写真:岡 泰行
松本城の歴史と見どころ
国宝に指定されている天守は、5城あるが松本城はそのひとつ。当時の面影が残る貴重な城だ。その黒光りする天守は5層6階で、渡櫓で結ばれた乾小天守は3層、辰巳附櫓は2層、月見櫓は1層地下一階の、4つの建築物が複合された独特の様式。内部・外観など当時の様子を知る上で貴重な存在とされている。松本盆地のほぼ中央で優美な姿をたたえるこの城を、是非一度、訪れて城の本当の姿を実感してほしい。
永正元年(1504)、島立貞永が築いた深志城がそのはじまり。中山道、北陸道、越後路に通ずる交通の要衝を選んだのだ。その後、深志城は、天文19年(1550)、武田信玄に攻められ落城し、武田氏はこの城に城代を置いた。天正10年(1582)、勝頼の代になって武田氏は信長に滅ぼされた。深志城では当時の城代、馬場信春が開城して逃げ去ったといわれ、深志城には変わって信長の城代が置かれた。同年、本能寺の変によって信長は倒れ、当時、上杉景勝の支配下にあった小笠原長時の弟、貞種が入るが、長時の旧臣たちは三河にいた長時の子、小笠原貞慶を迎え、城を占領する。父長時滅亡から33年目のことである。このとき城の名を松本城と改めた。秀吉の小田原攻め以降は、貞慶は古河へ、松本城には石川数正が入封し、現在の松本城の築城をはじめ、慶長3年(1598)、主要部分が完成するに至る。関ヶ原以降は、小笠原秀政が入封し、戸田氏、松平氏、堀田氏、水野氏と城主が変わり、享保11年(1726)、戸田氏が入封、世襲し明治を迎える。
明治から大正にかけてと昭和25年から30年あまりの歳月をかけの大修復が行われた。外郭も当時の姿が日々よみがえりつつあり、守りの機能などの城としての構造がより分かりやすくなってきている。この3月に松本城二の丸正門の「太鼓門」が復元され、その優美な姿は夜もライトアップされている。
松本城の特徴と構造
国宝の天守5棟
松本城の中で国宝として指定されているのは、大天守(だいてんしゅ)・乾小天守(いぬいこてんしゅ)・渡櫓(わたりやぐら)・辰巳附櫓(たつみつけやぐら)・月見櫓(つきみやぐら)の5棟。現存天守を有する城は12城あるが、天守が国宝指定されている城は5城あり、そのうちのひとつである(姫路城・犬山城・彦根城・松本城・松江城)。五重の天守で現存しているのは、姫路城とここ松本城のみである。
戦時の天守と平時の櫓の複合
天守5棟のうち、大天守・渡櫓・乾小天守の3棟は戦国時代末期の築造だが、辰巳附櫓・月見櫓は他の天守より後の寛永10年(1633)の築造。関ヶ原合戦以前の築造された3棟は、石落しや狭間が多く、戦時を想定した武装を重んじる造りになっている。また、内堀の幅が火縄銃で堀から天守を撃つと届かず、高さのある天守から堀端を撃つと届くというぎりぎりの幅であることなど、鉄砲戦への備えもされている。一方、戦のない江戸時代に築造された月見櫓は、書院などで用いられる舞良戸が用いられ、外すと三方が開放的な空間になるなど、戦時の建物では見られない優雅な造りになっている。このように戦時の戦国期と平和な江戸期という違う時代の天守と櫓が複合した天守群は、松本城の他に例がない。
寒冷な信州ならではの設計
大天守6階は、当初の設計では外周に勾欄がつくはずだったが、この地の寒さが厳しかったことや風雨の対策のために、壁を勾欄の位置まで出して6階が作られたといわれている。このことも、松本城の特徴とも言える無骨な表情が出る要因の一つかもしれない。また、天守の屋根が急角度なのは、雪が多い土地ゆえの造りとも考えられている。
連峰を背にした秀麗な景色・黒漆塗りと白漆喰が対比する美しさ
松本城の西は日本アルプス連峰がそびえたつ。天気がいい日に天守から堀を隔てて南〜南東側から見ると連峰を背景とした天守の秀麗な景色を見ることができる。
なお、松本城の天守は外壁の上部が白漆喰、下部が黒漆塗りとなっているが、毎年秋に漆の塗り替えを行うため、櫓をシートで覆っている期間がある。外観の全てを見たい人は、公式サイトなどで塗り替えの期間をチェックしよう。
天守だけではない「史跡」松本城
公園では天守閣のほか、黒門、太鼓門や枡形が復興・復元されており、内堀の一部も復元されている(黒門一の門は平成30年3月末まで改修工事中)。建物はないが、本丸御殿跡・二の丸御殿跡も整備されている。
