写真:岡 泰行
兵庫城の歴史と見どころ
現地で訪ねる石垣の場所
兵庫城は、「兵庫運河」と「イオンモール神戸南」の地中にある。そのため、往時の姿は、その城域から偲ぶしかないが、中央市場前駅付近では次の3箇所を訪れると良い。いずれも説明板が設置されていて理解を深めることができる。
地下鉄中央市場前駅1番出口すぐの石垣、3番出口すぐの石垣、兵庫城跡石碑の3箇所だ。前者はいずれも発掘調査中に出土した兵庫城の石垣に使用されていた可能性のある石材を利用して造られた。新たに組まれたものだが発掘現場を見たことのある人にとってはその石材だと思うと感慨深い。また、現地とは別に、イオンモール建設時に出土した兵庫城石垣が神戸市埋蔵文化財センターに移設されている(後述)。
兵庫城跡石碑には、「最初の兵庫県庁の地」と書かれている。これは幕末に機能した兵庫津奉行所が勤番所となり、兵庫県庁となった。そういった具合に城が変化した。兵庫津は古くからの国際港。兵庫県の初代県知事は伊藤博文で神戸港や兵庫津などその管理にも尽力したらしい。
2021年11月3日、文化の日に「初代県庁館」がオープンした。幕末維新期の県庁(旧大坂町奉行所兵庫勤番所)を復元したもので、伊藤博文がいたころの県庁を絵図などから復元。仮牢や取次役所などがありその役目が分かる。住所は神戸市兵庫区中之島2丁目1-17(上記Googleマップ参照)。入館無料。月曜・年末年始休館。
神戸市埋蔵文化財センターに移築石垣がある
兵庫城本丸北東部、城内側の再下段の石垣が、一部、神戸市埋蔵文化財センターに移築保存されている。その石垣には、柱座がついた礎石と一石五輪塔も見ることができる。また、同館2階には、兵庫城の転用石(約32個)を集めた展示がある。墓や供養塔、一石五輪塔や五輪塔の一部、建物の礎石、石仏など。
神戸市埋蔵文化財センターは、兵庫城跡からは少し距離があり、鉄道利用は西神中央まで約1時間、自動車利用は約30分(22km)。開館時間は10時〜17時(入館16:30まで)、入館無料。月曜(月曜が休日の場合はその翌日)・年末年始休館。
書籍
兵庫城の発掘は期間にすると4年と長いが、2012年と2014年〜と主に2回に分けて、発掘調査報告書が神戸市教育委員会から刊行されている。兵庫城のほか、町屋などの発掘も含む兵庫津遺跡の報告書。神戸市埋蔵文化財センターで販売されている。
- 『兵庫津遺跡 第57次 発掘調査報告書』(2014年 神戸市教育委員会)
- 『兵庫津遺跡 第62次 発掘調査報告書』(2017年 神戸市教育委員会)
兵庫城の関連史跡
徳川大坂城石丁場の境界石
なぜか全くといっていいほど知られていないが、イオンモールの西隣りに「阿弥陀寺」がある。その境内に「加藤肥後守石場これより南ひがし」という文字が刻印された徳川大阪城築城時に石丁場で使われていたと思われる巨大な境界石がある。大阪城(徳川大坂城)の大手口多聞櫓、千貫櫓の石垣を普請した加藤忠広のものだ。そのほか同寺院には楠公供養石なるものもある。京阪神に残る明確な文字が書かれた石丁場の境界石では、尼崎城の本丸跡に残る境界石とここの2つのみ。
平清盛関連の史跡
戦国時代から遡る平安時代、平清盛関連の史跡が点在している。「清盛塚」は、十三重の石塔で弘安9年(1286)に建てられた供養塔。すぐ隣りには平清盛の銅像がある。また、清盛橋の欄干には源平合戦のレリーフがあり、平清盛が後白河法皇を幽閉した地、薬仙寺に「萱の御所跡」や「後醍醐天皇薬水」がある。さらに北へ足を運べば福原京関連の史跡もある。
付近の城
花隈城(石垣風外観の駐車場の上部に石碑)と、勝海舟が設計した和田岬砲台(三菱重工内・見学要申込み・平日のみ)。
兵庫城のおすすめ旅グルメ
清盛塚すぐ近くの「三田牛飛苑」、またはイオンモール、神戸市中央卸売市場本場あたりでどうぞ。
兵庫城は、信長の命によって池田恒興が築城しました。荒木村重の花隈城の資材を使用されています。江戸時代には兵庫奉行所が置かれ、明治に入り初代兵庫県庁が置かれました。西国街道から兵庫に入る入口「柳原惣門」にあって堀と堤に囲まれた大規模な「福海寺境内」は枡形を構成して兵庫城の防備をしました。
( 大黒天福海寺)さんより