写真:岡 泰行
三戸城の関連史跡
「旧圓子家 武家居宅 」絵図面を参考に利用できる資材はそのまま活用し平成5年に復元。内部は兵法書・槍術秘伝・棒術秘伝などの古文書を展示。樹齢750年、日本最古の「かしわの木」も。場所は三戸郡倉石村。AM9:00~PM4:00、月・水・金休業。
三戸城のおすすめ旅グルメ
南部せんべいなど。
写真:岡 泰行
「旧圓子家 武家居宅 」絵図面を参考に利用できる資材はそのまま活用し平成5年に復元。内部は兵法書・槍術秘伝・棒術秘伝などの古文書を展示。樹齢750年、日本最古の「かしわの木」も。場所は三戸郡倉石村。AM9:00~PM4:00、月・水・金休業。
南部せんべいなど。
三戸南部氏の居城。盛岡に城を移すまで南部氏の居城であった。だいたい、晴政、晴継、信直、利直くらいかな?今は城の跡形はないが町が一億円かけて造った綱御門は素晴らしいよ。あと城の隣に温故館っていう資料館があり、南部藩関係資料などがあります。春は桜の名所。
( うめのすけ)さんより
城は、搦手(からめて)の石垣が、発掘により顔を出している。崩れたままの状態で、2005年現在、予算の関係もあって整備までされるかどうか分からないらしい。その崩れかけの美しさが、城跡という過去の遺跡にいかにもぴったりくる場所で、ここで繰り返しシャッターを切った。気が付けば雨もひどくなりカメラもびしょぬれで退散した。余談だが、三戸城が築城される前は、聖寿寺館(しょうじゅうじたて)という城がその本拠だったがこちらも発掘が進んでおり、整備計画があるらしい。
( shirofan)さんより
三戸城も桜がある。桜について少し。全国の公園によくあるソメイヨシノと呼ばれる桜は園芸種らしく、江戸の染井村(豊島区駒込)が発祥とのこと。元の名は「吉野桜」だったが、奈良の吉野桜と区別するために、その名前に地名を盛り込んだ。
現地の古老曰く、ソメイヨシノは最低6〜10m間隔以上で植える必要があり、しだれ桜は最低7m間隔だそうだ。三戸城では、それまで植えてあった桜を、その間隔に移動させ整備するといったことをしたそうだ。また、根の部分は人が踏み固めてしまうと桜が弱るらしく、公園に植える際は保護に注意が必要なのだとか。そういえば姫路城の桜は、根の部分が保護されておらず踏み固められ弱っている。
手入れをすると咲いている時間も長い。ふと思えば、弘前公園(弘前城)は、桜の木は堀端などに植えてあり、柵が設けてあって根のところには、近づけない。単に堀に人が落ちないように設置された柵かと思っていたが桜を守る効果も高いようだ。
青森県界隈で有名な桜スポットは、「角館」「北上展勝地」「弘前公園」の3つらしく、これらの桜は、1つのつぼみから、5つの花が咲くように手入れされているそうだ。弱ったり年老いた桜は、ひとつのつぼみから、2つほどしか花を付けないとのこと。
2005年現在の三戸城の公園では、手入れが悪く、てんぐ巣病という病気にかかった桜が多く見られ弱っているものが多い。その見方を教わった。それでも復興天守裏の桜は103歳らしく、60年〜80年と一般的にいわれるソメイヨシノの寿命を大きく上回っているらしい。ちなみに日本最高齢のソメイヨシノは推定樹齢120年で弘前城にある。
( shirofan)さんより
三戸城は、ついつい復興天守に目がいきがちだが、発掘された鍛冶屋御門跡の虎口が実に山城らしい遺構。また、綱御門付近石垣も見応えがある。
( shirofan)さんより
搦め手門からの登城がおすすめですよ。
( 工藤克明)さんより
「さんのへ」と読む。その昔、南部氏の所領に「一戸(いちのへ)」〜「九戸(くのへ)」まであり、現在、知名度が高いのが八戸(はちのへ)と三戸である。三戸の町は、狭い山あいにあり、バスや駅舎など古くなった町のパーツがところどころに見られ、その昔、にぎわっていた町を思わせる。その盆地に顔を出したように突出しているひとつの山が三戸城址で、山頂は公園整備がなされており、復興の小さな天守と城門が建つ。今や八戸の方が大きい町だが、もともと南部氏はこの三戸にあった。現地の古老によると、ゆえに今でも三戸の人は、八戸や盛岡(南部氏に関係する近郊の都市)よりもプライドが高いことがあるのだとか。
( shirofan)さんより