写真:岡 泰行
水口城の歴史と見どころ
水口城の歴史
水口城は、寛永11年(1634)、三代将軍徳川家光の上洛に合わせて造られた宿館。作事奉行は小堀遠州、江戸幕府直轄で築城された。城の縄張りは二条城を模したといわれている。現在遺る本丸は、東西約136m、南北約143mの方形。石垣の高さは約10.6mで幅約18mの水堀で守られている。
実際に将軍が宿泊したのは1回のみでそれ以外は城番により管理されていたが、50年後の天和2年(1682)、加藤明友が2万石で水口城に入り水口藩が成立する。その後、鳥居家に一度変わるが、また加藤家が入り幕末に至る。明治になり廃城となって後は、近江鉄道に石垣などが使われた。平成3年(1991)11月、御矢倉を模した水口城資料館が建設された。
資料館(御矢倉)の小屋組に当時の部材
御矢倉は「水口城資料館」になっていて水口城の模型などがある。受付をされている方は、水口町郷土史会員約9名で構成されているそうで、通名ガイドを聞くことがでる。お茶を出していただいてちょっと感動。ちょっと通な見どころとして、資料館(御矢倉)の小屋組に当時の部材が使われている。
水口城の撮影方法
出丸の模擬御矢倉(資料館)と、石垣の遺構が残る北西の櫓台の石垣は押さえておきたい(櫓台上部は積み直されている)。
出丸は御成橋側は北側なので曇りの日が撮影に適している。季節は出丸付近で咲き誇る桜が綺麗(桜の時期にはライトアップも)。またはその葉が落ちる冬が良い。夏場はとても木々が邪魔して撮りにくかったが、近年、出丸南側の桜の木が1本伐採されており、木々に邪魔されず得られるアングル(写真上)がある。
水口城の写真集
城郭カメラマン撮影の写真で探る水口城の魅力と見どころ「お城めぐりFAN LIBRARY」はこちらから。水口城の関連史跡
城下町では、藩主加藤氏を祭神とした藤栄神社、真徳寺の表門は中級武士の長屋門、蓮華寺には水口城の客殿玄関(写真左)。大徳寺には近江天保一揆の五倫塔や、徳川家康の腰掛石がある。
また、お城のすぐ北側には東海道があり宿場町。東海道沿いの水口石、水口岡山城の南側の麓近辺には、宿場町だったことが分かる高札場跡、本陣跡、脇本陣跡などが残り、落ち着いた町並みがある。
城では、是非、水口岡山城を訪れてほしい。整備された山城で、近年、発掘を続けており、細部が明らかになりつつある。
水口城のおすすめ旅グルメ
「森下屋」一軒のみ。寿司屋でお城の北側の商店街にある。昼過ぎなど時間帯によっては開店していないことがあるのでちょっと注意が必要。付近にコンビニは無い。
水口城のアクセス・所在地
所在地
住所:滋賀県甲賀市水口町本丸4−80 [MAP] 県別一覧[滋賀県]
電話:0748-63-5577(水口城資料館)
開館時間
出丸にある水口城資料館(模擬御矢倉)は、AM10:00〜PM5:00 閉館日は木曜・金曜・年末年始。資料館には資料が豊富なので、できれば開館中に行きたい。
アクセス
鉄道利用
JR草津線、貴生川駅下車、近江鉄道乗換「水口城南」下車、北へ徒歩4分。
マイカー利用
城の北にある体育館の横に普通車20台、大型車5台の駐車場がある。
野洲川の伏流水が湧水となっている薬研堀。どこから水が湧いているか今でも分からないらしいが、「水口」という名前や「碧水城(へきすいじょう)」の別名はここから連想されているそうな。
( 左近)さんより
出丸には矢倉、御成門、御成橋、土塀が復元されています。本丸は学校の運動場として利用されています。明治期に石垣の石が近江鉄道の敷石になったり、矢倉が売却されたりと、当時のものとして想像できるのは縄張りと水堀、石垣といったところ。小さなお城なので周囲の水堀のまわりを歩くとその大きさが体感できます。
( shirofan)さんより
本丸と二の丸(通称出丸)の2つで構成される小規模なお城。
( 左近)さんより
水口城は、寛永11年(1634)三代将軍徳川家光が京都に上洛するために築かれた将軍家専用の宿館。
( 左近)さんより
矢倉はもともと水口城の北西の角にあったものだそうで、現在もその石垣が残ります。ちょっと積み直されてますけど。矢倉は明治期に付近の商家に売却、復元整備のときにそれを専門家に見てもらったところ、痛みなどが激しくそのまま修復するのは難しく、古材を生かしながら新しい木材で復元したものだそうな。矢倉に入り天井を見上げると古材と新しい木材が混在しているのがよく分かる。
( shirofan)さんより
水口岡山城は、近年、発掘調査などが続いており、新たな遺構が発見されている。また、市民有志で結成される「水口岡山城の会」は、高さ11mの天守バルーンを、イベント時に水口岡山城に設置するなど、ちょっと面白い。
( shirofan)さんより