また、江戸時代の松本城は、現在は公園となっている本丸と周囲の二の丸の他、公園の東側・南側にあたる三の丸もあり、それらが内堀、外堀、総堀の三重の堀で囲われていた。市内には総堀の土塁もわずかに残っており、近年整備された西総堀土塁公園などで見ることができる。
参考文献:『日本城郭大系8』(新人物往来社)、探訪ブックス『日本の城 中部の城』(小学館)、『国宝松本城 解体と復元』(竹内 力編)
松本城の撮影方法
松本市役所の最上階に展望室があり、松本城を東側から望むことができる。窓も開くので写真が撮りやすい。松本市役所展望室は平日のみで、土日祝と年末年始は入ることができない。写真は展望室からの眺望。眼下に太鼓門と水堀があるので落葉している時期が良いかも。なお、背後のアルプスに雪が残っているのは、毎年GWあたりまでとなる。
松本城の写真集
城郭カメラマン撮影の写真で探る松本城の魅力と見どころ「お城めぐりFAN LIBRARY」はこちらから。松本城の関連史跡
西総堀残存土塁と新井家の脇木門
松本城の城下に残る土塁は、計5箇所ある。東総堀残存土塁、北総堀残存土塁、捨掘残存土塁が2カ所がそれだ。このうち、民家内にあるもの等を省いて、見ることのできるのは、整備された「西総堀残存土塁」と市役所横の「東総堀残存土塁」。西総堀残存土塁は、2010年3月に整備公開され、土塁の断面などの解説や、逆茂木の跡や庭園跡などが地表に記されている。また、ついつち見落としがちになるが、西総堀土塁から、東へ70m歩いた右手に、新井家の脇木門が現存している。三の丸に唯一残る建築遺構。駐車場の一角、電信柱の裏にある。
東総堀と東総堀残存土塁
松本市役所横に、小さな丘があるがそれが東総堀残存土塁。その東側には壮大に残る東総堀も見ておくと良いぞ。
かつては4つの馬出しがあった
松本城は三の丸に入る、東門馬出し、北門馬だし、北不明門の馬出し、西不明門の馬出しと、かつては4つの馬出しがあった。このうち、多少の遺構が残るのは、北馬出しのみで大井戸があるある窪地が、その堀跡だ。また、東門馬出しはその石碑と井戸跡がある。
武家住宅、高橋家住宅
松本城の北、徒歩約10分の距離に、武家住宅、高橋家住宅がある。現存する武家住宅では長野県内でも最も古く、平成16年に松本市管理となり、幕末期の姿に戻し土日祝のみ公開している。
牛つなぎ石
JR松本駅から松本城までの道のりで、中央二丁目交差点(本町1丁目)に「牛つなぎ石」がある。道路脇にぽつんと置かれた石は、高さ約70cm。上杉謙信が送った武田信玄に塩を送った際に、運んだ牛をつないだ石と、江戸後期になって言われるようになったそうな。
松本城のおすすめ旅グルメ
「浅田」そば屋。松本駅からメインストリートを東へNHKの一つ先?二つ先?を右に入り数十メートル行くと右に見える。
[COUSIN (1999.06.28)]
松本城の史跡めぐりにこだわる最適なホテル
松本駅と松本城の間にホテルが数多く点在するので、さほど苦労しないが、桜の時期やゴールデンウィークは、どこも満室になるので、早めの予約が良い。
松本城にほぼ隣接するホテルは「ホテル末廣館」のみで、その展望台に上がれば、大天守が目の前だ。家族経営のホテルなので、いろいろと無理を言ってはいけないぞ。
そのほか、比較的近いホテルは、「サザンクロスイン松本(旧ハミルトンイン松本)」または「松本ホテル花月」。両ホテルともリーズナブル。
松本城のアクセス・所在地
所在地
住所:長野県松本市丸の内4番1号 [MAP] 県別一覧[長野県]
電話:0263-32-2902(松本城管理課)
開館時間
無休(年末年始12月29日〜31日を除く)。二の丸は散策自由。本丸は有料で8:30〜17:00、GWと夏期は8:00〜18:00。
アクセス
鉄道利用
JR中央本線、松本駅下車、徒歩15分。タクシーが出ているが乗らなくても良い距離。案内も出ていて迷わない。念のため松本駅の観光案内所でマップをGET。
マイカー利用
長野自動車道、松本ICから東へ約15分(3.9km)。「市営松本城大手門駐車場」有り(有料・営業時間7:30〜22:30)。城まで徒歩5分。
