写真:今井陽一・岡 泰行
首里城の歴史と見どころ
奄美群島(鹿児島県)から沖縄本島を経て石垣島や与那国島を含む八重山諸島に至る地域に点在する城は、その多くが「グスク」と呼ばれ、本土の城とはやや趣の違う特徴を持つ。その代表とも言うべきものが、首里城だ。発掘調査から14世紀末ごろには築城されていたと推定されるが1429年、南部の佐敷の按司(豪族)尚巴志が沖縄本島の三山(中山、北山、南山)を統一。琉球国を打ち立て首里城を居城とした(第一尚氏)。
1469年に勃発したクーデターによって、内間領主の金丸が王の座に就き尚円王を名乗る。首里城は引き続き琉球国の中心であった(第二尚氏)。1609年、薩摩藩主の島津家久は琉球に兵を出し、それ以降は大陸の清国と薩摩の両方に属することとなった。1853年には江戸湾に向かう途中のペリー艦隊が来航し、ペリーは首里城を訪れ、開港を要求している。
明治を迎え、1879(明治12)年、国王尚泰は城を追われ沖縄県が設置された。1925(大正14)年、首里城の正殿が沖縄神社の社殿として国宝の指定を受ける。しかし、第二次世界大戦の沖縄戦で焼失してしまう。アメリカの占領下だった1952(昭和33)年、守礼門が再建されたのをきっかけに、城跡の整備や建物の復元が進み、1992年(平成4)年には国営沖縄記念公園首里城地区(首里城公園)としてオープンした。2000(平成12)年、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録されている。しかし、2019(令和元)年10月31日未明、首里城の正殿付近から出火し、正殿と北殿、南殿などが焼失した。今後の復興が待たれる。
首里城の特徴と構造
首里城の城域は内郭と外郭に分かれている。第一尚氏時代に内郭が造られ、その後、第二尚氏時代に外郭が拡張されている。内郭の中心、正殿前には「御庭(うなー)」という広場があり、両脇に北殿と南殿が建っていた。国王が冊封使を迎えたのも、この御庭であったとされる。このように、戦いを前提として造られた本土の城とは違い、行政府としての顔がメインであったのが首里城の特徴のひとつといえるだろう。
それだけではなく、さまざまな儀式が行われる場でもあった。特に、神が降臨したと伝わる首里森御嶽(すいむいうたき)や園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)など、城内には十嶽(とたけ)と呼ばれる10ヶ所の礼拝所があったといわれている。また、下之御庭の南にある「京の内」は、女性王族が多く就いた沖縄の信仰の最高位、聞得大君(きこえのおおきみ)や大アムシラレたちが神に祈る神聖な場所であった。つまり首里城は、沖縄の民俗文化の中心地としても捉えることができるのである。
首里城の主な建築物
(2022年1月現在、見学可能な場所)
守礼門
琉球国は礼節を守るという意味の「守礼之邦」の扁額が掲げられた首里城のシンボルのひとつ。
1958(昭和33)年に復元されたもので、2000年に開催された九州・沖縄サミットを記念して発行された二千円札の表面デザインにも採用されている。
園比屋武御嶽石門
1519年に建造されたもので、国王の外出の際に安全を祈願する礼拝が行われた場所。戦火で一部が破損していたが、1957(昭和32)年に復元された。国指定重要文化財で世界遺産にも登録されている。
歓会門
中国の皇帝の使者「冊封使」を歓迎するという意味を持つ。首里城第一の正門。門の両脇には沖縄の魔よけの像であるシーサーが鎮座している。1974(昭和49)年復元。
久慶門
歓会門によく似た造りの門は、通用門として使われ、別名「ほこり御門(うじょう)」とも呼ばれていた。1983(昭和58)年復元。
