写真:岡 泰行
姫路城の歴史と見どころ
姫路城(ひめじじょう)は、法隆寺とともに日本で初めてUNESCO世界遺産に登録された城だ。UNESCOは、当初、主にヨーロッパなどで石造の建造物を見てきており、木造建築物の登録に懐疑的だったが、保存されている過去の姫路城の部材を見て、必要箇所を交換するなど木造建築物のメンテナンスを経て、長い歴史を刻んでいることを知った。これにより姫路城は世界遺産に登録されることとなった。国内においても、国宝8棟(大天守群)、重要文化財74棟と多数の文化財指定を受けている。ひとつの城でこれほどの残存規模は他に類を見ず奇跡といっていい。本ページでは、城郭カメラマンが姫路城の歴史や構造、目に見える特徴やその見どころを深掘り解説していく。
姫路城の歴史
姫路城は、播磨の守護、元徳3年(1331)、赤松則村が砦を築いたのがはじまり。その子、貞範が正平3年(1348)頃に、居城として築城した。その後、室町時代を通して赤松氏の城で、その家臣、小寺氏が入っていた。天文14年(1545)、小寺氏は御着に新たに城を築き(御着城)、姫路城には、小寺氏の家臣、黒田職隆が入った。天正5年(1577)、信長の命で秀吉が、三木城別所氏を滅ぼし、姫路城に入り、3層の天守を築いた。秀吉が姫路城に入ることができたのは、黒田官兵衛、後の如水によるものである。この姫路城を拠点に中国の毛利勢と戦うことになる。
天正10年(1582)、本能寺の変が起こり、秀吉がこの姫路城を経由し、山崎まで向かったのは言うまでもない。世に言う中国大返しである。秀吉は後、大坂城を居城とし、姫路城には、秀長、ついで木下定家を入封させた。
慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いで戦功をたてた池田輝政が入封、このとき、9年の歳月をかけ本格的に拡張し、現在の5層6階地下1階の天守閣を築いた。池田氏のあと、本多忠政が入城し、西の丸、三の丸と増改築を行い、郡山松平氏、山形松平氏、榊原氏、越後松平氏、再び本田氏、榊原氏と経て、1749(寛延2)年、酒井氏が入封、明治を迎えた。姫路城の瓦に様々な家紋が見られるのはこれら歴代城主のものだ。
池田時代の拡張は、52万石という規模に合わせてのものと、毛利家という豊臣大々名と九州四国を含めた西国探題の目的が背景にある。そのため播磨、備前、淡路を一族で固めた三国支配を固めていく政策をとる。これにちなんで三国濠という名の水堀が姫路城内に残る。
秀吉時代の天守や石垣は、現在の天守群ほか、多くの建物に転用されたらしい。中でも乾小天守は用材の多くがその転用材であることが判明している。3つの小天守(東小天守・乾小天守・西小天守)とそれらを結ぶ、渡櫓(イの渡櫓・ロの渡櫓・ハの渡櫓・二の渡櫓)、大天守、豊臣秀頼の正室、千姫ゆかりの西の丸長局や化粧櫓ほか、城門や櫓が多数現存しており、近年、世界文化遺産となって、日本の城で最も優美な城として世界に親しまれている。
参考文献:『日本城郭大系12』(新人物往来社)、『探訪ブックス城5近畿の城』(小学館)、『姫路市史 第14巻』(姫路市)
姫路城の驚くべき秘密!大天守を覗いてみよう
訪問前に姫路城大天守の秘密を徹底解剖。隠された見るべきポイントをつぶさにチェック。
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天守群入口
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大天守地階
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大天守1階
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大天守2階
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大天守3階
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大天守4階
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大天守5階
