『日本のお城 縄張図集』
2019年12月に老舗Webサイト「日本のお城」の渡邉 敬さんが、縄張図集を自費出版しました。『日本のお城 縄張図集』というタイトルで、渡邉さんご自身が測量して描かれた、全国425城と韓国倭城7城の縄張図が収められています。
渡邉さんは、お城めぐりの有名人です。古くは城を写真に収めようと天守前で人がいなくなるのを2時間待ち続けるフォト派から始まり、果敢に全国4,000以上の城を攻め落とし、とにかく日々活動的に動いてられます。城に造詣をお持ちの渡邉さん。お城めぐりファンのオフ会などでお会いすると、それはもう温和な人柄でいろいろと教えてくださいます。また、いつお会いしても城めぐりの苦労話に花が咲く不思議な人です。ある日、ぱったり攻城数が増えなくなったと思えば、縄張図を描き始めたとのこと。そうお聞きしてから十数年、ついに『日本のお城 縄張図集』が発行されました。
実際に『日本のお城 縄張図集』を手に取ってみるとかなりのずっしり感。ページをめくればすべて縄張図と面白い構成になっています。元図を拝見するとデジタルで清書された縄張図で、鮮明で美しいライン。各縄張図には、QRコードが掲載されており読み込むと、地図に城の所在地が表示されます。
内容情報
『日本のお城 縄張図集』
全国425城と韓国倭城7城の縄張図集
作図・編集:渡邉 敬(Watanabe Takashi)
A4判 全440ページ 価格:6,000円
発行日:2019年12月1日
発行者:山城出版
ISBN978-4-9911103-1-1
ご購入はこちらから(掲載城館名もこちらで確認)
http://jcastles.jp/shop/shop.htm
記念にと、縄張図を描く時の実状を色々と伺ってみました。
最も苦労した縄張図は、どこの城ですか?
最も苦労した縄張図は、韓国にある順天倭城ですね。南北900m、東西800mと広域で1日や2日で縄張図を描き上げることなど出来るわけもなく、時間のできた時に通うスタイルで、気がつけば4年もかかっていました。雨の降る中、勘九郎さんと二人してビショ濡れになって描き、ホテルに帰るバスの中で奇異の目で見られたこともありました。もちろん順天倭城は掲載されています。
縄張図作成の苦労話を教えてください
好きなことをしているので苦労話と言ったものはあまりありませんが、強いていえば竪堀を描くことですかね。城めぐりに明け暮れていた頃は、ひたすら本丸を目指して写真を撮り、「ああ、ここに竪堀があるな」と遺構を確認するだけで済んでいましたが、縄張図を描くとなると実際に一本一本竪堀を下りたり登ったりして長さを測らなければなりません。長野県の中山城のように100mを超す長い竪堀を何本も下ったり登ったりするのはしんどいです。ましてや、よくあることですが伐採した倒木が掘り底に投げ込まれていると最悪です。岐阜県にある明智城では危うく足を骨折するところでした。
また、方向音痴の私は下山方向がわからず遭難しかかったことは数知れません。登るときは上へ上へと登っていけばいいんですが、下山時はそうはいきません。登ってきた尾根を下っているつもりが、いつの間にか隣の尾根を下っていたりします。
苦労話ではありませんが、アクシデントならいくらでもありますよ。岡さんもご存じの、まことさんからは「渡邉さんは、山城で起きるアクシデントをすべて経験していますね」と言われたことがあります(笑)。
脱輪危機一髪
飯森山城(岡山県備前市吉永町加賀美)
電子地図の間違ったポイントにだまされ車幅ぎりぎりの狭い林道に入り込んでしまい、路肩が崩れて脱輪してしまいました。小木に引っかからなければ谷底に転落するところでした。圏外だったので中腹まで山を降りてJAFに助けを求めるもクレーン車やレッカー車は近寄ることができず、「へたに動かすと逆に谷底に転落する恐れがある。」と言われ廃車を覚悟しましたが、さすがはプロ、見事に引き上げてくれました。
放し飼いの犬に襲われる
長水城(兵庫県宍粟市山崎町)
目の前に石垣が現れ写真を撮っていると、突然犬が飛び出し襲ってくる。ステッキで防戦しながら後退するが、下り坂を後ろ向きに下がるのは難しくて転倒してしまい、噛まれるのを覚悟したその時犬の吠え声を聞きつけた信徳寺のお内儀が駆け付け、間一髪のところで取り押さえてくれた。カメラは吹っ飛ぶし、ズボンは泥だらけ、おまけに膝を石に打ち付けたらしく右足に体重をかけると痛い。おかげで本丸石垣の写真を撮っただけで早々に下山しました。下山してわかったが、カメラの鏡胴にガタが生じており使い物にならなくなっていた。5年後に縄張図を描きに再度訪れると、その犬は老衰で亡くなっていました。
