写真:岡 泰行

江戸城の歴史と見どころ

江戸城(えどじょう)は、徳川家康が政権の中心として整備し、家光の時代に完成しました。現在は皇居の一部として残り、エリアの一部が公開されている。天守は明暦三年の大火で焼失。以後再建されることはなかった。城のはじまりは長禄元年(1457)に太田道灌と言われている。江戸城の歴史と見どころを紐解いてみよう。

江戸城の歴史

江戸城は徳川家康が政権の中心とした城で三代将軍家光の時代に完成した。現在は、一部が皇居となり一般参賀で見学する以外は立ち入ることはできないが、本丸、二の丸、三の丸、北の丸、外郭の遺構の多くは一般公開されている。

江戸の地は古くから重要な拠点かと思いきやそうではない。12世紀初頭、江戸氏と称する豪族が居館を構えたと言われているが、その江戸氏ものちに本拠を別の場所に移したそうだ。江戸城は、長禄元年(1457)、築城の名手と云われた太田道清とその息子、道潅がその体裁を整えた。現在の本丸を中心に戦闘的な形であったらしい。文明18年(1486)、道潅は謀殺され、やがて道潅の属する扇谷上杉氏の力は衰えていくこととなり、小田原の北条氏の城となる。その後、天正18年(1590)の秀吉の小田原討伐によって、家康が江戸に転封することになるが、当時は荒れ放題の地だったらしい。江戸の町も地盤がゆるく、地盤固めの作業が続くことになる。

家康は、慶長8年(1603)に天下を手中に収め、江戸幕府を開き江戸城の築城に本腰を入れる。小田原討伐から数えると40年あまりの歳月をかけ、現在の姿に変貌を遂げた。櫓は20、城門40余り、5層地下1階、高さ60mの日本一の天守と、それを支える精工につまれた石垣。当時の最新技術が投入され、同時に経済力や政治力も強くアピールする意匠となった。言うなれば一介の大名の城でなく日本の中心としての城郭や城下町。ここに世界有数規模の城郭都市が生まれ、現在の東京の基礎を生んだことは言うまでもない。天守は明暦三年の大火で焼失。以後再建されることはなかったが、今も江戸城跡には一部、櫓や城門が残り、町中にも見附や堀跡など江戸城の広さを感じさせる遺構が点在している。

江戸城の関連書籍

江戸城に関しては東京都立中央図書館(帝都高速度交通営団の地下鉄日比谷線広尾駅下車徒歩6分)、江戸城の北詰橋門外、国立公文書館。または、浜松町駅から海岸へ行くと東京都公文書館。その他、史学科のある各大学図書館(幕府老中松平相模守98.03.14)。また、本丸(東御苑)内の売店に縄張図が売られている(ume 99.06.11)。

江戸城の散策コース

江戸城は現在、皇居となっており次のエリアに分かれている。

皇居東御苑

皇居東御苑(本丸・二の丸・北の丸)は、「天守台」「同心番所」「大番所」「百人番所」、城門では主に「三ノ丸大手門」「平川門」「清水門」「田安門」などが見られる。時期により公開時間が異なる。詳しくは宮内庁のWebサイトでチェックを。

皇居外苑

皇居外苑(西の丸下)は散策自由。江戸城の「桜田巽櫓」「内桜田門(桔梗門)」「蛤濠」「坂下門」「西丸大手門」「桜田門」などの外観が見られる。

吹上御苑・西の丸

吹上御苑と西の丸は、宮内庁があり皇居の中心部であるため、普段は一般公開はされていない。次の方法で各遺構を見ることができる。なお、櫓の公開はいずれも外観のみで内部は公開されていない。

皇居参観

桔梗門から入り、主要な櫓が見られるルート。
「桔梗門」「富士見櫓」「伏見櫓」「富士見多聞」「蓮池濠」。
参観時には列を乱してはいけないので、できるだけ素早く写真を撮ると良いぞ。
※事前予約が無難だが当日枠も。詳しくは下記サイトで。

皇居乾通り一般公開

坂下門から入り乾門に抜けるルートで季節に応じて年2回ほど公開されている。
「蓮池濠」「富士見多聞」「下道灌濠」「西詰橋御門跡」「乾濠」などが見られる。

一般参賀

新年や天皇誕生日に宮殿東庭に至るルート。
「坂下御門」「伏見櫓」「蓮池濠」「富士見櫓」が見られる。とにかくすごい人。長蛇の列になるので、数時間前から(早朝に)列ぶべし。

江戸城の関連史跡

営団地下鉄南北線の市ヶ谷駅コンコースへ行ってみよう。ここには、江戸城外堀の石垣が露出展示されています。工事中に発見されたもので、もちろん本物。市ヶ谷駅へは東京駅から山の手線で有楽町へ出て、営団有楽町線に乗り換えるのが一番いいようです。

北の丸公園に田安門や清水門、竹橋駅の近所には天守閣跡の石垣が残っています。また、市ヶ谷駅を出たところにある川は、実は江戸城の外堀跡として史跡に指定されています。さらに、日本銀行本店の向かいの首都高速下には常盤橋門跡があって、見所の多いお城となっています。

東京駅八重洲口前には「南町奉行所」跡の石碑もあります。有楽町線桜田門駅を降りますと、警視庁の向かいに外桜田門があります。これも田安門や清水門と同じく、江戸城当時からの建物です。皇居の門になっているものには当時からのものもあるようですが、平川門などは当時から残っているものではないようです。

