鳥越城の歴史と見どころ
鳥越村役場に行ってお願いすると1,000円ぐらいで購入できます。
[Itchy (1999.12.27)]
鳥越城の関連史跡
出城だった二曲城(ふとげじょう)も目と鼻の先です。鳥越城と共に整備が進められています。また、一揆そばの近くには、弘法大師が杖を突き刺した痕から湧き出たという伝承がある「弘法池」があります。実際には手取川の甌穴から湧き出している湧き水だそうですが、そのことも珍しいとのこと。日本の名水百選に選ばれています。水を飲めるように設備がありますが、飲料は不可という保健所のお達しが……。
[Itchy (1999.12.27)]
鳥越城のおすすめ旅グルメ
「一揆そば長助」手打ちそば屋。城のすぐ近くにあります。餅にヨモギをつき込んだ「草餅」を揚げたものが具に入っているのが特徴で、地元でも評判のお店です。
[Itchy (1999.12.27)]
加賀一向一揆の最後の砦となった城です。織田信長の一向一揆討伐の際、佐久間盛政勢に攻められて落城しました。天正8年(1580)に柴田勝家が最初に攻め落とし、同年に一揆勢が奪還しますが翌年、盛政勢によって再び攻め落とされました。さらに翌年一揆勢は再び奪回を試みましたが強大な信長軍の前には太刀打ちできず、そのまま落城しました。一向一揆討伐における最大の激戦地でした。
( Itchy)さんより
現在は本丸、前二の丸・三の丸、後二の丸・三の丸が残っています。特に本丸は発掘調査が行われ、桝形門と石垣が復元されています。本丸跡と前二の丸には建物跡がカラーコンクリートや礎石で表示されていました。土塁も残っています。
( Itchy)さんより
先ごろ本丸直下の斜面が発掘調査され、現地説明会が行われました。天正8年(1580)から天正10年(1582)にかけての一揆勢と盛政勢の攻防の跡がはっきりと分かるように、4回の火災の跡を示す4層の焼土層、奪還のたびに建て直されたことが分かる折り重なった建物跡、炭化米などが発掘されていました。驚いたことに、こんな山奥の城跡なのに出土した器物のほとんどは景徳鎮窯、白磁など高級品の陶磁器でした。
( Itchy)さんより
現在でも一揆勢討伐に関係する地名が残っており、桝形門石垣直下の堀切は一揆軍の処刑が行なわれたところとの伝承から「首切谷」、前二の丸と前三の丸の間の大堀切は一揆勢が落城の際に自害したところといわれて「自害谷」など、物騒な名前がついています。
( Itchy)さんより
築城は元亀4年(1573)頃です。朝倉氏が一乗谷で信長軍に敗れたことから一揆勢は加賀への信長の侵略に備え、加賀の各地に城砦を築きました。鳥越城もそのような城の一つです。加賀一向一揆の総大将であった鈴木出羽守が入城しましたが、信長軍の侵攻により天正8年(1580)には既に最初の落城を迎えました。その後3度の攻防があり、3度目の天正11年(1583)には最終的に落城しました。この戦で加賀手取谷一帯は廃村同然となり、その後3年間荒れ地となったそうです。
( Itchy)さんより