クマと接近遭遇
武居城(長野県諏訪市中洲)
標柱があるわけでもないので確信が持てず確認のため更にその上にある山を探索することにした。彼方此方探索しながら林道を登り「林道開通記念碑」があるところまで来たとき、胸の高さまであるクマザサの先で枯れ木を折る音がしたのでステッキに付けている自転車用ベルをけたたましく鳴らすと、20〜30mほどのところから「ウォー」と云ううなり声を発して戻っていった。姿は見えなかったがその声は熊以外にない。。ササヤブでお互いの姿が見えなかったのが幸いでした。あの距離で姿が見えたら間違いなく襲われていたと思います。
滑落して肋骨を折る
二上山城(鳥取県岩美郡岩美町岩常)
縄張図を描くとなると危険と思われるところにも行かなければならず、滑落し引っかかった木に打ち付け以前痛めた肋骨を再び痛めてしまった。
(岡山県の高山城や千葉県の吉尾城でも肋骨にヒビが入るケガをしています)
パトカーが駆けつける
野間城・館(大阪府豊能郡能勢町野間中)
早朝から停まっていた車が日没近くになっても停まっているので何か事故でもあったのではないかと里人に通報される。
(長野県の割ヶ岳城では教育委員会の人が捜索のため登ってこられた)
埋蔵金発見?
平家ヶ城(広島県世羅郡世羅町)
遺構がないかとヤブの中を探索しているとお金が落ちていた。金貨銀貨ならぬお札が数枚、枯れ葉に混じっていた。近くに交番がなく、やっと見つけた駐在所も不在であった。仕方がないので甲山警察署まで行って届けた。「半年後にまた来てください」だって。半年後に受け取りに行き、遠征の足代にしました。
空堀に車が脱輪
茶臼山城(広島県世羅郡世羅町上津田)
半年前に平家ヶ城で拾ったお金を取りに来るよう警察から言われて、遠征の足代になると出かけたおりに立ち寄った時に起こりました。駐車スペースを求めて入り込んだところが城内と分かり、後退したところ路肩が崩れ空堀に後輪が脱輪して転覆寸前。城内は通信状態が悪く何度も交信が途絶えJAFの助けを呼ぶのに30分くらいかかってしまった。更に1時間以上かかって到着した。駆けつけたJAFの人が最初にかけた言葉が「ブレーキを離したらひっくり返るぞ」というものでした。2時間近くブレーキを踏み続けた足はパンパンですでに痙攣を起こしており、かろうじて膝を手で押さえている状態でした。
まずは私が車外に降りられるようチェンで仮の固定をしてくれました。日没時間を過ぎていたので作業をするのは危険と判断し、翌日仲間を呼び寄せ2人がかりで引き上げてくれました。
不審人物として職質を受ける
赤館城(福島県東白川郡棚倉町)
縄張図を描いているとパトロール中のパトカーが横付けして職質を受けた。家族ずれの親子がピクニックに来ている城山公園に、不審な装備で何かをしている私が奇異に思われたようだった。改めて自分の姿を見直してみると、確かにこの格好では職質されても仕方がないかもしれない。
不審車として職質を受ける
倉岡城(宮崎県宮崎市糸原)
前日に続き、二日間続けて停まっていたので不審車として職質を受ける。
「道の駅 清流茶屋かわはら」(鳥取市)
道の駅にて野営しているにもかかわらずパトカーの職質を受ける。「車上荒らしを警戒して県外の車を調べている」とのことであったが、駐車場内の車中で寝ているのが怪しいとは合点がいかないと思う。
「道の駅 広瀬・富田城」(安来市)
先週に引き続き、またしてもパトカーに起こされ職質を受ける。歳末警戒中だそうだ。
「道の駅 たびら」(平戸市)
ここの駐車場で野営する人はいないので不審車に見られたらしく、寝ているところを起こされました。
韓国で同伴者が骨折し救急車で運ばれる
亀浦倭城(大韓民国釜山広域市北区浦洞)
亀浦倭城にTさん・Nさんと3人で訪れた際、Tさんが1日早く帰国され、Nさんと二人して縄張図を描いているとき、山の反対側にいたNさんから携帯がかかってきた。「ケガしたからすぐ来てくれ」とのことだった。急ぎ駆けつけると足を骨折していた。救急車の手配はすでに自分でされており、寺のところまで迎えに行くとすでに救急車は来ていた。救急隊員をNさんのところまで案内する。ヤブの中なので担架は使えず担がれて運ばれていった。