天守群の写真を撮るなら西南方向からが美しい。ここから見ると、天守台の西面が内側に歪んでいるのがよくわかる。それに合わせて、天守一階二階の武者走りの壁面が内側に湾曲しているのが面白い。
( 城山神々)さんより
近県の方は積雪時を見はかって訪れると、雪化粧が素晴しい。降雪対策として天守群の軒先に平瓦を裏返して重ねているのが見られるが、おそらく、冬期限定仕様と思われる。
( 城山神々)さんより
初重の16本の丸太柱、極端に低く傾斜の緩やかな天守台は堀中天守のためか、他城に見られない工夫がしてあり、背高の天守にもかかわらず、付櫓と併せてどっしりとした安定感がある。
( 城山神々)さんより
『国宝松本城解体と復元』(竹内 力編4,000円)は城内の売点で売っている。やや行政の決算報告書じみた点を除けば、解体修理に関してこれほど体系化された資料はなかなか手に入らないだろう。
( shirofan)さんより
内部が本丸を挟んで三棟に分かれていて、それぞれの建物で同じ階の高さが違う。階段も急で歩きづらいためか、ものすごく混雑しました。いい加減うんざりしてたら、入り口にいた係りのおじさんが現れて、由来とかお城に関するクイズとかいろいろ話をしてくれてました(おじさんご苦労様、という感じ)。で、登ったはいいけど最上階もものすごい混雑。みんな壁際に座り込んで動かないんですよ。しかたないから四方をのぞくだけにして、すぐ降りてしまいました。守るにはいいんだろうけど、見て回るには不便(笑)。
( 長利智祐)さんより
入り口付近にあるお土産屋さんに、全国のお城ガイドブック(400円)がありました。お城保存協会(だったかな?)に加盟している各地のお城のことが載ってます。これ便利かも(何に?)。
( 長利智祐)さんより
火縄銃の資料が豊富!空いていたにも関わらず2時間もかけて回ってしまった。火縄銃ならここ!
( オジャ)さんより
行ったのが早朝だったので中は入れなかったのですがとても綺麗なお城でした。黒いお城って珍しいですよね。 鳩がいっぱい眠ってたのがかわいかったです。どっちも黒いから、はじめ全然気づかなかった(^^)。
( まりすけ)さんより
松本城の中には、色々な種類の鉄砲が展示されていますが、その鉄砲の種類をすべてカラーで収録した、「松本城鉄砲蔵」という本が、天守近くの売店で売っています。価格は、2,000円です。結構、詳しくできているので、良かったら、買ってみてください。
( 伊達政宗子)さんより
地元では松本城でデートをすると2人は別れるというジンクスがあります。みなさま観覧の際はお気をつけ下さいマセ。桜と藤の季節は素敵ですよ。最近は新しく門が建ちました。
( 松本出身者)さんより
白いお城もいいですが、やっぱり黒いお城が一番ですね〜。黒いお城は、松江城、熊本城がお勧めです。女性の方で松本城を見学するときはパンツルックをお勧めします。急な階段を登れずに下で待ってる女性が多かったですよ。
( ABUチャン)さんより
松本に住んでいます。松本城の横の道は良く通りますが、松本城に上ったのはこの間が始めてです。太鼓門を見てきました。出来立てなので柱や壁等は、まだピカピカして新築の木造家屋の様です。門の上に上がることが出来ますが、何も置いてなくガランとしていました。ただ壁に太鼓門復元の試料は掲示されてはありました。太鼓門だけに、門の所には、太鼓があり叩けます。夜に通りかかるとライトアップされていてきれいです。
( COUSIN)さんより
信州の出身の者ぢゃ。確か、松本城の大天守には、正体不明の吹き抜けが、 あったはずぢゃがの。一説によると、天守の傾きを調べるための物だっとか。結局真意は不明らしいのぢゃ。松本城は大修理するまで傾いていた。ある一揆で、恨みをのんで死んでいった百姓の祟りだかで、傾くようになった。という伝説も、あるらしい。実際は、天守台の下まで埋め込まれた柱が腐っていただけだそうな。
( 辻馬出)さんより
お城近くの民芸品店「たかぎ」にて7月頭に刀剣展が開催されるらしい。刀や火縄銃が200点も展示されるとのこと!特に松本城にはゆかりあるだけに火縄の展示は必見ですね!ぜひ、足を運んでみましょう!
