写真:岡 泰行
日出城の歴史と見どころ
日出城の見どころ
現地では、鬼門櫓と日出町立日出小学校南側の海に面した虎口、同小学校西側の空堀、同小学校北側の二の丸館にある裏門櫓(鐘櫓)、この4点を見忘れるなかれ。なお、鬼門櫓、裏門櫓ともに移築現存だが、後者の裏門櫓は、昔からの部材が少ないためか文化財に指定されていない。また、二の丸館の門は、城門風に見えるがこれは、日出城の北にある日出藩木下家の菩提寺、松屋寺の山門(伝移築城門という話もあるらしい)を模して造られたそうだ。
鬼門櫓
鬼門櫓は、もとは本丸にあった櫓で、大正10年(1921)、小学校建設で邪魔になるため払い下げられた。今から20年ほど前は日出城から1~2km離れた集落の農家にあった。筆者はこの頃に一度訪れているが、土壁は落ち、丸瓦も一部落ちていて、朽ちかけた風景だった。平成20年(2008)に鬼門櫓の寄贈を受けた日出町は、これを整備、現在の地に再移築し、平成25年(2013)に公開された。
再移築前の備忘メモ:
日出城鬼門櫓は町で余り宣伝していないようで「日出町グルメマップ」というパンフレットに唯一掲載されています。なお、2002年から3年計画で移築、修復する話もあるそうでこの期間はその場所に無いかもしれない。又、暘谷駅南の日出城址二の丸にある民家に裏門櫓も移築されています(愚践 1999.11.02)。
日出城の撮影方法
日出町立日出小学校の東側の堀を海に向かって歩くと、城下公園がある。ここから別府湾も見られ、また日出城の虎口跡が見られるぞ(ページ冒頭の写真)。
日出城の写真集
城郭カメラマン撮影の写真で探る日出城の魅力と見どころ「お城めぐりFAN LIBRARY」はこちらから。日出城の関連史跡
致道館
致道館は日出藩の藩校で、安政5年(1858)、15代藩主である木下俊程が日出城二の丸に建てた。門と木造2階建ての主屋が移築現存している。明治になり、女学校や役場、帆足記念図書館など移築利用されてきたが、昭和26年(1951)に解体修理の後に現在地に戻り、平成27年(2015)から内部が公開されている。
日出藩木下家墓所
日出城址から北へ徒歩10分(700m)の距離に、日出藩木下家の菩提寺、松屋寺がある。その奥に日出藩木下家墓所があり、歴代藩主に加え、豊臣秀吉の正室、北政所(ねね)の母にあたる朝日の方の墓や家臣の墓など52基がある。ちなみに江戸にも木下家の菩提寺があり、これが赤穂浪士で有名な泉岳寺だ。また、隣りの龍泉寺には、日出藩家老瀧氏の墓がある。この瀧氏は、瀧廉太郎の祖先だという。
近郊の知名度の高い城
日出城のおすすめ旅グルメ
城下かれい
別府湾を見下ろす日出城、その海は海中に清水が湧き、城下海岸と呼ばれ「城下かれい」の名で知られるマコガレイが生息する。希少で美味だったことから江戸時代より珍重されたとか。地元のスーパーでも簡単には手に入らない高級食材。
「城下かれい」は的山荘や月の家など町内7ヶ所の割烹で味わえる。刺身から煮物まで揃った城下カレイコースは8,000円前後。5~7月が旬。単品でも料理してくれる店もある。最も安く食すには割烹「能良玄家」で「城下かれいミニセット」、暘谷駅から城までの道のりにある。大分県速見郡日出町。その他、豊後別府湾ちりめん、麦焼酎、ハウスみかんも有名。
日出城の史跡めぐりにこだわる最適なホテル
別府湾ロイヤルホテル(速見郡日出町大字平道字入江1825)、ペンシヨン真那井浜(速見郡日出町真那井1683)など。
日出城は「ひじじょう」と読みます。地元では暘谷城の名で通っています。
( 半兵衛)さんより
日出城鬼門櫓をご存知ですか?先日大分を旅行した時訪ねてきました。家相学上忌み嫌われる北東隅に櫓を建てる例は他にもありますが、北東隅をカットし鬼門よけを施したことは他に例を見ない貴重なものです。しかし、悲しいことに明治以降移築され、しかも荒廃著しく、下見板張りは剥げ、窓は壊れ、屋根には雑草が生えていました。でも、入母屋の屋根から1層目の壁まで隅欠を実施し、鬼門除けに徹底して拘ったこの櫓は城郭ファン必見と思います。
( 愚践)さんより
裏門櫓も移築復元されました。また皆さんがご心配された鬼門櫓も解体され、城への場所変えての復元に向けて動いています(元あった場所は現在小学校のプールです)。
( 口(クチ))さんより