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大天守最上階
姫路城の極上エキスパートガイド
小天守や渡櫓などの姫路城の特別公開、城門や櫓など隠された魅力に迫る究極のガイドブック。城郭カメラマン撮影の写真とともに。
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イの渡櫓
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東小天守
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ロの渡櫓
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乾小天守
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ハの渡櫓
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西小天守
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二の渡櫓
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折廻櫓と備前門
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大手門
姫路城の書籍
姫路市史と日本名城集成
次の2冊が最も良い。姫路城の新約聖書といわれる『姫路市史 第14巻 別編姫路城』(姫路市昭和63年発行)A5、913ページ、図7枚ホルダー入。もう一冊は、『日本名城集成 姫路城』(小学館 昭和59年発行)215ページ。ともに結構な値段が付いていて古本市場で流通している。
知るほどはまる 姫路城トリビアン
世界文化遺産登録20周年を記念して、姫路城でガイドを行っている団体や姫路城に関わりの深いメンバーが加わり、編集された姫路城のトリビア集。一巻40ページのボリューム。姫路市のサイトでPDFで閲覧できる。
姫路城の撮影方法
姫路城ほど見る角度で表情を変える城はない。姫路城を城外から眺める絶好の撮影スポットを紹介する。姫路では絵になる「姫路十景」がよく紹介されているが、建築美に絞ったアングルが得られる6つの撮影スポット。
姫路城の写真集
城郭カメラマン撮影の写真で探る姫路城の魅力と見どころ「お城めぐりFAN LIBRARY」はこちらから。姫路城の関連史跡
兵庫県立歴史博物館
姫路城の北にある「兵庫県立歴史博物館」。城郭に関する展示が多くお城ファンは足を運んでおきたい。丸岡城、犬山城、松本城、彦根城、姫路城の天守閣の模型が同じ縮尺で並び、見て分かりやすい展示になっている。姫路城大天守の東大柱が昭和の大修理で根元を台湾桧で継いだのだが、切断された旧材が兵庫県立歴史博物館で展示されている。おまけに甲冑や十二単の試着ができるかも。 または、その北にある「姫路市立城郭研究室」。現地で姫路城に関する図書資料や写真資料が閲覧できる。
千姫天満宮や長壁神社
城の外郭を見てまわるだけでも充分な見応えのある姫路城。ついでに男山の千姫天満宮、好古園(日本庭園)、長壁神社(おさかべじんじゃ)へどうぞ。長壁神社は地元の祭り「ゆかた祭り」で親しまている神社。姫路城天守最上階にも長壁神社があるが、その昔、姫路城築城の際に城外へ移築され、現在は長壁神社筋と魚町通の交差するところにある。詳しくは上記Googleマップをチェック。
川御座船
江戸時代の姫路藩主が河川の遊覧に使用していた『川御座船』の屋形部分が相楽園(神戸市中央区)に移築現存している。本多家が入封した時期に造られたものと推定され、細部が装飾され繊細で豪華な造り。
御着城
姫路城は黒田官兵衛ゆかりの城だった。というわけで、お城ではJR姫路駅から東へひと駅の御着城。播磨守護職赤松氏の家臣、小寺氏の居城で、1519年(永正16年)築城のこの辺りの中心的存在の城だった。黒田官兵衛は小寺氏の家臣で織田方についたのは有名な話。御着城址のすぐ横には、黒田孝高の祖父・黒田重隆の廟所もある。
