写真:岡 泰行
横手城の関連史跡
車で15分ほど秋田方面に向かえば、後三年の役古戦場があります。また、城の南東方面にはなんとあの本多上野介正純の墓があります。こんな田舎で死んだ正純はさぞ無念だったろうと思います…。一度、お参りしてあげて下さい。
[英郷 (1999.07.22)]
[伊達藤次郎 (1998.04.24)]
横手城の史跡めぐりにこだわる最適なホテル
駅前に横手プラザホテル、ステーションホテルの二軒があります。また、市内には古くからの旅館、といった感じのシブい宿も何軒かあります。
[伊達藤次郎 (1998.04.24)]
城跡には模擬天守が建っています。中はちょっとした資料館に成っています。模擬天守があるのは本来二の丸だった所で、本丸の後には秋田神社があります。春は桜の名所で横手の人は殆どここで花見をします。本多正純の墓も。
( 伊達藤次郎)さんより
模擬天守は愛知県の岡崎城をモデルに1965年に建てたものだとか。
( 半兵衛)さんより
現在の秋田県の県南部に勢力を張っていた豪族の小野寺氏が室町時代に築いたのが始まりで、関ヶ原後小野寺氏が滅んだ後は常陸より転封されてきた佐竹氏の支城として改修・城下町整備が行われました。城代は佐竹氏重臣の戸村氏が代々務めていましたが、佐竹義宣の頃は国分盛重(伊達政宗の叔父で政宗に背き、母方の佐竹氏に降っていた)が城主に成っていた事もあるそうです。ちなみに盛重はその後伊達姓に復し、佐竹氏の重臣として代々続いて行ったとの事です。
( 伊達藤次郎)さんより
石垣がつくられず、代わりにに韮が植えられたため「韮城」という別名があります。一国一城令が出されたとき、本来であれば廃城となるところでしたが、義宣公の対応の速さもあり、特別に桂城(大館城)とともに存続が許されました。
( 英郷)さんより