写真:岡 泰行
信貴山城の歴史と見どころ
信貴山城(しぎさんじょう)は、奈良県生駒郡にあり、標高433mの信貴山に築かれた山城。松永久秀が多聞山城とともに大和支配の拠点とした。本丸には四層の天守が建っていた。信長が参考にしたという説がある。
信貴山の最高所の主郭に建つ空鉢護法堂と一段下に信貴山城跡の石碑がある。そこから北に広がる松永屋敷跡などの削平地やその切岸は見ておくと良い。松永屋敷の西側の曲輪先端近くには石積みがある。
現地では縄張図を含めた案内板が松永屋敷入る入口に設置されている。そのほか、「信貴山観光iセンター」内のトイレ前に、信貴山城の資料が若干だが展示されている。まったくもって余談だが、ぼっとん便所が多い中、「信貴山観光iセンター」内のトイレが水洗ウォシュレット付きで最も綺麗。
信貴山城の散策コース
信貴山朝護孫子寺を目指すべし
信貴山城に行くには、朝護孫子寺に入り「信貴山観光iセンター」に立ち寄り境内マップをGET。空鉢護法堂(信貴山城の主郭で最高所)を目指す。「行者堂」横に、空鉢護法堂(主郭)への登山口があり徒歩30分で主郭に至る。また、主郭下の郭には信貴山城の石碑がある。
信貴山城の撮影方法
開運橋から信貴山を。余談だが、開運橋は、種別は上路カンチレバートラス橋といって、この構造でかけられた日本最古の近代建築。 また、信貴山の最高所である主郭には、空鉢護法堂(空鉢堂)が建っているが、ここに日本最初の天守があったのではと推測されている。その空鉢護法堂の台地全体を捉えるなら広角16mmほどのレンズが必要。
信貴山城の写真集
城郭カメラマン撮影の写真で探る信貴山城の魅力と見どころ「お城めぐりFAN LIBRARY」はこちらから。信貴山城の関連史跡
五輪の塔・松永弾正顕彰碑
近鉄「信貴山下駅」から南西へ約1.3km(徒歩約10分)の住宅街の中に、「五輪の塔・松永弾正顕彰碑」がある。松永方の将兵の慰霊碑。 (奈良県生駒郡三郷町立野北1丁目・上記Googleマップ参照)
松永久秀の墓
近鉄王寺駅・近鉄新王寺駅・JR王寺駅から1.5km(徒歩約14分)の「達磨寺」本堂西側に、松永久秀の墓がある。並んで片岡八郎公・片岡新春利の墓も。松永久秀は、永禄12年(1569)に片岡城を攻めたが、この時の城主が片岡新春利だそうな。 (奈良県北葛城郡王寺町本町2丁目・上記Googleマップ参照)
長岳寺の血天井
長岳寺の本堂にある血天井。松永久秀が龍王山城の十市氏を攻めたとき、長岳寺でも戦いがあり、十市方の武将が縁側から本堂に逃げ込み息絶えた。その足跡がくっきり残っている。足跡のほか数カ所にその痕跡が見られるとのこと。余談だが、長岳寺は、かつては僧兵300余りを持つ壮大な寺院だった。秀吉時代に寺領を没収され、家康時代に寺領を回復、日本最古の鐘楼門ほか重要文化財の仏像や建築物が残る。 (奈良県天理市柳本町508・上記Googleマップ参照)
信貴山城のおすすめ旅グルメ
開運橋前に、何件か蕎麦やうどんが食べられるところがあるが、残念ながら美味しいとはいえない。思い切って会席料理などを、付近の観光ホテルなどで食べるのがグルメかも(でも高い…)。
となると、お城ファンとしては、宇陀松山城に抜けることを想定して、途中、長岳寺の血天井(後述)を経由すれば、その付近は素麺の源流といわれる、三輪そうめんの産地。日本最古の神社とされる大神神社参道沿いにある老舗「万直し本店」などでどうぞ。出汁がすこぶる良いぞ。
信貴山城の史跡めぐりにこだわる最適なホテル
信貴山観光ホテル(温泉)、十三屋などで宿泊できるが、信貴山城の攻略に、主郭、松永屋敷の2点攻めで所要時間2時間ほどだから、この地に留まることはないのかも。
信貴山城のアクセス・所在地
所在地
住所:奈良県生駒郡平群町信貴山 [MAP] 県別一覧[奈良県]
電話:0745-45-2101(平群町教育委員会)
アクセス
鉄道利用
- 近鉄信貴線「信貴山口駅」より西信貴ケーブル「高安山駅」下車、バス「信貴山門」降車。
なお高安山駅にはタクシーは無い。また帰りの時間も要チェック、バスの最終ではケーブルの最終に間に合わないから要注意。 - 近鉄生駒線「信貴山下駅」よりタクシーまたはバス「信貴山門」降車。
- JR関西本線(大和路線)、または近鉄生駒線「王子駅」下車、バス「信貴山門」降車。
※バス停「信貴山門」からは朝護孫子寺までいずれも徒歩10分。案内が出ているので迷うことはない。
マイカー利用
西名阪自動車道「法隆寺IC」または「香芝IC」より約30分、または第二阪奈有料道路「壱分IC」または「小瀬IC」より168号線で約30分。朝護孫子寺の駐車場へ。
標高433mの信貴山雄嶽を中心とする奈良県下最大規模の中世山城。東西550m、南北700mと尾根に曲輪が点在している。整備はされていないので、主郭である空鉢護法堂(空鉢堂)と、その一段下の郭の城石碑、林道を東に下った松永屋敷の3点を最低でも押さえておきたい。
( shirofan)さんより
松永久秀が信貴山城で爆死した10月10日は、なんと10年前に大仏殿が焼け落ちた日だったらしい。
( 久秀)さんより
奈良では、規模的には、大和郡山城、高取城、宇陀松山城の3城を、戦国時代的には、信貴山城、多聞山城、筒井城の3城を見ておきたい。
( shirofan)さんより
信貴山には神社があり、登って行くと、石碑がある方向と神社の分かれ道があります。
詳しくは上記Googleマップを見てください。
( 城好き中学生)さんより
松永久秀が信貴山で死なずに逃げて生き延びた説があります。また、墓も3箇所あるそうです。
( 城好きの匿名希望)さんより