Nさんの荷物を持って一人で帰るようにに言われたものの、方向音痴で韓国語はおろか英語も話せない私が一人で帰るなんて全く自信がなかったがやるしかない。まずは山を下りて右に行くか左に行くかさえわからない。考えあぐねた末に、ホテルに帰るタクシーを呼んでもらおうと思って飛び込んだ建物がなんと警察署であった。喜んだものの日本語を話せる警察官が一人もおらず状況を説明することができなかった。おまけに、方位磁石を紛失して代用に携帯アプリを使っていたためにバッテリーがあがってしまっており翻訳アプリも使えない。しばらくすると日本語を話せる警官が呼ばれたらしく駆けつけてくれた。状況を説明してタクシーを呼んでもらいたいと伝えると、上司(署長?)らしい年配の警官の口利きがあったようで「パトカーに乗るように」といわれ、駅まで送ってくれるものと思っていたら、なんと高速に乗ってホテルまで送ってくれた。
ヤブコキ中に携帯電話を落としてしまった
妙見山城(鳥取県鳥取市杉崎)
昼食をとっているときにスマホがなくなっていることに気がついた。縄張図描きどころではなくなり、歩いたところをくまなく探し回ったが見つけることができなかった。呼び出し音で見つけたかったがドコモショップでは貸し出しサービスはしていないと断られ、プリペイド携帯もすぐには購入できないとのことでした。翌日娘に連絡して5分おきに電話してもらい15分くらいして見つけることが出来ました。ヤブコキ中に引っかけたらしく百均で購入したコイル状に伸縮するヒモがブチ切れていた。
轍にはまり立ち往生
志茂の手館(山形県最上郡最上町志茂)
珠徳寺脇を通って登り切ったところを砂利道に入ったところ、道がぬかるんでいるなとは思ったものの少しでも車で行けるならと進んだのが間違いのもと。100mほど進んだところで動けなくなり、慌てて戻ろうとしたがすでに遅かった。前にも後ろにも動けなくなっていました。ありったけの枯れ枝を集めタイヤの下に押し込んだりしたが、10m下がるのに3時間半もかかってしまい、さらに1時間がんばったが1cmも動いてくれない。あきらめてJAFに助けを求めようとしたら圏外で携帯がつながらず、山を下りて珠徳寺の少し下あたりで電波が有効となりJAFに助けを求めました。レッカー車はすぐに来たもののワイヤーが届かず、ありったけのロープやワイヤーをつなぎ合わせても10mほど届かない。私が持っているロープを申し出たが、切断する恐れがあるので使えないと言われてしまいました。共倒れになるかもしれないがレッカー車を近づけやっと届いた。何とか脱出したのが6時過ぎ。車体が泥だらけでとても走れる姿ではないので、近くのGSに飛び込んだものの洗車してもらえる状態ではなかったので自分で洗車しました。コイン洗車で15分もかかってしまいました。
こっちも驚いたが相手も驚いた
波田須城(三重県熊野市波田須町)
石塁が等高線に沿って連なっており夢中になって写真を撮っていたら、すぐうしろでシダをかき分ける足音がして振り返るのと同時に目の前にイノシシが飛び出してきた。こっちも驚いたが、イノシシも驚いたようで一瞬にして反転し主郭に向かってシダの中を逃げていきました。
反転ができない林道で立ち往生
生池城(長崎県壱岐市勝本町百合畑触)
古墳口の所からさらに先に進むと「生池城跡約200m」の案内があり、そこから先は車で入ってはいけません。サイドミラーをたたまないと通れないし、反転場所がないためバックで戻らなければなりません。誘導する人がいない状態で、車幅1.5mほどの林道をバックで戻る恐ろしさといったらありませんよ。車体に無数の傷が残りました。
目標を誤り別の山に登る
梁山倭城(大韓民国梁山市勿禁邑勿禁里)
尾根の先端からも登れるとの勘九郎さんの案内で登ったものの、急峻な斜面に苦しめられ降りるに降りられなくなり、登り切ったと思ったら今まで何度も登り縄張図を描いていた梁山城ではなかった。ここに来て初めて比高120mのはずが300m近く登ってきたことに気がついた。眼下を見ると梁山城が遙か下方に見えました。
最後に笑い話をひとつ
名護屋城(佐賀県)
歴史に疎いそれがし名護屋城を取り巻く諸大名の配置図を見て、豊臣秀吉の陣を一生懸命に探してしまいました。これだけの軍が攻めようとしている名護屋城の城主は誰なんだろうと考えていました。そばの説明書を読んで納得。自分自身の「歴史オンチのお城好き」にあきれ腹を抱えて笑ってしまいました。これって、一生笑われるんだろうな…(^。^;)
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歴史フィールドワーク派の、血と、汗と、涙の結晶の一冊ですね(涙)。