姫路城の天守その構造

現在見られる姫路城の天守は、池田輝政によって築造された。慶長6年(1601)に着手、慶長13年11月に上棟、慶長14年(1609)には内部の造作が行われ、同年末には、ほぼ完成したと見られている。姫山(標高45.6m)の頂上部、秀吉の天守と同位置に建ち、大天守は5重6階、地下1階、高さは31.49m、石垣が14.85m、天守の総重量は約5,700トンといわれている。その構造は、日本建築史上、はじめて可能にした高層建築で後期望楼型といわれ、現存天守の中では最大規模となる。

姫路城大天守を詳しく知る

姫路城大天守は、平成の修理(国宝姫路城大天守保存修理工事)を終え、平成27年3月27日(金)から、天守群と備前丸などのエリアが一般公開された。なお、混雑時には整理券を配布し1日15,000人までの入城制限が設けられる。

今回の修理に要した費用は、総額23億円で、うち文化庁から15億円、市民の寄附金から5億円となっている。そのうち約半分が素屋根(天空の白鷺)などの仮設に使われたそうだ。余談だが、昭和の大修理のときは、国が直接、大工を雇っていたが、修理が終わったときの雇用の問題等から、これをきっかけに公益財団法人「文化財建造物保存技術協会」が設立され(略して「文建協」という)、姫路城をはじめ国宝や国指定を受けている文化財建造物の保存修理の設計監理業務という中心的な存在を担っている。

また、昭和の大修理の工事が完了した1964年から、50年周期で大天守、30年周期を目安に小天守の修理が行われることになっているから覚えておこう。平成の修理内容については、修復工事を請け負った鹿島建設株式会社Webサイトにも詳しく掲載されているからチェックしておこう。

大天守は総床面積2400平方メートル。ここでは、目に見えるものを中心に、姫路城大天守内部の見どころを、特別公開時などの写真を交えちらりとご紹介。ささ、天守群に入る水五門から大天守の旅をどうぞ。

各写真をクリックで詳細ページがご覧いただけます。

3基の小天守

大天守に渡櫓を通して連結するかたちで、東小天守、乾小天守、西小天守が連立している。その内部についてはこちらをご覧ください。

姫路城

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