継世門
白い石垣に朱塗りの建物がよく映える。別名「すえつぎ御門(うじょう)」。1544年、倭寇の侵攻に備えるために建てられてという。
首里城の関連書籍資料
沖縄県立図書館の「貴重資料デジタル書庫」。古地図、首里城に関する予備知識、参考文献などがアップされている。現地では「那覇市歴史博物館」沖縄県庁前(沖縄県那覇市久茂地1-1-1 パレットくもじ4階)。尚氏関連資料や古写真、沖縄の美術工芸や民俗資料、文書の展示など。
下記は、沖縄で入手の首里城の関連書籍です。KUBOさんがお寄せくださいました。記して御礼申し上げます。
- 『世界遺産 琉球グスク群』琉球新報社
世界遺産に指定されているグスク・遺跡群の写真がたくさん載っておりなかなか良いです。 - 『今帰仁城跡 今帰仁村文化財ガイドブックvol.1』今帰仁村教育委員会
今帰仁城の入口の所で買いました。ちょっと子ども向けの所もありますけど、各郭の説明や沖縄各地のグスク、今帰仁城の発掘調査の様子なども載っています。 - 『琉球王国の歴史』月刊沖縄社
中城城の受付で買いましたけど、首里城の北殿にある売店にもありました。写真や図が豊富なので見やすいことは見やすいのですが、ちょっとまとまりがない感じがします。 - 『世界遺産 ~琉球王朝のグスク及び関連遺跡群~』
これも中城城で買ったWindows用のCD-ROMです。5つのグスクと4つの関連遺跡をビジュアルでまとめたもので、写真や解説だけでなく映像も見れるのがなかなか良いです。県立博物館のミュージアムショップでも売ってました。 - 『首里城入門 その建築と歴史』(沖縄文庫) ひるぎ社
玉泉洞王国村の売店で買いましたが、これも本屋などで買えます。写真は白黒ですが、首里城の概要や復元工事のこと、周辺の史跡なども載っています。 - 『松山御殿物語』ボーダーインク
これは糸満か豊見城のTSUTAYAで買いました。最後の琉球国王尚泰の四男・尚順の遺稿や尚順が住んでいた松山御殿のことなどをまとめたものです。 - 『門中元祖便覧』月刊沖縄社
これもTSUTAYAで買った物ですけど、沖縄の氏(姓)の元祖をまとめたものです。系図が載ってりゃあ言うこと無かったんですけど。 - 『写真で見る首里城』『首里城 甦る琉球王国』
首里城北殿にある売店で買いました。前者は首里城内の建物・門等を詳しく解説したもの、後者は琉球王国や周辺の歴史と関連づけながら王宮としての首里城を解説したものです。 - 『沖縄の文化財II 史跡・名勝編』沖縄県教育委員会
県立博物館で買いました。グスクを含めた沖縄県内の史跡・名勝が網羅されています。
首里城の散策コース
2019年10月31日未明、沖縄のシンボルのひとつで世界遺産にも登録されている首里城の正殿からの出火により、正殿や北殿、南殿などの主要な建物群が焼失しました。これを受けて自治体や民間など多くの人たちが立ち上がり、復興に向けての支援がはじまっている。現在、焼失した正殿のあるエリアなど一部の立ち入りが制限されている。レストセンター「首里杜館」(総合案内所、レストラン、カフェ、ショップなど)は営業中(8:00〜19:30)。
首里城の撮影方法
2019年11月初旬現在、立ち入りが可能なのは守礼門など一部に限られているが、南国の空と朱塗りの門の織りなす色彩のコントラストは目にも鮮やか。また、外から眺める城の様子に、本土との違いを見つけよう。
主な着眼点は以下の通り。
- 緩やかな曲線を描く城壁とアーチ式門
- 福を呼ぶ名前が付けられた様々な城門
- 龍樋という井泉
- 御庭(ウナー)という、敷き瓦で敷き詰めた儀式を行う空間
- 日本や中国の影響を受けつつ独自の雰囲気を持った正殿
- 国王を象徴する龍が随所に配置されている