また、ここまでくれば有名な城をという人は、姫路から北へ車(播但自動車道)で1時間、電車(JR播但線)なら2時間の距離にある竹田城へどうぞ。雲海の季節(晩秋)なら姫路で宿泊し翌朝攻めるのもいいかも。
姫路城のおすすめ旅グルメ
姫路といえば穴子
姫路といえば瀬戸内の「穴子」を。穴子は蒸すというより、炭火で焼いた方が歯ごたえと味わいがあって旨い。ここ播州(ばんしゅう)という地域は穴子が贈答品として珍重されてきた。穴子の味は四季を通じて変わらない。JR加古川駅近くの「下村商店」がダントツの旨さ。筆者は祖母の代から40年以上、下村商店の天然の穴子にお世話になっている。醤油に浸した焼穴子を、お好みでワサビや海苔でいただく茶漬け、焼き穴子を出汁をかけてそのまま味わう穴子丼など、香ばしさも味覚もいい。ここの穴子を食せば他の穴子に手を出そうと思わせない力があるといっていい。ちょうど黒田官兵衛関連の城めぐりをすると、加古川界隈の城を巡ることになるが、このときに訪れると良い。ただし、下村商店で扱うのは天然の穴子。ゆえに、寒くなり水温が低下したり、夏の水害などで水が汚れると獲れない。確実にいただけるわけではないため、お歳暮やお中元など贈答用には向いていないが、この時期、好きな人はこの天然の穴子が獲れるのをじっと待つという幻の逸品だ。穴子が播磨で知名度が上昇し続けないのは、天然の穴子が手に入りにくく、その漁獲高も関係あるらしい。
さて、加古川ではなく、姫路で穴子を食すには、「家庭割烹 杉本」も古くから知名度がある。また、気軽に穴子を愉しむなら「炭焼あなご やま義」や最近では、数々の店舗で特色のある穴子が愉しめる。姫路の西に位置する赤穂では穴子の柔らかさ重視の穴子弁当、東に行けば焼きの印象が強くなる。そのほか姫路のグルメといえば、太市のたけのこ、大津のれんこん、姫路おでんが挙げられる。または、地元に知られる老舗の寿司屋「勝三寿司」をどうぞ。
姫路ええとこマップ
いわゆる夜の町は「魚町」と呼ばれる界隈にあり、数々の店舗が軒を連ねている。それらが掲載されている「姫路ええとこマップ」が2009年に姫路円卓会議から発行されていたが、今は絶版していて手に入りにくい。
「姫路ええとこマップ」は、グルメ処の紹介だけでなく、地元の有志10名がまとめただけあって実に丁寧な作り。姫路で一番古い喫茶店など歴史を感じさせる紹介が見られ、城ファンにも嬉しい例えば「飾磨津門:外濠の門で飾磨に向かって開かれていた、現在は山陽電車姫路駅の下に」など、ちょっとした城のポイントが随所に記載されている。姫路の町を、歴史とグルメで見渡すことができる優れたマップ。がしかし、なかなか手に入らない希少マップ。
姫路城の史跡めぐりにこだわる最適なホテル
JR姫路駅から徒歩3分の「姫路グリーンホテル立町」が荷物を預けて城に行きやすく、リーズナブルでおすすめ。浴場からは姫路城が小さくはあるが一望できる。または、駅寄りというより、城に近い「姫路グリーンホテル坂元」。乾小天守、西小天守と大天守が南西から望めるスペシャルルームの眺望がかなり良い(逆にスペシャルルーム以外は眺望が得にくい)。またはちょっと贅沢にという人は、駅の南側すぐの「ホテル日航姫路」が便利だぞ。
姫路城のアクセス・所在地
所在地
電話:079-285-1146(姫路城管理事務所)
アクセス
鉄道利用
JR山陽本線、姫路駅下車、または山陽電鉄本線、山陽姫路駅下車、北へ徒歩20分。姫路駅から姫路城が見えているので迷うことはない。
マイカー利用
山陽自動車道、山陽姫路東ICから姫路城を目指す。西からは山陽自動車道、山陽姫路西ICから姫路バイパス(国道2号線)、府道62号線を北上。東からは第二神明道路、明石西ICから加古川バイパス(国道2号線)から姫路バイパス(国道2号線)を経て府道62号線を北上。
姫路城の南西にある「大手門駐車場(582台有料駐車場)」がお城に近くリーズナブルで便利。
毎年4月6日は、城の日で無料で入場できますよ!
( 利光晋一)さんより
毎年4月3日から4月9日の一週間は、姫路城の非公開部分の一部を公開しています。化粧櫓、厠、帯の櫓、乾小天守、東小天守、折廻櫓など。(ん?トイレも見てみたい…)
( 城の観光好き)さんより
