写真:岡 泰行
掛川城の歴史と見どころ
掛川城(かけがわじょう)は永正10年(1513)、駿河国の戦国大名今川氏親が、遠江国への進出の足がかりとして築かせた。今川氏は永禄3年(1560)の桶狭間の戦いで、義元が織田信長に討たれたのをきっかけに勢いを失う。永禄11年(1568)には武田信玄と徳川家康に攻め込まれ、当主の氏真(うじざね)は朝比奈泰朝の掛川城に籠った。家康は城を取り囲むも攻めあぐね、翌永禄12年に和議を結び、ようやく手に入れた。
天正18年(1590)、豊臣秀吉の小田原攻めの後、家康は関東に移封され旧領には秀吉配下の大名が配された。掛川城には妻・千代(名前には諸説あり。後の見性院)による内助の功の逸話で名高い山内一豊が入る。この一節は司馬遼太郎の『功名が辻』で山内一豊とその妻、千代の物語で有名だ。一豊は掛川城を近世城郭として蘇らせ、天守も建てられた。
慶長5年(1600)、上杉景勝討伐軍に加わっていた一豊は石田方の蜂起を受け、いち早く家康に与し掛川城を提供すると申し出たことなどから、関ヶ原の戦いの後に土佐の国主に転封。掛川城主は松平氏、井伊氏などを経て、延享3年(1746)に入封した太田氏が明治まで続いた。
嘉永7年(1854)の安政東海地震では、天守や二の丸御殿など多くの建物が倒壊したが、藩政時代に天守は再建されなかった。現在のものは平成6年(1994)、一豊が高知城を建てる際に「(天守は)掛川のとおりに」と言ったとされることなどを踏まえ、高知城天守や江戸期の絵図などを参考に、戦後では日本初の本格木造天守として完成したものだ。また、城主の居間や藩の政庁、城主の御座所など藩政の中心として機能した二の丸御殿が現存しており、その様式美を見ることができる。そのほか中世の防御の仕組み、三日月堀なども保存整備され、中世から近世への過渡期の城であることが分かる城だ。
1994年の木造天守再建から27年、掛川城天守閣は2022年6月1日から2023年3月下旬まで修復景観整備工事が実施された。この間、天守閣修復工事のため掛川城公園が閉鎖、修復工事はおよそ2億5000万円をかけ、天守の壁の漆喰や高欄など劣化してきた部材の修復を行い、公園内の一部の石垣も積み直された。修復工事は無事終わり2023年4月1日より再開された。
ドイツ人医師ケンペルの記録
江戸時代の元禄4年(1691)にドイツ人医師ケンペルが掛川を通り、その著書『日本誌』で次のように述べている。
「町の(東西の)両端には門と番所がある。北側には城があり、櫓のない簡単な石垣で囲まれ、中には高くそびえた白壁の天守閣があり、大きな城に美しさを添えていた。」
東海道を東西に広がった城下町の中央に天守という当時の風景が伝わる。また、ケンペルは掛川を通り過ぎたすぐに火事が起こり煙が吹き付けてきたので、窒息しないよう急ぎ馬を飛ばして逃げ、髙地から見おろすとすべてが炎に包まれており天守だけがその中からそびえ立っている以外は何も見えず、江戸からの帰りにまた掛川を通り、城は無傷だが城下町の中央の通りの大部分、約200戸が焼けてしまっていたことを記録していた(『江戸参府旅行日記』(平凡社))。
掛川城の特徴と構造
復元された大手門・大手門番所
掛川城から南東に少し歩いたところにあるため、見落とすなかれ。城内最大の門で楼門造りの櫓門。オリジナルは、一度、嘉永の地震で倒壊し、安政5年(1858)に再建され、明治になって民間に払い下げられたが火災に遭って焼失した。本来は約50mほど南で、平成5年の発掘調査で基礎固め石などが確認されたが、道路上だったこともあり、現在の地に平成7年6月に復元された。大手門礎石根固めの石のひとつは、復原された大手門をくぐって左手に展示されている。また、移築されていた大手門番所も戻して大手門の北側に合わせて復元されている。