首里城の写真集
城郭カメラマン撮影の写真で探る首里城の魅力と見どころ「お城めぐりFAN LIBRARY」はこちらから。首里城の関連史跡
世界遺産に構成される陵墓「玉陵」
玉陵(たまうどぅん)は、第二尚氏歴代の陵墓で世界遺産のひとつ。資料室、玉陵碑、東の御番所(あがりぬうばんじゅ)などがある。首里城から近く、一見の価値がある(沖縄県那覇市首里金城町1-3)。
世界遺産に構成される大名庭園「識名園」
識名園(しちなぬうどぅん・しきなえん)は、琉球国王の別邸で同じく世界遺産のひとつに数えられる。王族が過ごしたり、外交使節の接遇などに使われた。池のまわりにあずまややアーチ橋、木々を配した庭園が楽しめる(沖縄県那覇市真地421-7)。
真珠道跡
真珠道跡は、第二尚氏王朝時代に造られ、首里城から那覇港まで続いていた官道。沿道には数多くの史跡がある(沖縄県那覇市首里金城町1丁目32)。
首里城のおすすめ旅グルメ
沖縄そば
沖縄そば(うちなーすば)は、中華麺にルーツを持つといわれる、沖縄の郷土料理。原料は蕎麦粉ではなく、小麦粉が使われている。豚の三枚肉をトッピングしたものが標準的で、ほかにもスペアリブや軟骨を使うソーキそば、豚足の乗ったてびちそばなどがあり、ダシはカツオが多いが、豚骨や鶏ガラなど店によっては個性を出すところもある。
その他の代表的な沖縄料理
- ラフテー(豚の角煮)
- ミミガー(豚の耳皮)
- ゴーヤチャンプルー(ゴーヤの炒め物)
- 豆腐よう(豆腐を麹と泡盛に漬け込んで発酵させたもの)
- 海ぶどう(海藻の一種)
- サーターアンダギー(小麦粉と砂糖、卵を混ぜて揚げた菓子)
- 泡盛(黒麹とタイ米を使った蒸留酒)
琉球茶房 あしびうなぁ
首里城に近く美里御殿跡に建つ古民家で営業しており、座敷や個室も用意されているが、庭が眺められるテラス席が風情があって良い。BGMは沖縄民謡。沖縄料理を一通りそろったメニューがありおすすめだ。首里城を久慶門から北へ出て第32軍司令部壕や円覚寺跡を見て後、訪ねると良い距離感にある(沖縄県那覇市首里当蔵町2-13)。
レストセンター首里杜館
レストセンター首里杜館(すいむかん)は、琉球料理が味わえる「レストラン首里杜(すいむい)」、那覇市内を一望できる「カフェ龍樋(りゅうひ)」や「ミュージアムカフェ球陽」、ショップなどが入る休憩施設。
首里そば
「首里そば」は、手打ちの沖縄そばの名店で首里にあった伝説の「さくら屋」直伝の味でおすすめ。または、琉球宮廷料理を気軽な値段で食べることのできる「ゆうな」。沖縄県那覇市首里桃原町。月曜休業。1,800円ほどで堪能できる琉球宮廷料理のほか、ジーマミ豆腐、クーブイリチーなども(沖縄県那覇市首里赤田町1-7)。
うちなー料理 首里いろは庭
「うちなー料理 首里いろは庭」は宮廷料理から庶民的な味覚まで、地元の食材を使ったいろいろな沖縄料理が食べられる。沖縄県指定「おきなわ食材の店」登録店(沖縄県那覇市首里金城町3丁目34-5)。
首里城の史跡めぐりにこだわる最適なホテル
那覇市中心部やゆいレール沿いにビジネスホテル、シティホテル、リゾートホテルなどが集まっている。予算や観光プランに合わせて使い分けよう。
首里城のアクセス・所在地
所在地
住所:沖縄県那覇市首里金城町 [MAP] 県別一覧[沖縄県]
電話:098-886-2020(首里城公園管理センター)
開館時間
歓会門・木曳門・久慶門・継世門などの無料ゾーンは8:30~18:00。奉神門・世誇殿・東のアザナなど有料ゾーンは9:00~17:30(入城17:00まで)。
アクセス
鉄道利用
ゆいレール(モノレール)那覇空港駅から40分、首里駅にて下車、徒歩15分。
または、路線バス、首里駅前バス停から3分、首里城公園入口にて下車、徒歩5分。