1998年から姫路城夜桜見学会と題して4月4日〜6日の3日間のみ夜も入城できるようです。夜間公開部分は姫路城の西の丸。また来年に期待したいですね。地元の写真家にとって姫路城は、絶好のモチーフ。夜桜と姫路城がアップで撮影できるのも、今回が初めてということになります。
( 城の観光好き)さんより
姫路城は夜もライトアップされていて、幻想的な雰囲気で包まれる。城のライトアップといえば天守のみを照らすものが多いが、姫路城は周りの堀の石垣も照らされており、全体が浮かび上がったように見える美しさ。
ライトアップの照明デザインは、ライトアップの第一人者といわれ、横浜ベイブリッジや大阪城を手がけた石井幹子氏によるもの。昼もさることながら夜も美しい姿が見られます。城ではそのほか、上田城の夜桜ライトアップや福山城のライトアップを手がけている。
( 城の観光好き)さんより
第一印象。姫路城は遠景が美しい。桜が散る頃なら尚更だろう。「世界文化遺産」だとか「国宝」だとか、それなりに選定基準はあるだろうが、美しさのみに限定すれば、同様の称号を与えられる城は全国に多々あるはず。
( 城山神々)さんより
姫路城天守群のみならず、化粧櫓、帯郭櫓はじめ、これほどの規模の城郭を後世に伝える地域の人々(今昔を問わず)のもつ、情熱、財力、運、もうそれだけに感服いたします。いや、それこそが名城の条件だと私は思っています。
( 城山神々)さんより
天守閣は望楼から層塔への過渡期にあたるためか、中途半端な意匠の天守は美しいとは思えないが、本来真壁である最上層の長押を塗籠にしている点、南北面の三四層目の比翼入母屋と千鳥破風が大入母屋破風を視覚的に演出しているのは見どころ。
( 城山神々)さんより
映画「007は2度死ぬ」の撮影で姫路城のシーンを撮影したときに白塗りの壁に傷をつけてしまい修復に沢山お金がかかったそうです(映画会社が払ったもよう)。
( 田中 弘)さんより
姫路城の文化財指定は以下の通り。姫路城跡(国)特別史跡、大天守(国)国宝、西小天守(国)国宝、乾小天守(国)国宝、東小天守(国)国宝、イ・ロ・ハ・ニの渡櫓(国)国宝、姫路城(門・土塀・櫓など国宝を除く74棟(国)重要文化財)。歴代城主は赤松氏、小寺氏、黒田氏、羽柴氏、池田氏、本多氏、酒井氏。
( 左近)さんより
姫路城にはお殿様がいらっしゃいます。正体はガイドさんなのですが、もちろん一緒にお写真を賜る光栄にも預かれます。姫路城のお殿様はとても気さくな庶民派です。
( 石森隆一郎)さんより
姫路城全体を見るなら北側(方向)から見るといいそうですよ。近くのガソリンスタンドのおじさんから聞きました。
( 松島常雅)さんより
1998年に出版された「姫路城 凍って寒からず」(寺林峻著)を読むと、江戸時代の姫路城のウラ事情がよくわかる。広大な城を任された歴代城主は、管理のため膨大な財政赤字を余儀なくされたようだ。姫路市内の本屋ではベスト1になっていた。
( minami)さんより
8月の終わりの日曜から4日間「おしろまつり」をやってます。武者行列で千姫とかみれるのでまた来てみてください。
( こたろー)さんより
姫路城の三の丸に芝生があるのですが、春先になるとみなさんお弁当もってピクニックしています。私も幼稚園のころ行きましたが、なかなか気持ちよくていいですよ。桜もあってきれいです。姫路城もきれいに見えます。姫路城は姫路市のどこにいても見えます。テレビや写真は正面(駅側)からしか撮ってないですけど裏から見るのもなかなかいいですよ。
( こたろー)さんより
姫路市博物館に姫路城の模型があります。2〜3mはある、姫路城の立て切りがあったと思います。
( こたろー)さんより
姫路城は近世城郭遺構には珍しく、惣構遺構の保存状態が良好です。船場川沿いを歩けば遺構が確認できると思います。また本丸周辺の石垣を注意して観察すると、秀吉築城当時の石垣遺構が確認できます。
( ume)さんより
中濠(中曲輪)沿いの城門跡を見て周るには以下のルートがあります。