移築城門・大手二の門(油山寺山門)
掛川城の大手二の門で万治2年(1659)に創建され、維新後にも何度か修理されたが、明治6年(1873)に、油山寺に移築され、昭和46年(1971)に、本来の姿に戻された。江戸初期の城門で堂々たる風格があるので、是非一度、訪れてみてほしい。たまに復元された掛川城の大手門のオリジナルとデザインが似ているため同じものと勘違いされがちだが、前述のように復元された大手門のオリジナルは火事で消滅している(油山寺には、「掛川城御玄関前大手二之門」と書かれた棟札が保管されている)。また、ついつい山門のみ見て帰りそうだが、油山寺の三重塔は国宝なので見ておいても良いかも。油山寺は眼病封じの寺として知られている。
余談ながら、掛川城から油山寺まで、約13km(車で25分)の距離がある。国道1号線を走りがちだが、途中、旧東海道(県道253号線)を通るのも良い。旧東海道をゆくと、曽我鶴というお酒で有名な蘇我酒造がある。慶応3年(1867)の創業らしい。 「掛川は水が悪い」と現地の古老は言う。そのため掛川では蘇我酒造が唯一の酒蔵だった。掛川には主要な河川がなく、ため池文化だったというのだ。今は埋め立てられ池は姿を消しているが、昭和初期まで、随所でため池掃除があり、水が抜かれた池で子供は魚捕りを楽しんだらしい(現在は市町村合併で、土井酒造も掛川に含まれる)。
また、かつて東海道沿いには松並木があった。現在はそのほとんどが消滅しているが、原川の東側にその風景が多少残っている。松並木を西へ過ぎると、原川の間の宿(あいのしゅく)があり、当時からあるお店として片浜屋がある。建物は当時のものではないが今も料理の仕出しなどを営んでいる。原川は地名辞典によると「はらがわ」だが、「はらが」と言ったらしい。地元では、原川の宿(はらがのしゅく)と言う。
移築城門・蕗の門(円満寺山門)
掛川城の内堀(蓮池)のほとりにあった城門で、小さいながら本丸や二の丸へ至る要所にあった。明治5年(1872)に円満寺が買い受けて、移築現存している。なお移築時に柱を約76cm切って山門にしたため、当時はもう少し高さのある城門だったらしい。山内一豊縁の寺なのだとか。
移築城門(龍雲寺裏門)
菊川市にある龍雲寺にも掛川城の移築城門と伝わる門がある。龍雲寺の裏門は山門から少し東に位置している。現地には案内板は無い。また、文化財指定は受けていないらしい。
伝武器庫(解体)
旧藩時代の武器庫として使用されていたと伝わる建物で、太田氏(太田道灌の子孫)の時代に造られた。大日本報徳社の敷地内にあったが、昭和38年頃に地元が譲り受け、城内地区に城内公民館として移築され活用されていた。かなり改築されたかたちで残っていたが、2013年、老朽化のため惜しくも解体され、今は見ることができない。
掛川城の関連書籍
掛川城現地では、随所で解説板が充実している。書籍では『掛川城のすべて』(掛川市教育委員会発行)が最も良い。掛川城の歴史、天守復元、御殿の様式美、発掘調査など分かりやすく掲載されている。47P・B5サイズ。そのほか『掛川城復元調査報告書』『石垣絵図』など。いずれも二の丸御殿などで販売されている。
また、掛川市が発行する観光パンフレット『掛川城家康読本』には、掛川城の最新調査や、掛川古城の当時の推定縄張が掲載されている。ネットでPDF公開されている。
掛川城の撮影方法
掛川城のライトアップは、決まった時間にライトアップがはじまるようだ。または、周囲の明度を感知して点灯するタイプだとしたら遅いタイミングで点灯が始まる。要するにいわゆるトワイライトタイムにライトは点灯されず、空が真っ暗になった頃に点灯しだすので、ライトアップ写真で空がブルーにならないのが絵的に辛いところだ。季節により日没時間が異なるので変わるかもしれないが。