マイカー利用
那覇空港からレンタカー、国道58号線、県道29号線を東へ27分(8km)。
国内でも一級品、14世紀後半の陶器が、首里城・京の内から出土したそうです。陶器の形などその特徴・成分から中国のものと書かれています。私は琉球、陶器の知識は全く無知なのですが、陶器って交流を立証するもになるんですね。
( 城好き匿名希望)さんより
首里城など琉球の城が、2000年の世界遺産登録を目指しているようです。世界遺産条約は「社会的・経済的状況の変化などにより存亡、破壊の脅威にさらされている文化遺産・自然遺産を締約国が集団で保護する趣旨」だそうです。なるほど。
( 城好き匿名希望)さんより
お城の周りには「竜、シーサー(獅子)」が 合計33体あるそうです。首里城は17世紀(1712)の復元だそうで赤い屋根瓦ですが、もしも16世紀の復元だったら、黒い屋根瓦になったかもしれません。
( きんさん)さんより
1999年12月7日現在、守礼門は、発掘調査のため正面からの撮影は少し困難。
( きんさん)さんより
市内線バス「首里城公園入口」降車、徒歩5分。平成15年にモノレール完成予定。那覇空港から30分で行けるようになるらしい。
( きんさん)さんより
14世紀末に中山王察度(さっと)が浦添城からこの城に移り中山王の居城となる。それ以前のグスク時代の遺物も出土しているが、はっきりしたことはわかっていない。1405年に佐敷城の尚思紹・巴志父子に攻略され、以後尚家によって整備されていく。尚巴志は1416年に山北(北山)王を、1429年に山南(南山)王を滅ぼして琉球を統一、琉球王国が成立する。15世紀後半~16世紀に全盛期を迎えるが、1609年に薩摩の侵略を受けて敗北する。元々侵略の目的が中国(明)との貿易による利益だった薩摩(及び幕府)の政策により、王国としての体裁は存続することになるが、薩摩の厳しい監視と搾取により以後270年間は植民地支配が続く。1879年の琉球処分により、最後の王尚泰が退位、王国は解体されて首里城は日本陸軍の駐屯地となる。1925年と1933年に正殿やいくつかの城門が国宝に指定される。そして第二次世界大戦中は、陸軍の司令部が置かれたことから、激しい地上戦と「鉄の暴風」と言われた艦砲射撃で完全に破壊されてしまった。戦後、アメリカのもと琉球政府が置かれ、首里城跡地には琉球大学が建てられる。復帰後の大学移転に伴い復元作業が進み、現在全体の3分の1の領域が復元完了、一般公開されている。先人達の努力が実り、その他の遺産とともに2000年11月、世界遺産に登録された。
( hiro)さんより
首里城の特徴は、ゆるやかな曲線を描く城壁、アーチ式城門とそれぞれ福を呼ぶ名称を持つ各門、正殿(全体的な外観は中国の影響で構造の細部に日本の影響)、北殿(平時は行政施設の中心、中国の冊封使歓待の迎賓館)、南殿(薩摩の侵攻以後に造られた薩摩の役人用使節)。また、首里城を歩くアドバイスとして、団体旅行者とかち合うとゆっくり見学できない。団体を先に行かせて後からゆっくり時間をかけて見た方が良い。
( 力丸)さんより
王城として整備された時期については二つの説がある。
1、14世紀末に中山王察度が築城し、浦添城から移った。
2、1406年に尚巴志が浦添城の中山王武寧を滅ぼした後に築城した。
首里城が確実に王城だった最古の記録(金石文)は「1427年に、尚巴志王が城下に龍潭(池)を掘り花の咲く木を植えて整備した」というもの。
( 力丸)さんより
首里城でまずは守礼門の方へと向かいました。門の前で琉球衣装を着た女性が「写真撮りませんか」と言っていて、嫁さんは衣装を着て写真を撮りたそうにしていましたが、「帰りね~」と言ってまずは守礼門の方へと向かいます。早く出たつもりでしたが、もうすでに結構観光客が来ていて、なかなか写真を撮るタイミングをつかめませんでした。
