乾小天守 姫路城の特別公開の見どころ
乾小天守は三層四階地下一階建、大天守と同時期の慶長14年(1609)に造られた。大天守の西北に位置することから、その方角を示すネーミング「乾(いぬい)」の名が付いている。約9.2メートルの石垣上に建ち、1階・2階ともに、東側はロの渡櫓、南側はハの渡櫓に連結している。三基の小天守の中で最も規模が大きい(建物の高さは約14.5メートル)。また、その土台が食い違いの構造になっていて(渡櫓と同じ石垣ライン上に建っていない)、他の小天守を比べると独立している感触が強い。
外観も三基の小天守の中で最も優美な姿をしている。中でも西面(下写真)が最も装飾が豊かで、唐破風、入母屋破風が重なり、最上階は見栄えを考慮して南面と西面で花頭窓が用いられている。
左手の背の高い櫓が乾小天守。右手は西小天守(西小天守は東小天守とほぼ同規模)。
乾小天守のみ最上階の屋根の向きが、大天守や他の二基の小天守と異なっている。桁と梁を直行したかたちで最上階を乗せる、これがちょっとトリッキーに見える。乾小天守は大天守の対角にあり、天守群の中で、重要なアクセントとなっているのはデザイン的に見ても明らかだ。
『姫路市史 第14巻 別編姫路城』(姫路市)によると、建築様式も他の天守と異なるところがあり、発見された墨書から慶長14年(1609)に造られたとしながらも、昭和の大修理の際、基礎工事に特殊な工法を用いていたこと、転用材が多く使用されていたことが分かり、また、姥ヶ石(秀吉時代からとの伝承)や油壁が残っていることなどから、秀吉時代の天守または櫓などの古材が利用された可能性があるという。
花頭窓についても少し触れておこう。この二基の小天守最上階には花頭窓が付いているが、乾小天守の花頭窓の内側は角窓で、西小天守の花頭窓は格子窓と、両者異なった形となっている。
乾小天守の花頭窓は、角窓に取り付けられている(上写真)。開放的な窓は、まるで防御を考えていないかのようだ。この花頭窓から、屋根に出ることができる。平時の屋根のメンテナンスはここから出て行われていたのではないかと思われる。
一方、西小天守南面の花頭窓は、よく見ると格子窓に取り付けらている(上写真)。乾小天守より先に敵に突破されると想定されている西小天守。格子がある分、防御性は高い。また、この西小天守は南面は、城下に対して正面を向いているため唐破風をあしらう、おしゃれ心がある。
乾小天守2階(特別公開)
乾小天守の内部に、地階から2階までは直接上がる階段は無く、ロの渡櫓、ハの渡櫓から乾小天守内に入る仕組みとなっている。写真は西北から見る2階の様子。一辺の長さ約9.8メートルの四辺形で右手に3階へ続く階段が設けられている。内室を東側以外の三方向を幅二間の武者走りが巻いている。東小天守の武者走りは東側約1間、北側約1間半、西小天守は幅約1間半なので他の小天守より広い。
乾小天守2階内室。右手には武具棚が設置されている。壁の向こうはハの渡櫓となる。見た目では全く解らないのだが、壁の中には平瓦が積まれ、ハの渡櫓側からの攻撃を防ぐ「槍止めの壁」と呼ばれている。これは1階、2階ともにそうだと思われるが、もしかしたら1階の壁だけかもしれない。
内室の梁には、「IIX」と刻まれていた。番付かと思われるが詳しいことは分からない。
写真は内室と武者走りを仕切る扉。お解りいただけるだろうか、扉にはカンヌキが付いているが、そのカンヌキが刺さる穴が敷居に無い。きっと戸板は城内の別の場所から持ってきたのだろう。
乾小天守からハの渡櫓へ通じる扉(片開き戸)。虎口のように折れ曲がった通路となっている。これは土台である乾小天守の天守曲輪の石垣がハの渡櫓より西へ(写真手前へ)張り出しているためだ。
乾小天守2階から3階への階段。
2階階段付近で見上げると、3階の壁ライン(白漆喰が塗られた部分)が見られる。
乾小天守3階(特別公開)
乾小天守3階は、天井高が低い。1階と2階、この二重の櫓に望楼を乗せているタイプのため二層の屋根内部に一室を設け、小天守では唯一、三層にも関わらず、内部4階建の構造となっている。
写真左手は西側で入母屋破風の内部。乾小天守は3階・4階(最上階)ともに三間四方の四辺形で、この3階は入母屋破風から幅一間の通路を設け、間仕切りが施されている。頭上の梁は、特別公開時にかがんで進むため、頭をぶつけることを想定して布が巻かれている。また床板保護のため、本来の床板の上に保護材が敷かれている。