掛川城の写真集
城郭カメラマン撮影の写真で探る掛川城の魅力と見どころ「お城めぐりFAN LIBRARY」はこちらから。掛川城の関連史跡
掛川の歴史が感じられるスポットとして、旧山崎家住宅と掛川古城は訪れておきたい。
松ヶ岡(旧山崎家住宅)
江戸時代末期に建てられた入母屋造りの長屋門が見られる。山崎家は掛川藩御用商人をつとめた家柄で、明治維新のとき、掛川藩の負債整理で多くの土地を取得し、今でも大地主として地元で語り継がれている。明治天皇の宿泊所となったことも。長屋門には監視のための与力窓が設けられているほか、屋敷の東面と北面には堀が設けられているようだ。現在、建物は掛川市が管理し、2017年11月現在、毎月第4土曜日に一般公開されている。長屋門の表側はいつでも見ることができる。
掛川古城
掛川城の北東に子角山(ねずみやま・別名天王山)という山がるが、ここに掛川城の前身、掛川古城があった。現在は、三代将軍徳川家光を祀る龍華院大猷院霊屋があるほか、その東側に土塁と大堀切が残る。整備されていて遺構は見やすい。 余談ながら堀切の西斜面には4つの穴が空いているが、第二次大戦中の防空壕でいずれの穴も内部で繋がっていて120mほど掘られたらしい。幸いにして掛川は空襲には遭わなかった。現在は子供が入ると危ないので、穴を公園整備をしている人が枯れ木などで塞いでいる。
また、掛川城が龍頭山、掛川古城が龍胴山、さらに北にある龍尾神社が龍尾山とも呼ばれいる。一連の峰で繋がっていたことから、山容が龍が地上に横たわっている姿に似ているとして、そう呼ばれたらしい。永禄12年(1569)の掛川天王山の戦いでは、今川が守る掛川城を徳川家康が攻めた際に、当初、龍尾神社に家康は本陣を置き、包囲網を縮めるかたちで掛川古城に本陣を移した。そう考えると、龍の頭、胴体、尻尾と3つの山に足を運ぶのも良いかもしれない。
掛川城のおすすめ旅グルメ
掛川は「うなぎ」の名店が多い。掛川城から近い「うな助」は比較的薄味で、駅に近い「甚八」は味が濃い目と現地で聞いた(甚八は要電話予約)。掛川では、うなぎは背開きだが蒸さないところが多く、どちらかというと関西風だ(写真はうな助)。
掛川城の史跡めぐりにこだわる最適なホテル
客室から望む城はやっぱり良いものだ。掛川は4ホテルから望むことができる(詳しい場所は上記Googleマップ参照)。
くれたけイン・掛川
JR掛川駅から徒歩2分で城側に立地。11階建のビジネスホテルで、城が見えるのは5〜11階のお城側客室(お城側は各階7部屋・11階はセミダブルルーム)。掛川城まで障害物が比較的少なく、天守を真南から捉えることができる。太鼓櫓まですっきり見たいとなると、なるべく上階で西側が良い。11・10階は長期滞在客が多く、部屋が取りにくい傾向にあるようだ(原則として予約時に部屋の指定はできない)。このホテル上階からは、復元された大手門もチラリと見える。朝食無料がまた嬉しい。天守を心地良くアップで捕らえようとすると400mm望遠レンズが必要になる距離。
ドーミーインEXPRESS掛川
最も掛川城に近いビジネスホテル。城とホテルの間にある大手前駐車場の屋根が間に入るため、9階〜12階で、できるだけ南側の部屋が良い。近い分、望遠レンズはあまり必要ない。天守を南東から望むかたちとなる。大浴場からはライトアップされた掛川城が見られるぞ。
ホテルリブマックス掛川駅前
掛川城の南西に位置するビジネスホテルで、2017年10月25日に新築された。6階建のホテルであまり高さが無いため、ずばり5階〜6階が良い(4階になると電線が視界に入る)。