そのあと世界遺産の園比屋武御嶽石門を見て、歓会門から瑞泉門→漏刻門→広福門→奉神門と進みます。どれも朱塗りの中国風の門でかつての琉球王朝の繁栄を感じさせます。奉神門を入ると広い御庭が広がり、正面に正殿、左に北殿、右に南殿・番所があり、南殿・番所は現在は展示室に、北殿は展示室・売店になっています。正殿の内部は忠実に復元され、国王の御座所・御差床(うさすか)や「按司御座敷」「長みこちゃ」「おせんみこちゃ」などの部屋があります。2階にある御差床は金の龍柱が左右に立ち、金と赤で豪華に装飾された国王専用の椅子が鎮座して荘厳な雰囲気を醸し出していました。
北殿でお土産を買うと、右掖門から外に出ますが、人の流れがなかなか途絶えず写真を撮るのに10数分待ちました。そして久慶門から外に出ましたが、今
度は再び木曳門まで戻り、西のアザナの石垣の上に登ってみました。すると那覇市内が一望できました。また、工事中の首里城の南側を見渡すこともできました。そして木曳門から系図座・用物座のところまで行って少し休憩したあと再び木曳門に戻り、首里杜館の横から玉陵の方へ向かいました。
その後、雨の中、玉陵へと向かいました。あれはほんとお城のようですねえ。どう見てもお墓とは思えんです。琉球国王の権力を感じましたね。玉陵を見た後は雨がひどくなってきたので、そのまま駐車場に戻り県立博物館へ向かい、すぐ近くにある八重山料理の店「潭亭」で昼食を撮りましたが、なかなか美味しかったです。そしてそろそろ時間なのでレンタカーを返し、今回の旅を終えました。
( KUBO)さんより
首里城再建苦労話が「プロジェクトX」のビデオで見られます。親子2代に渡る瓦職人の執念の『炎』に感動。気になった人はいますぐ「TUTAYA]にGo!!
( かつや)さんより
個人的に見逃せないだろうと思うのは、
・龍潭越しの首里城(特に夜景)
・京の内(正殿に向かって右手)
・西のアザナ(衛兵気分でしばらく監視してみても)
です。
マニアックな所では正殿より奥は再建中で非公開なのですが、正殿の南東の継世門は再建済みで外側からなら見られます。
また、首里城の書籍では『琉球城紀行~城から見る沖縄の文化~』(北原秋一 著) グスク本は写真がいまいちな物が多い気がしますが、この本は写真が豊富で美麗です。また、全文対訳(日/英)なので、古語や方言のニュアンスを汲むのに便利です。沖縄教版の販売なので、内地だと注文になるでしょうが、手に入るはずです。B4変形版で地図も載ってないのでガイドブックとしては不適ですが、イメージトレーニングにはお勧めの一冊。
( Imai)さんより
先日、友人とエミューツアープランニング・ガイド主催「古都首里を歩く旅」参加してきました。内容は、首里城とその周辺を地元のガイドさんの詳しい説明を聞きながら周り、サンゴ染め体験、食事は、沖縄料理ぶくぶく茶をいただきました。何といってもガイドさんの説明が楽しくてまた参加者同士交流がもててとてもいい思い出がつくれました。とても楽しいツアープランなので、是非参加してください。
( たけちゃん)さんより
「首里そば」沖縄県那覇市首里赤田町。日曜休業。手打ちの沖縄そばの名店で首里にあった伝説の「さくら屋」直伝の味でおすすめ。または、琉球宮廷料理を気軽な値段で食べることのできる「ゆうな」。沖縄県那覇市首里桃原町。月曜休業。1,800円ほどで堪能できる琉球宮廷料理のほか、ジーマミ豆腐、クーブイリチーなども。
( あざな)さんより
この前、火災で燃えてしまったことは残念だが、琉球王国特有の石垣が楽しめる。
( カール君)さんより