振り返って、登ってきた階段方面(南側)を写した写真。正面の壁は白漆喰が塗られ、鉄砲狭間がひとつ見られる。この狭間は水三門を狙う下向きの角度が付いているようだが、水三門から確認するとこの鉄砲狭間が見えなかった。また、天井が近すぎて鉄砲を下向きに構えることができなさそうだ。要するに屋根の上しか視野に無くどこを狙うものか分からない。
写真右手のスペースは入母屋破風内部だ。また左手には開き戸タイプの階段の蓋があるのが分かる。左側の壁は、竪(たて)羽目板の間仕切りで、その向こうには部屋がある(次写真)。
間仕切りされた部屋の内部。屋根の内部に設けられた部屋のため、採光が無い。正面の壁は先の階段方面を写した写真正面の壁と同じライン。前者は漆喰塗りだが、この部屋内部は板張りとなっている。壁の向こうがハの渡櫓の屋根小屋組になるためだ。右上に見えるのは通気用の与力窓で(窓の向こうはハの渡櫓の屋根上)、その下には板戸が保管されているのが分かる。
また、左側の壁は、イの渡櫓ページの最後で紹介した、乾小天守の左右対称の位置にない千鳥破風がある面なのだが、単なる板壁に見えるので、姫路城としては珍しく破風内を部屋として活用していないのが分かる。後付けの千鳥破風の可能性が高い。余談ながら、室内は肉眼では見えないほどの暗さだったため、フラッシュを使用して撮影したが、光で火災報知器が作動する恐れがあるらしい。
乾小天守4階 最上階(特別公開)
乾小天守の最上階からの眺めは、姫路城の数ある名風景の中で群を抜いている。眼前に大天守の大千鳥破風が迫り、ロの渡櫓から東小天守を望み、天守内庭を見おろす。2002年4月から訪れているが2007年11月の特別公開時が最も美しく印象に残っている。11月は空気が澄み日の当たる角度も良く、室内からも美しい景色が見られた。
乾小天守最上階からの眺め(上写真)。2007年11月の特別公開時。大天守は現在と異なり壁に少々汚れがある。
乾小天守から見るイの渡櫓(正面の渡櫓)と東小天守(イの渡櫓左手の櫓)。2002年4月の特別公開時。
乾小天守最上階の花頭窓から見る大天守と西小天守。2007年11月の特別公開時。
乾小天守最上階から大天守を望む(上写真 2019年2月の特別公開時)。大千鳥破風が眼前に迫る。大千鳥破風は大天守3階にあたり、ちょうどこの場所から大天守千鳥破風内にある屋根に出るための扉が見られる。また、写真の中央あたり黒い糸のようなものが垂れているのが見えるがこれは避雷針。
写真は乾小天守最上階。3階と同じく三間四方のスペースで4階は1室となっている(写真は2019年2月の特別公開時)。大天守の最上階、東小天守の最上階と同じく、蟻壁(ありかべ)や竿縁天井が施され、居住性があるのが分かる。花頭窓は南面と西面のみで、その内側は角窓となっている。窓上部には火縄銃で使用する用具掛けも見られる。窓には新たに復したビニール障子がある。手前にはいかにも現代的な柵が設けれていてちょっと興ざめする。
2022年8月の特別公開時には、ビニール障子と柵が無くなり、本来の姿として眺望も見られるようになった。
乾小天守最上階、西北の階段方向を見る。武具棚や鉄砲狭間、煙出しの窓があるのが分かる。
階段の欄干には、階段を閉める蓋を止めていたと思われる金具が2つあり、写真には写っていないが壁には、蓋を開けたときに固定するフックが残っていた。もともとは開き戸タイプの蓋(扉)が階段に設置されていたものと思われる。
乾小天守をはじめ小天守には、釘隠しがどこにも用いられていなかった。写真は釘の頭頂部が見えている様子。これについて、姫路城英語ガイドの三左衛門さんがご自身のブログで書かれているのでチェックしておこう。
乾小天守1階(一般公開)
一般公開エリアの乾小天守1階。西北から見る。中央は内室で姫路城の総構の巨大な模型が置かれている。武者走りは左手がロの渡櫓に通じ、右手がハの渡櫓に通じる。
通常、この模型に人だかりができてしまい、左手のロの渡櫓1階とともに人のいない風景を撮るのは結構、難易度が高かったりする。ここで1時間ほど人通りが切れるのを待った。
最後に大天守から見る乾小天守をどうぞ。こんもりとした小さな山は千姫天満宮のある男山。
それでは、ハの渡櫓へと足を運ぼう。
(文・写真=岡 泰行)
参考文献:
『姫路市史 第14巻 別編姫路城』(姫路市)
『日本名城集成 姫路城』(小学館)