掛川グランドホテル
JR掛川駅をはさみ駅の南側に立地。8階の818のDXツインを筆頭に4ルームから城が見えるが、城との間に、電波塔があり、視界を邪魔するかたちとなるようだ。同ホテル10階レストラン、またはBarからも眺望が得られるそうだ。
掛川城のアクセス・所在地
所在地
住所:静岡県掛川市掛川1138-24 [MAP] 県別一覧[静岡県]
電話:0537-22-1146(掛川城公園管理事務所)
開館時間
9:00から17:00(入館は16:30まで)
天守丸間近の天守下門跡まで開館前でも登ることができる。たとえば早朝に訪れると朝日を浴びる天守を間近で見られるぞ。
アクセス
鉄道利用
JR東海道本線、掛川駅下車、徒歩8分。
マイカー利用
東名掛川ICより。大手門南側に有料駐車場(201台)有り。AM6:30~PM9:30だが24時間駐車もできる。
室町時代、今川義忠が朝比奈泰煕に命じ築城した城で、天守が建立したのは戦国期、山内一豊。当時はなんでも「東海の名城」とうたわれたらしいが、嘉永7年(1854)の大地震で崩壊、平成になって木造再建された。
( 光秀)さんより
現存する二の丸御殿は重要文化財に指定されているが、全国でも御殿が現存しているのは二条城の御殿など数少なく、大変貴重だとのこと。ちなみに、そこから天守閣の良い写真が撮れる。
( まつのすけ)さんより
天守閣への上がり口階段が狭く急かも。なので上がり降り要注意。
( 横山弘史)さんより
平成に入って天守が再建されましたがこの天守はある程度外観の判明している江戸後期の天守ではなく現代の設計者が山内一豊創建の天守を高知城を参考にして設計したものです。一方、幕末の再建ではありますが全国的に貴重な二の丸御殿が現存しています。
( 氏綱)さんより
見どころは、大手門と天守と二の丸御殿。
( 晃太朗)さんより
袋井市内の油山寺の山門は、掛川城の大手門を移築したものであり国の重要文化財指定。
( コンちゃん)さんより
今週機会があって天守や二の丸御殿を見ました。夜は ドーミーインEXPRESS掛川 にて一泊。大浴場からライトアップされた掛川城が見れて大変綺麗でした。掛川城がよく見えて建物の高さも高いのでオススメです。
( Y . Johnny)さんより
ねずみ山は「子角山」と表記します。
日曜に登城しましたが、グルメに挙がっている「四川」は定休日、「アマレット」は満席でした。ご注意を。
( 史子)さんより
今夏憧れの掛川城に行ってきました。掛川城の直ぐ下に鎧屋さんと言うお店があって甲冑や忍者スタイルのレンタルがありそれを着てお城で遊べるそうで、それは地元の方から後で聞き残念でした…。
あと、大手門よこの「すいのや」駄菓子屋には名物女将が遠州弁丸出しでおでんが最高に美味い、三代続いてるとの事。城から車で5分くらいお茶問屋の大村園さんも勧められ行ってきました自家製シロップのかき氷が超絶美味く安くビックリした!抹茶ロールと深蒸し茶をお土産に買えて楽しい城旅でした!
( ありんこ)さんより
掛川といえば榛村(しんむら)市長。掛川城公園の整備に着手した市長さん。それまでは城山といった風景で、子供の頃は城山で霧吹き井戸に石を投げて遊んだりしていました。また、市長は新幹線の掛川駅や東名高速道路掛川ICを推進。新幹線から天守が目立って掛川で降りてくれるだろうと、掛川城の天守の復元を目指したと聞いたことがあります。掛川は風向きが良く空港の設置も目指したらしいのですが、隣りの市議会が騒音を残して掛川市だけが恩恵を受けるのはと、空港案は無くなってしまったそうです。
( 香り紅茶)さんより
2023年3月下旬まで改修工事延長でした。現地に知り、行ってびっくり兵庫の助。
( けいすけ)さんより