尼崎城本丸跡に残る徳川大坂城東六甲石丁場の境界石(非公開)。特別に見せていただいた。「これ上五丁四方 松平長門内 ○○○○○ 卯五月 十」と刻まれている。これは尼崎城ではなく徳川大坂城築城期のもので尼崎城本丸跡にある経緯は分かっていない。文字入りの境界石は兵庫城跡付近の阿弥陀寺にもある。
しまなみ海道に浮かぶ能島城。能島村上氏(村上水軍)の拠点だった城跡で、島全体が城だった。周囲の海は潮流が激しく、流れを知らなければ近寄ることもできない。岸には武者走りが掘られ、岩礁ピットと呼ばれる柱穴が残る。
大阪城は、大手門、千貫櫓、火硝蔵など13棟の重要文化財と壮大な石垣を有する。秀吉が築いた豊臣大坂城を包み込むように…
北条氏の本拠、巨大要塞、小田原城。相模国の西端にあり、南は相模湾、西は箱根連山を隔てて駿河国と接している。海と山を天然の…