田原城(たわらじょう)は、この地を支配していた土豪、田原一族の城で、戦国期は飯盛山城の支城ともいわれている。永禄6年(1563)、三好長慶が飯盛山城でキリスト教を布教を許可したことから、城主の田原レイマンも三好長慶のもとで受礼した(主な長慶の家臣73名が洗礼を受けている)。その田原レイマンのキリシタン墓碑が、田原城の約400m北、田原氏の菩提寺だった千光寺跡で2002年2月14日に出土した。日本最古のキリシタン墓碑とされ、飯盛山城の東にある「四条畷市立歴史民俗資料館」で見ることができる。詳しい場所はGoogleマップでチェックを。