写真:岡 泰行
黒井城の歴史と見どころ
黒井城は、城下町に福知山街道と京街道が通る丹波地方の要衝に築城されている。黒井城は城下町側のみ石垣が使われているため、防御面より城下に見せる石垣という側面が強いらしい。山頂に残る高さ4メートルの石垣は圧巻なので、是非、登ってみてほしい。
黒井城の縄張図
黒井城のパンフレットは、丹波市WebサイトでPDFにて閲覧できる。パンフレットは黒井城の支城や砦、その縄張図も分かる優れもの。
また、登山口にもパンフレットがあります。またJR福知山線「黒井駅」より南に徒歩約5分程の所に春日町歴史民俗資料館があり、黒井城関連の資料が展示されています。ここでは「史跡 黒井城跡 保存管理計画策定報告書」が販売されており、内容は黒井城の縄張りや構成はもちろんのこと、周辺の中世城館、猪ノ口山の植生、黒井城関連の文献資料なども解説されています。値段は少々高めですがその価値は十分ある内容だと思います。(吉田 豊太郎 1999.08.26)
黒井城の撮影方法
黒井城を代表するアングル、石垣は南向きにある。
黒井城の写真集
城郭カメラマン撮影の写真で探る黒井城の魅力と見どころ「お城めぐりFAN LIBRARY」はこちらから。黒井城の関連史跡
麓の興禅寺
麓の興禅寺は、黒井城の下館跡といわれている。その興禅寺に、お福(春日局)の腰掛石の腰掛石や産湯の井戸、裏山に赤井氏の菩提寺千丈寺から移されたと伝わる宝篋印塔が残る。なお、JR黒井駅前には、幼少期のお福(春日局)の銅像がある。
柏原藩陣屋や岩尾城跡
国道175号線から国道176号線を南に下っていくと割と近くに柏原藩陣屋(藩陣屋としては全国で唯一御殿建造物が現存している)があります。また国道176号線に入らずにさらに南下し、道の駅「山南仁王」の手前の交差点「井原」で西に折れて県道86号線を進んで行くと、岩尾城跡(総石垣造りの山城で和田小学校裏に登山口あり←少々わかりにくいと思います。さらに登山道自体もわかりにくく、現に私も下山途中で道がわからなくなって迷いました。注意!)があります。(補足:岩尾城への登山道はその後多少は整備されたとも聞きます)(吉田 豊太郎 1999.08.26)
旧赤井家住宅
天正7年(1579年)、城主、赤井直義の時に、明智光秀に攻められ落城。その後、赤井直義は、京都に隠棲していたが、藤堂高虎に1000石で召し抱えられた。現在、伊賀上野城下に、武家屋敷「赤井家住宅」がある。2010年、赤井家の子孫が、この赤井家住宅を伊賀市に寄贈、近年、整備され内部が公開されている。
黒井城のおすすめ旅グルメ
特に食事処は無い。
黒井城の史跡めぐりにこだわる最適なホテル
JR黒井駅前の「きくや旅館」。
黒井城のアクセス・所在地
所在地
住所:兵庫県丹波市春日町黒井 [MAP] 県別一覧[兵庫県]
電話:0795-72-2340(0795-72-2340)
アクセス
鉄道利用
JR福知山線「黒井駅」より北へ歩き、市街地を抜けた黒井小学校脇に登山道がある。なお登山口までは標識があるので迷う事はないと思います。登山口から三段曲輪~石踏の段をへて山頂までで約50分程度。途中で大鼓の段への道が分かれています(吉田 豊太郎 1999.08.26)。
マイカー利用
舞鶴若狭自動車道、春日ICから北へ2.1km(6分)。興禅寺の北、登山口の無料駐車場を利用する。
駐車場や登山口、登城路の情報は、丹波市Webサイトでご確認を。
別名を保月城(ホゲツジョウ)・保築城(ホヅキジョウ)とも呼ばれる猪ノ口山の山頂に築かれた山城で、この黒井城を中心とする三方向に広がった尾根筋上には多数の城塞が配置されており、その中心となる本城として機能していた。
この猪ノ口山周辺全体が要塞化された城郭であり、黒井城自体はそれほど複雑な構造をしている訳ではない。北から西曲輪・本丸・二の丸・三の丸・東曲輪が梯郭式に並んだ構造で、全長200mにも満たない単純なものである。なお石垣は本丸・二の丸の一部と東曲輪・帯曲輪に野面積みのものが見られる。見所はなんといっても本丸及び二の丸からの景色で、周囲の木々が伐採されており360度、全周が見渡せて絶景である。また帯曲輪・東曲輪の石垣も中々で、それほど大規模ではないけれどかっちりと造られている(明智光秀による丹波平定後のものらしい)。
現在、周辺部を含めて削平・切岸などが確認された遺構は、本城部(黒井城)・北の丸・石踏の段・太鼓の段・三段曲輪・西の丸・千丈寺砦・兵主神社西砦・龍ヶ鼻砦・東出丸・多田砦・東山砦の12ヶ所で、本城以外はいずれも石垣が見られない土城(砦)である。なお、その他に百間馬場・的場砦があるとされるが明確な遺構は確認されていない。
( 吉田 豊太郎)さんより
黒井城は別名を保筑城・保月城とも呼び、猪ノ口山(標高365メートル)にある山城で、南北朝時代の建武2年(1335年)春日部荘を領した赤松筑前守貞範(則村の次男)が、はじめて山頂に城を築いたことからその歴史が始まります。その後、約200年間数代の城主をへて、戦国動乱さ中の天文23年(1554年)萩野(赤井)悪右衛門直正が城主となり、その勢威の拡大とともに、全面的に大改修の手を加えたのが現在の黒井城跡です。山頂の本城部分には、荒々しい野面積みの石垣をつみ上げ、これを囲んで中腹には三段曲輪・大鼓の段・石踏の段・西の丸・東出丸などの曲輪を配して防禦を固めています。さらに枢要な尾筋には千丈寺・龍が鼻・的場・百間馬場などの砦跡があり、また山中のいたる所に曲輪跡・土塁・堀切りなどの防禦施設が埋もれていて、周囲約10キロメートルにおよぶ猪ノ口山系全体が巨大な城塞となっています。天正7年(1579)8月、さしも堅固を誇った黒井城も、丹波平定を急ぐ明智光秀の大軍の前に落城をとげました。その後400年余りの間、なんら人工の手を加えられることもなく、今でも戦国時代の城のようすをそのまま残している城跡として、全国的に高い評価を受けています。
(黒井城の歴史 〜国指定史跡 黒井城跡〜 登山口案内板より)
( 吉田 豊太郎)さんより
夏は、けっこう蛇が多いので夏に行くときは注意したほうがいいです。
( 吉田 豊太郎)さんより
黒井城の麓に興禅寺があります。ここの高石垣と白い練塀は黒井城の下館を思わせます。春日局がここで生まれたと言う説があり、興禅寺のそばには「春日局庵」と言う建物があります。中にはNHK大河ドラマの時の写真や春日局にまつわる色々な史跡の写真と説明書があります。訪問の記念にと、記帳ノートが備え付けられていました。
( YORI)さんより