には、園部城の太鼓櫓が移築現存しており内部には亀山城にあった太鼓が掛けられている。
そのほか有名な城では、明智光秀の丹波亀山城や日本最後の築城とされる園部城が近い。山城派は丹波三大山城へどうぞ。丹波三大山城とは、八上城、八木城、黒井城の3城。
八木城のおすすめ旅グルメ
JR八木駅の東すぐ「お食事処まるや食堂」へ迷わずどうぞ。おばあちゃんとおじいちゃんが営む昔ながらの食堂。こういった昭和空間は貴重だ。男子としてはいろいろな定食を食べてみたいが、ここは戦国にちなみジョアンオムライスを食す。昔懐かしい味わいのオムライスに、ケチャップで「ジョアン」の文字がシュールだ。オムライスに上に建つ旗はキャラクター「じょあんちゃん」。十字架を首にぶさ下げ左手に刀を持っている。店主が気さくに話しかけてくれる食堂でつい長居してしまう。
(まるや食堂:京都府南丹市八木町八木東久保36 TEL:0771-42-2020 無料駐車場有り)
八木城のアクセス・所在地
所在地
住所:京都府南丹市八木町八木 [MAP] 県別一覧[京都府]
電話:0771-42-5850(南丹市八木町観光協会)
アクセス
鉄道利用
JR山陰本線、八木駅下車、西へ徒歩13分(約1km)で登山口。登山約50分で本丸。
マイカー利用
国道478号線、八木東IC、または、千代川ICより約10分(約3.5km)西山墓地駐車場(無料)を利用。登山約50分で本丸。
山陰道が八木城の東側を通っています。街道沿いには古い町並みもあり素敵です。川もあり重要な場所に城があるのが分かります。
( 城好きの匿名希望)さんより
城域が広く、踏破したくなる山城。「姫の洞窟」といわれる穴もあったりします。頂上(本丸)の眺望は良く、亀山城とか見えます。
( 丹波大納言)さんより