まず姫路駅前から「みゆき通り」を北上して国道2号線を左に曲がり、中濠跡の石垣にそって東に進むと「中ノ門跡」「くまたか門跡」「埋門跡」が順にあります。「埋門跡」のすぐ東には船場川が流れており、今度はここを右に曲がって船場川に沿って走っている「千姫の小道」を北上すると「車門跡」「市ノ橋門跡」があります。「千姫の小道」は「市ノ橋門」付近で車道を横切り、「好古園」の東脇を通ってさらに北上し「清水門跡」に着きます。この「清水門跡」付近には「北勢隠門跡」や「鷺の清水跡」がありますが、車道が旧来の石垣を貫通して直接「北勢隠門跡」に続いているために「清水門跡」と「北勢隠門跡」を間違えやすくなっているので案内板でよく確認しておいた方がいいです。
また「清水門」の桝形内にある「鷺の清水跡」は播磨十水の一つに数えられた井戸の跡で、現在は上屋が復元されています。「清水門跡」から先は道が一時的に中濠沿いから離れますが、大きく右方向に回り込む様に進んで行くと再び中濠沿いの道に戻ります(中濠に沿って整地された小道が「清水門跡」付近の祠脇より伸びていますが、これは通行禁止ですので入らないように注意して下さい)。また石垣もこの辺から土塁にかわり、木々に覆われてよく判らなくなります。中濠に沿って西方向に進んで行くと県道518号線に突き当たり「姫路市立城郭研究室」脇に出ます。この付近が「野里門跡」で、県道のために破壊されていて原型を止めていませんが説明板はあります。中濠は県道を横切って郵便局と消防署の間に続いており、濠の脇の小道をさらに進んでいくと「久長門跡」「内京口門跡」と順に辿り着きます。「久長門跡」に着くまでの途中に橋がありますがこれは姫路城の城門とは無関係です。また「内京口門跡」は現在、賢明女子学院の裏門となっていて鉄板の扉で塞がれ通行出来なくなっていますが、門の脇には「陸軍省所轄地」と書かれた石柱が建っており、かつて姫路城が陸軍の駐屯地であった事を教えてくれます。
「内京口門跡」をそのまま南下すると国道2号線に出ますが、この付近は開発が進んでいる為に濠が無くなっており、姫路城の中曲輪以内と指定された国の特別史跡から唯一外された地域となっています(この付近に存在した鳥居先門は開発により消滅してしまっています)。なお国道2号線に出て右に曲がり、東方向に進んでいくと「みゆき通り」の手前で最後の城門の「惣社門跡」に着きます。中曲輪に設置された十一ヶ所の城門の内、消滅した「鳥居先門」以外で破壊が激しいのが「野里門跡」「市ノ橋門跡」、多少破壊されているのが「中ノ 門跡」と「惣社門跡」、原型を保っているのが「くまたか門跡」「埋門跡」「車門跡」「清水門跡」「久長門跡」「内京口門跡」です。距離的にかなり有りますがこれほど残っているのも珍しく、見ていて損はないと思います。
( 吉田 豊太郎)さんより
大学に入ってはじめの夏休み、地元の友達と姫路城に行きました。その時、城の敷地内にいくつか百葉箱のような物がありました。これ百葉箱って言って温度計が入ってるんだよーと調子に乗って開けてみると、入っていたのは消防用のポンプでした(汗)。
( しんたつ)さんより
大手門前駐車場付近(お土産屋さんがあるところ)あたりに家老屋敷を復元するそうです。一角はすでに公園化整備がはじまっています。
( 長江相模守)さんより
大手前公園の前にある「イーグレひめじ」の屋上からの眺めが最高!!景色を遮断する建物もなく、姫路城のある姫山の標高と大体同じくらいの高さだと思われる。2階にあるひめじ城温泉で歩き疲れた身体を癒すのも可。
( 玖奈)さんより
JR姫路駅から御幸通りをまっすぐ行くとなかなか良い風景です。僕は神戸から姫路の淳心と言う姫路の学校なので2つか3つぐらい城が見れます。姫路城の敷地内にある淳心学院からよく見れます。童友社のプラモお勧めです。
( 黒田官兵衛)さんより
「一枚〜、二枚〜」と播州皿屋敷で有名なお菊井戸が姫路城内にある。がしかし、現地の古老によると、すぐそばの石碑に刻まれている年号から、その昔、観光目的で「お菊井戸」と称されたという話があるそうだ。また「桐の馬場」と呼ばれる城の東側の地域(姫路北高校付近)に、本来のお菊井戸があったとされる話が伝承で残っている(桐の馬場には特に遺構はない)。また、利神城のある平福の船引家にもお菊の墓や井戸がある。船引家はお菊の子孫。さらに余談だが平福では「お菊虫」という虫がいるそうだ。
( 城の観光好き)さんより
姫路城通になるなら「姫路城英語ガイドのひとりごと」をチェック。城ファンが唸るネタ多し!