( はんだま)さんより
松本城の天守群の中で唯一内部に入れなかった、乾小天守三階・四階部分が 7/1から11/30までの日程で特別公開されています。と言うニュースを見たのでちょうど松本に用事があったこともあり一昨日行ってきてしまいました。料金所の門が開くと同時に本丸に入って、さぁ見るぞ~と思ったのですが、なにやらセレモニーが終わってからでないと乾小天守へは入れないとの事。しかもこの日はこの夏一番の暑さで朝から汗だく、こういうときは風通しの良い大天守六階で涼むに限るので、公開まで1時間ほど涼んでから乾小天守に入りました。通常通り渡櫓から入り、乾小天守一階・二階とこれはいつも通り。そして今回公開される三階・四階部分へ登ります。三階部分は二層目の屋根に当たるので窓が無いし半分が階段部分で占められているのでとても圧迫感がありました。ここには戸田氏の鎧が展示されていました。そして四階部分は、北に花頭窓?1つと矢狭間2つ、西も同じく、南は渡櫓との接続部なので窓の類は無く、東は鉄砲狭間1つと矢狭間2つ。花頭窓があるおかげで明るかったです。屋根内部のの造りもよくわからないけど迫力ありました。ついでに係員の方に、なぜ乾小天守三階・四階は非公開か聞いてみたのですが、「階段が急で狭いので危ないから」だそうです、ホントかぁ~?確かにかなり狭くて急だったけどそれが普段非公開の理由なんてちょっと残念でした。できれば今後も定期的に公開してほしいところです!
( 町)さんより
一揆の農民が死刑になる前に、「この恨み心でも忘れるものか、その証拠に怨の一年で天守を傾けて見せようぞ」っと、言ったらしい。しかも天守が傾いてしまった!しかし木が腐ったため、傾いたらしい…。
( 青木智宏)さんより
太鼓門復元に用いた金具類は1本1本手作りの和釘5,000本のほか、大きな門扉を支える肘壷、装飾用の金物などざっと200点に達します。全ての製造をフィット工業が担当しました。同社は城主戸田光則お抱え鉄砲鍛冶だった。今回の復元工事には4代目にあたる会長さんと同社の社長さん(私のお知り会い)の兄弟コンビで携わったのです。
( iyoppi)さんより
開智学校へも行くのであれば、お城の周りの有料駐車場ではなく、開智小学校北側の無料駐車場に止めると良いですよ。
( 南小柿 謙)さんより
松本城の事で、織田信長に攻め込まれた時に武田家城代の馬場信春が開城して逃げ去ったと記載されてますが、実際にはどうなのですか?
( 馬場っち)さんより
松本城公式ホームページが2015年4月1日に新設された。歴史的価値が存分に盛り込まれた内容となっている。
http://www.matsumoto-castle.jp/
( shirofan)さんより
平成29年7月15日から、松本城の乾小天守に入城制限がかかる。文化庁の耐震診断指針で、震度6強〜7の地震が起きた場合に倒壊の恐れがあることが明らかになった。乾小天守は天守群の見学順路で最初に通る小天守。耐震工事は2019年以降のとのこと。
( 松本城ばんざい)さんより
松本城の西総堀土塁公園にも杭列の跡が見られるが、2018年4月、松本城の三の丸跡の外堀と総堀をつなぐ水路付近でも杭列が見つかったとのこと。先の尖ったものとそうでないものがあるらしく、防御と土留めの役割があるのではと見られているそうな。
( shirofan)さんより
歴代松本城主ご子息の教育係をしていた武家の子孫です。松本は城下町なので、今でもその名残である地域名(鷹匠町など)が残っています。お城の隣りにある資料館や中央図書館などで現在と昔の地図が入手できると思います。他地域から来られたファンの方は、これら地図を照らし合わせながら、昔はここに何があったなど考えながら街歩きをするのも楽しいかと思います。ブラタモリみたいに。現在あるお城だけではなく、その周りの城下町にもいろんな歴史やストーリーがあるので、ぜひ松本全体を楽しんでみてください。
( 城好きの匿名希望)さんより
前は、深志城といい信濃守護小笠原氏の居城で、その後武田信玄が信濃に入ると大改修をし、複合扇状地や南アルプスに守られた天然の要害となります。(後ろに見える南アルプスも綺麗です)
織田家が信濃に入り、小笠原家は再興し、松本城となったそうです。
松本城は幕府にも重用され、譜代大名の城になりました。
(将軍が旅行をしていて、通りかかった時、この城で泊まりたいと言ったそうです。そのため、大急ぎで月見櫓や辰巳付櫓が増築されたそうですが、まさかの将軍がドタキャンをし、藩の財政が最悪になったらしい、、、)
そんなことを考えながら櫓に入るとさすが将軍の部屋だと驚きます。
( ぶたさん)さんより