写真:岡 泰行
七尾城の歴史と見どころ
能登半島のほぼ中心にある七尾市。その名の元になった七尾城は、石動山脈の北端、七尾湾が一望できる標高約300mの山頂を本丸として築かれた。能登畠山氏の居城として知られている。能登畠山氏は、室町幕府三管領のひとつである足利一門・畠山氏の分家で、応永15年(1408)に能登守護となった畠山満慶(はたけやまみつのり)を祖とする。
城は、16世紀はじめ頃から本格的な築城が始まったと言われ、約266haの城域は本丸を中心に、城名に由来する七つの尾根沿いに石垣を施した郭や砦、屋敷地が数多く置かれ、さらに周りを土塁で囲む「惣構え」を持つなど大規模なものであった。城下には能登府中まで約4km続く「千門万戸(せんもんばんこ)」と呼ばれる城下町が形成され、連歌師の飯尾宗祇(いいおそうぎ)をはじめ、都から公家や僧侶、文化人が下向し歌会が開かれるなど能登畠山文化が花開いた。
堅牢を誇った七尾城も、天正4年(1576)11月、天正5年(1577)7月と、上杉謙信による二度の能登侵攻や重臣の対立により落城した。天正9年(1581)に織田信長の支配となり、前田利家がこの地に入るが、山城であった七尾城から海沿いの小丸山城に移したため、その遺構の多くが山中に保存された。昭和9年(1934)、国の史跡に指定された。
訪城の際には、城下にある「七尾城史資料館」と、隣接する「懐古館」約年前の庄屋・飯田家の住宅も押さえておきたい。また、本丸近くまで車でも行けるが、資料館から山道をたどり城域の広さを実感できる「七尾城制覇コース約150分」もおすすめである。
本丸から望む山々や七尾湾の景勝は、かの上杉謙信も称賛したと伝わる。
桜馬場に向かう階段と石垣。石材の多くは、谷筋の沢から運ばれたとされる。
温井屋敷の内桝形虎口に使われた九尺石は、城の鎮護の要とされていた。
七尾城の関連書籍
『新修 七尾市史 七尾城編』未曽有の内乱、七尾城落城への道、戦国七尾軍記、上杉時代の七尾城など、七尾城の歴史とその全体像が掲載されている。
七尾城の関連史跡
七尾城のおすすめ旅グルメ
七尾の寿司「鮨治」
金沢で修行を積んだご主人が営む寿司屋「鮨治(すしはる)」で、七尾で捕れる新鮮なネタでクオリティの高いお寿司をリーズナブルに食すことができる。主人は気さくで七尾に行くことがあれば必ず再訪したいと思わせる寿司屋だ。白木のカウンターとうまい酒、店内の風景に和み、ご主人の握り寿司を口に運ぶのが愉しくなる。七尾は「すし王国」と宣伝をしているほど店舗の数は多い。すべてに足を運んだ訳ではないが、いきなし当たりの店をひいたかもしれない、と思った。
七尾城の史跡めぐりにこだわる最適なホテル
七尾駅のそば「さたみや旅館」。能登の海の幸がおいしいです(畠山義綱 1998.12.29)
七尾城のアクセス・所在地
所在地
電話:0767-53-4215(七尾城史資料館)
開館時間
七尾城は散策自由。資料館は9時〜17時、休館月曜、祝日の翌日、12月11日〜3月10日。
アクセス
鉄道利用
JR七尾線、七尾駅下車、バス「古府」降車、徒歩2時間。
マイカー利用
能登道路、柳田ICより国道159線。県道177号線で本丸間近まで車で上がることができる。無料駐車場(10台)有り。
七尾城資料館横から(つまり麓から)、七尾城に登ると山頂部の遺構を見つつ往復約150分ほどかかる。
本丸後から七尾市が一望できる。しかし、現在では石垣しか現存せず、本丸跡に石碑と神社が立っているのみ。
( 畠山義綱)さんより
能登畠山家初代当主畠山満慶が築城。最初は舘くらいの規模であったが、だんだんと整備され、16世紀後半には五大山城の一つとなった。しかし、1577年、上杉謙信の策略にはまり、堅固な七尾城も開城させられた。
( 畠山義綱)さんより
能登畠山氏七尾の歴史がもっと知りたい人はこちら→能登畠山氏七尾の歴史
( shirofan)さんより
この城はちゃんと資料館の所から歩くべきです。夏は特に車道で行くと熱すぎて死にます。
( 屋敷)さんより
階段状になった石垣が美しい。天気がいい日ならなおよしです。運がいいと、ニホンカモシカに会えます。
( 城葱)さんより