氷川神社には、境内に八坂神社がありますが、これが元は江戸城内にあった東照宮の建物だそうです。江戸城内の宗教関係建築は、全国でここにだけ残っているとか。一見の価値あり(市瀬俊一97.12.19)。

高輪の泉岳寺や巣鴨の本妙寺に遠山左右衛門尉(金四郎)景元の墓など(幕府老中松平相模守98.03.14)。

江戸城の史跡めぐりにこだわる最適なホテル

東京ならホテルがいっぱい。東京駅の赤煉瓦にも。

江戸城のアクセス・所在地

所在地

住所:東京都千代田区千代田 [MAP] 県別一覧[東京都]

電話:03-3213-1111(宮内庁)

アクセス

鉄道利用

JR東京駅下車、北へ徒歩8分。

城ファンの気になるところ (11)

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    現在は一部が「皇居」として使われている。現地に残っているのは堀と石垣と一部の門の建物だけであるが、もし、江戸城にあった建物が見たいとおっしゃる方は、そこからおよそ70km離れた埼玉県川越市へいらっしゃい。
    川越市内には江戸城から移築した建物が4棟も残っていて、見学も可能です。所在地は、喜多院と氷川神社。喜多院の客殿、書院、庫裏は、元々江戸城紅葉山にあったもの。だから、3代将軍家光誕生の間や、春日の局化粧の間などがあります。

    ( 市瀬俊一)さんより

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    この城は日本全国にある普通のものとは異なり、今や皇居という通称で呼ばれている。城自体は何の変哲もない、また跡だけが残る完全体の城ではないが、皇居東御苑内(江戸城の本城)の本丸にある宮内庁書陵部は民間人では研究者だけが愛用できる穴場の資料館、研究所である。学生でも指導教員と一緒に行ってもらえば、OKだそうである。

    ( 幕府老中松平相模守)さんより

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    江戸城の見物は、かつてほどはない櫓(富士見櫓=天守閣代用)が3つ、多聞は御休息前多聞の唯一があるにみ。天守台は明暦三年の大火で焼失後、三代目加賀藩主前田利常が指導して築いたが、天守閣は経費の面が大きな理由から再建されずにいた。ここで国あげての再建を切に要望したい。

    ( 幕府老中松平相模守)さんより

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    江戸本城は、有名すぎるので、外堀についていくつか紹介します。四ッ谷と牛込門趾の石垣が、一部残っています。前者はJR四ッ谷駅前のロータリー脇、後者はJR飯田橋駅の神楽坂よりの改札を出て左に見えます。特に後者は、道路の両側に石垣が残っていますのでちょっとしたゲートにもなっています。存在感があります。
    また、江戸城の出城とも言われている西日暮里の道灌山は、江戸時代は花見の名所で、今でも諏訪神社の境内のなかにあり、春の季節は花見ポイントになっております。但し、往時のように荒川から筑波山まで見渡せる景色はありませんが。道路を挟んだ反対側の現在開成高校があるところ、夏目漱石の小説「三四郎」のなかで、与次郎が佐竹の下屋敷だと通り抜けて叱られたところが道灌山で、断崖になっており、ここに城を置くことが当然といえるほどの地形です。一見の価値はあります。

    ( J=D=メリック)さんより

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    とにかく広いです。本丸(現東御苑)の中雀門を構成する石垣は、他の遺構の石垣とは異なり焼損が著しく明暦の大火により破損した天守台の石垣を再利用したと考える研究者もいます。

    ( ume)さんより

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    江戸城のことがつぶさにご覧になりたい方はこちら→[江戸城「江戸歴史散歩」]

    ( shirofan)さんより

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    日比谷公園には、

    長洲萩藩  (松平)毛利家
    肥前佐賀藩 (松平)鍋島家
    播磨三草藩 丹羽家
    越後長岡藩 牧野家
    肥前唐津藩 小笠原家
    下野吹上藩 有馬家
    陸奥盛岡藩 南部家
    河内狭山藩 北条家

    の八家が存在していたそうです。
    以前の武家屋敷の跡地を探すのも楽しそうですね。

    ( muramasa)さんより

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    東御苑と呼ばれる本丸、二の丸、三の丸は一般公開出来ます。しかし、三の丸の堀が埋め立てられ、石垣も撤去されたのは惜しいと思います。

    ( 小泉正人)さんより

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    2015年以降、毎年、春と秋に「乾通り(坂下門〜乾門)」が一般公開されることとなった。2015年の秋は12月5日(土)から12月9日(水)までの5日間。毎年、宮内庁のサイト「参賀・参観・申込」で公開日のアナウンスがある。道灌堀や富士見多聞などを見ることができる。

    ( shirofan)さんより

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    毎年春と晩秋に定期的に開催される予定の「乾通り一般公開」の時だけ、見る事が出来る不思議な石垣です。
    同心円状に積まれた石垣の真ん中が窪んでおり、そこから樹木が生えてきている。この裏側はどうなっているのだろう?

    ( キャプテン飛べない翼)さんより

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    やっぱり将軍のお膝元は堀のサイズが違う!
    見る限り城壁がたくさんある。
    街中に埋もれてしまったが、跡がたくさん残っている。

    ( タロー)さんより

城の情報

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