写真:岡 泰行
宇土城の関連史跡
近くの集落に武家屋敷などが残り城下町の静かさと情緒が漂います。または、宇土市神馬町の中世の宇土城。小西行長の宇土城を近世宇土城、宇土氏や名和氏の居城を中世宇土城と区別し呼ばれている。中世宇土城は小西行長の入封により廃城。1999年11月に全国で初めて未完成の空堀が出土した。
[林田公範 (1999.03.24)]
宇土城のおすすめ旅グルメ
小袖餅。宇土城主、名和伯耆左衛門尉がお忍びで城下町を散策、とある餅を食べたがお金の代わりに小袖を渡し、後に小袖の紋で城主であることを知った娘は自分一人を成敗してください、と懇願。名和伯耆左衛門尉は感心し小袖とお金を渡したそうな。これがその由来。小袖餅本舗は熊本県宇土市駅通り。
宇土城址は現在発掘整備されており、本丸に小西行長の銅像があります。周囲の石垣は一部復元されていますが、キリシタン大名であった小西行長の居城でもあり、信者も多かった地域だけに、島原の乱後に徹底的な破壊を受けたらしく未だ城郭の全容は不明です。
( 林田公範)さんより
この宇土城は、天守があった総石垣の本丸、二の丸、三の丸からなり、城下町を取り囲む惣曲輪がめぐっていたと言われています。
( 林田公範)さんより
秀吉より肥後一国を与えられた佐々成正が国衆一揆の責任を問われ切腹、その後に肥後は二分され北部を加藤清正、南部を小西行長が統治するようになった。その肥後南部二十四万国の拠点として1589(天正17)年に宇土城を小西氏が築城。
( 林田公範)さんより