平成元年(1989)ドーンセンター建設に伴い深さ2mの地点で発見された石垣を、地上に移築。高さは約3.3m、野面積み石垣。秀吉の晩年、慶長3年(1598)に大坂城防衛のため造られたもので、大坂冬の陣後に家康によって取り壊され埋めらたもの。総延長約150mの石垣で大手門学院小学校まで伸びていた。現在、石垣は路上に面しており見学自由。
このほか、豊臣大坂城三の丸を知ることのできる展示は、おうてもん石垣ギャラリーと、大手門学院小学校東の東塀がある。
(文・写真=岡 泰行)
平成元年(1989)ドーンセンター建設に伴い深さ2mの地点で発見された石垣を、地上に移築。高さは約3.3m、野面積み石垣。秀吉の晩年、慶長3年(1598)に大坂城防衛のため造られたもので、大坂冬の陣後に家康によって取り壊され埋めらたもの。総延長約150mの石垣で大手門学院小学校まで伸びていた。現在、石垣は路上に面しており見学自由。
このほか、豊臣大坂城三の丸を知ることのできる展示は、おうてもん石垣ギャラリーと、大手門学院小学校東の東塀がある。
(文・写真=岡 泰行)