( shirofan)さんより
TV番組では、NHKの『歴史秘話ヒストリア』姫路城 美と強運の400年物語 〜巨大迷宮の秘密を探る旅〜 が姫路城の仕組みと歴史がとにかく分かりやすくまとめられている。城そのものを姫路城で理解しやすい構成で導入編にオススメ。
( shirofan)さんより
2009年10月9日より「平成の大修理」が始まりました。52mの素屋根で天守閣が覆われ、瓦の葺き替えと漆喰を塗り直す工事。2009年11月から観光客の入場制限が始まり、2010年4月〜2011年1月まで大天守閣内部に入ることはできないが、平成23年から約3年間はガラス張りのエレベーターからその様子がうかがえる「見せる修復」されるのだとか。
( キム)さんより
姫路城は、大天守保存修理のため2010年4月12日から平成27年春頃まで、大天守閣ほかいくつかの曲輪に入れなくなります。通常と登城ルートが大幅に変わります。西の丸や小天守、櫓などは見学可能です。これにともない、入城料も600円から400円に変更されます。
( 城の観光好き)さんより
平成22年4月12日〜平成27年3月末まで、姫路城の平成の修理で大天守の修復がはじまるため、西の丸中心の見学となる。平成23年の3月末からは、天守閣横にガラスばりのエレベーターが設置され、瓦の葺き替えなどの作業が間近で見られる「天空の白鷺」という施設が利用できる。そのほか、リの一渡櫓や西の丸の千姫の化粧櫓内部を特別公開している。工事期間中は入城料金も安く、混雑も少ないため見やすいぞ。
( shirofan)さんより
瓦職人さんから話を聞きました。姫路城の瓦の間に塗られている白漆喰、すぐ黒くなるどうで、その原因は黒カビだそうです。昔より繁殖が早いそうなのですが、原因は分からないとのことで、姫路城の屋根には特殊な薬品をかけて、なるべく白い状態を保てるようにしているそうです。
( 美作)さんより
姫路城にはたくさんの狭間がありますが、その中には蓋つきの狭間があります。探して見てください。
( 城好き中学生)さんより
城下のおばさんに聞いたのですが、足場の問題や、技術の継承のために、小天守、大天守のそれぞれ50年(40年だったかな?)の修理を半分ずつずらして行っているようです。
なので、写真によっては小天守がすごく白くて大天守が黒い(瓦が)ものや、今ならその反対の大天守が白く、小天守が黒い姿ができるそうです。
( 城好き中学生)さんより
大天守保存修理工事が完了し、グランドオープンという事で4月頭と5月頭の2回行きました。
特に大天守を全体的に保存修理し 屋根は瓦の目地に漆喰(しっくい)が施され一段と白くなっていて、白鷺城(はくろじょう・しらさぎじょう)の愛称から “しろすぎ城” と話題になっています。
やはり今が旬な大天守の白さを外から見てもらいたいのと、大天守を含む4棟の連立式天守で非常に独特なたたずまいの巨大建築でしかも木造です。天守だけでなく姫山を中心とした縄張、年代や積み方の異なる石垣、多数の個性溢れる門、たくさんの櫓、三国堀という大きな水堀。など城全体に絞り込めないくらいたくさんの見どころがあります^^;
姫路城の始まりは赤松則村(円心)からだそうなので、南北朝時代が好きな方には感慨深いものがあるかと思います。その後、城主を変えながら江戸時代初期、池田輝政によってほぼ現在の姫路城が完成されたようです。
グランドオープンという事でアーリーオープン(開門時間を繰り上げ)、大天守登閣の混雑防止のため整理券の配付などありますので事前に公式サイトでの情報収集をお勧めします。
特に午後から込み合い易いという話を聞きますので特に天守閣に行かれる方は早めに行く方が混雑が少なくてよいと思います。また、ARやCG(コンピューターグラフィックス)を活用した新たな展示・解説を開始しているので是非場内でそういったものも活用しながら城の中は一部狭くなっていたり、天井が低い部分もかなりあるのでゆっくり城めぐりしてみてください☆
城の隣に好古園という日本庭園や兵庫県立歴史博物館や姫路市立美術館などもありますし、城の外堀をぐるっと一周回っても城の色々な景色・表情が見れるので時間に余裕があれば是非、色々とまわってみてください☆
( Y . Johnny)さんより
黒田官兵衛生誕のお城。5年の大修理を終え、生まれ変わった姫路城!
白鷺城とも呼ばれ、人々に愛されています!
天守の最上階には、刑部神社がありました。
( MICHIKO)さんより
姫路城のスプリンクラーは10億をかけて設置したらしい。火災報知器はおよそ600個。現存12天守はスプリンクラーが設置されているのは姫路城と松江城のみらしい。
( shirofan)さんより
しろまる会という姫路城の現役ガイドさん有志が経験から作られたガイドパンフレットがしろまる会HPから閲覧、DL出来ますよ。
( 瑠美)さんより