城ファンが一期一会で出会ってきた城や情報─。
シリーズ『城の歴史旅』は、記憶に残したい見聞を強者たちが紡ぐコラムです。
[File.015] 本荘良智
シリーズ城の歴史旅:
『日本最北端和式城郭 松前城(福山城)』
江戸時代末期に諸外国から海防の為、1855年西蝦夷松前藩が幕府に命じられ元々在った福山館を拡張築城した。縄張は東に大松前川西に小松前川に挟まれた舌状台地の緩斜面に郭を配し、海防を意識した南側に重点を置いた縄張により、後の函館戦争での落城に繋がったと云われている。また築城時、公式名称は福山城、備後福山城と間違えられる為、松前城とも呼ばれた。
まだ暑い9月の土曜日JAL585便・09:10函館空港に到着。雲が多いが青い空、湿度は低い様でカラッとしている。いよいよ松前城へ向かうが移動手段は公共交通機関を使うと3時間〜3時間半、レンタカーだと2時間〜2時間半。私は同伴者もいたので後者レンタカーを選んだ。ルートは海岸沿いにR228をひたすら走る。青い空と青い海の景色は抜群!気分良くドライブ。
(函館空港、飛行機は別ので来ました)
(島に見えるのが函館山)
途中、城址では無いのだが「横綱千代の山・千代の富士記念館」「伊能忠敬北海道測量開始記念公園」「白神岬展望広場」等の観光も併せてするのも良いかと。また北海道なのでスルメや鮭とば をシャブリながら(臭いかも)の旅もオツだ。
(横綱千代の山・千代の富士記念館)
(伊能忠敬北海道測量開始記念公園の忠敬の像)
(白神岬の眺望)
松前市街に近づくと道路は二又に、右へ行くと松前城が在る。駐車場は城内にも有るが私は役場の駐車場を利用する。現在では大きく改変されているが往時の城への出入口は沖ノ口門・天神坂門・馬坂門・寺町門・湯殿澤門の5ヶ所在った。駐車場は大松前川の外側に在るので川沿いを南に橋を渡り一番近い天神坂門から入城しよう。
坂は葛折りに石垣も積まれ、門の周りの石垣には亀甲積が施されている。この天神坂門は城の南東出入口で高麗門が復元されている。
(松前城下)
(天神坂)
(復元天神坂高麗門)
門を抜けると三ノ郭でL字型に海側に面し、海防の最前線となる土塁が盛られ砲台が七ヶ所設けられていたが、明治期に砲台も崩され平地にされている。現在は土塁・砲台の一部が復元されている。
(天神坂高麗門と三ノ郭土塁)
(三ノ郭土塁と砲台)
そのまま三ノ郭を西へ足を進めると沖ノ口門趾の石垣の残骸が遺されている。ココも亀甲積だったのが窺えるが道路が通りその面影はあまり遺されていない。縄張図によると、その北側には水堀を巡らせ橋を掛け枡形が在る大手門が在ったはずだが、堀は埋められ道路になっており一段高くなっている様だがココに大手門が在ったとは思えない程の改変がされている。
(沖ノ口門石垣)
では三ノ郭を東方向へ戻り搦手へ回ってみよう。搦手が在る東側は水堀・石垣・門・橋等が復元されている。ココで再度縄張図を見ると搦手門は枡形で有り高麗門を抜けると右手に櫓門を潜る形になっている。現在はその枡形も無く本来正面に在る石垣の上に乗る多聞櫓が模擬の長屋門風となり天守へ入る料金所となっている。天守は1961年に鉄筋コンクリート造外観復元され内部は資料館となり、建築から60年が経ち耐震基準にも達していない事により2035年完成の木造復元計画が進められている。
(搦手門)
(搦手門内側)
(外観復元天守)
天守と石垣続きになっているのが本丸御門。松前城には現存建造物はこの本丸御門と本丸表御殿玄関。本丸御門、天守の石垣もだが函館戦争時の銃弾痕が生々しく残され激烈な戦闘が繰り広げられたと想像が出来る。本丸表御殿玄関は一時小学校の玄関として移築されていたが校舎新築に伴い城内に曳屋再移築された。残念な事に往時御殿の在った位置よりズレた所に移築されている。本丸趾に建物は無く広場になり、その北側の北ノ丸趾には松前神社、松前氏の先祖武田信廣が祀られている。
(外観復元天守と現存本丸御門)
(本丸)
(本丸表御殿玄関)
さてこの日の宿は函館市内に予約がしてあるので函館まで2時間かけて戻る事となる。函館と言えば新鮮な海産物。それはさて置き函館山から市街地の夜景!これは絶品!ちょうど戻る時刻には日は暮れ夜景が楽しめる。しかし現地は人が溢れゴッタ返していたが山頂に行き夜景写真はゲット。またこの函館山は明治時代に大日本帝国陸軍の要塞でも有り遺構も遺されている。
(函館市街地夜景)
(函館山要塞)
(文・写真=本荘良智)