写真:岡 泰行
神戸城の歴史と見どころ
特に資料館などはありません。ちょこっと離れたところに鈴鹿市立図書館があるのでそこで調べるしかないと思います。
[Haru (1998.07.10)]
神戸城の関連史跡
神戸城の史跡めぐりにこだわる最適なホテル
観光地ではないため、近鉄平田市駅等、鈴鹿サーキットよりにホテルがあるのでそちらを利用してください。
[武田勝頼 (2002.11.03)]
神戸(かんべ)氏の居城を神戸氏の養子となった織田信長の三男信孝が大改修して天守をあげた。この天守は後に桑名城に移築された。江戸時代に再修築され二重櫓(鯱が市役所に現存)、二の丸太鼓櫓(蓮花寺に移築現存)などが作られた。
( Haru)さんより
城址には神戸(織田)信孝築造の天守台と本丸の堀及び土塁の一部が残っています。天守台は野面積みで石材の一部に墓石なども使われています。
( Haru)さんより
かつては5層の天守があったと推測されています。東玉垣町蓮華寺に太鼓櫓、四日市市顕正寺に神戸城大手門が移築され残っています。
( 半兵衛)さんより
神戸城は、桑名城の隅櫓へ転用されたと言われています。
( 光秀)さんより
公園になっている為、駐車場もあり。城址の周りの城下町には寺が複数あるが、神戸城に本多家が入った時に近隣の寺家を集めたそうです。神戸公園から鈴鹿市駅の方面の道は当時の防御的な入り組んだ道が当時の町の情景を思わせます。隣の神戸高校校内のテニスコートあたりが藩校址で、その当時からある楠が今もあります。資料としては、高校に以前まであった郷土史研究部が集めたものがありましたが、今は残っているかどうか。私も通った母校です。
( 武田勝頼)さんより
大手門が顕正寺山門として移築されています。境内には使用されていた鬼瓦もあります。
( 半兵衛)さんより
神戸城の天守台は切り出した石材じゃなくて(多分)あちこちの河原から転がってた石を運んできて積んだようですね。中には墓石や灯籠なんかも混じってます。付け櫓か宇和島城天守のように玄関があったような構造になってます。
( Haru)さんより