写真:岡 泰行
浦添城の歴史と見どころ
浦添城と前田高地
第二次大戦時の沖縄戦。ここ浦添城(前田高地)は、日本軍の司令部のあった首里を見渡すことができるため、日米両軍による死闘がその一帯で繰り広げられた。前田高地は最後の砦。その前田高地に浦添城と浦添ようどれが含まれている。メル・ギブソン監督の映画『ハクソー・リッジ』(2016年)で描かれている舞台は、この前田高地で、アメリカ軍が浦添城の北側断崖(浦添ようどれ以東の崖)をカーゴネット(縄梯子)でよじ登り、山頂で日本軍と激闘を繰り広げる実話をもとにした映画だ。比高は約90mある。メル・ギブソンも製作前に浦添城を訪れている。この映画の影響か、訪れる人が増え、主人公デズモンド・ドスの名が付いたプロットがGoogleマップの浦添城内に出現している。
浦添城の入口の石垣と陣地壕
伊波普猷の墓から、グスクへ向かう道で、石垣が分断されたところを通る。城門があった場所ではない。右側の石垣は戦争で破壊されたものの当時の城壁のラインで、左側が想定されるラインを復元したものらしい。現地案内板を見ると、城壁のラインのどこが想定でどこが確認されているラインかがイラストマップで明記されている。
現地の古老によると、左側の石垣の麓に、陣地壕の跡(穴)があるが、日本軍守備隊のもので、浦添城の南側にあるシーマヌウタキと内部で繋がっているのだとか。自衛隊が年に何度か当時の壕を調べるために、内部に入っているらしい。
ワカリジー付近まで浦添グスク
浦添城の殿に(上部の平坦なエリア)に展望台の東屋があるが、そこから東方向、ワカリジー(為朝岩・ニードルロック)と呼ばれる尖った岩の付近までは、現在、立ち入ることはできない。筆者は現地の古老の案内で、特別にワカリジー付近まで行くことが叶ったが、城壁の北側ラインが戦後の採石のため削り取られ城の形が変わっているらしい。ワカリジーは浦添市内で最も標高が高いらしくランドマークとなっているのだとか。
首里城まで続いていた石畳道が発掘整備されている
浦添城の尚寧王(しょうねいおう)が首里城までの道を整備した石畳の道が、浦添城の東側で発掘整備され見ることができる。幅3.1mの道で、石の表面には一部滑り止めに溝が掘られているものもあるらしい。石の中で色が濃いものが当時の石。今でも道は、安波茶橋など市街に部分的に残り一部使われている。
浦添城の復元整備計画
浦添城の復元整備計画が浦添市のサイトで閲覧できる。平成27年度の浦添城跡発掘調査現場見学会の資料も。
2022年12月、浦添城の南側に長さ約30m、高さ約2.5mの石積みの城壁が発掘された。沖縄戦による破壊や戦後復興のため、資材は道路の基礎として持ち出され、ほとんど残っていない中での貴重な出土となった。
浦添城の散策コース
浦添城の散策ルート
「浦添グスク・ようどれ館」で理解を深めて後、「浦添ようどれ」、「浦添城」という順に足を運ぶと良い。
ルートは行き帰りで変えると良く、行きは上記の通り「浦添ようどれ」を先に。帰りは次のルートを。浦添城の殿(とぅん・祭場)から、南へいくと一段下がったところがあり(城門跡)、浦添城前の碑がある。付近に城壁(石垣)が一部露出している。さらに下り、首里への道である石畳道をちらりと見て、山沿いの小道を北へゆくと、途中、平成26年度に発掘された石垣や、シーマヌウタキがある。
浦添城の関連史跡
浦添ようどれ
浦添城西側の崖下に「浦添ようどれ」という王稜がある。英祖王と尚寧王が葬られている墓だ。第二次大戦で壊滅的な状態となったが、平成17年に復元された。ようどれに至る道や門跡、石垣が実に城らしい構造、是非訪れてほしい。
この付近は沖縄戦で艦砲射撃と爆弾投下にさらされたため、浦添ようどれが完膚なきまでに破壊された。そんな中、石獅子がその形を残している。ようどれに設置されたいた二基の石獅子のうち、一基が当時のものとされ、置かれている(石獅子は戦火で一部が欠けている)。なお、ようどれには、事前に「浦添グスク・ようどれ館」に訪れてほしい。英祖王稜の内部が原寸大で復元されていてその内部に入ることできるのだが、これが実に圧巻。
伊祖の高御墓
英祖王の父祖、恵祖世主(いじゅゆぬぬし)の墓として知られる伊祖の高御墓(いそのたかうはか)がちょっと発見が難しいが浦添丘陵の北側斜面にある。展望広場から北側へ浦添丘陵を降りて公園内を西に進むと左側の斜面にある。地上約20mの高さにあるため、木製の階段が見学用に付けられている。浦添貝塚のすぐ北側。
浦添城は首里城のルーツとも言われていますが先の大戦で主戦場となり大きな破壊を受けた為、現在その一部を修復中です。入ってすぐ左手に下りていくと復元した「浦添ようどれ」があります。琉球語で「夕どれ」=夕凪のことで死者の世界という意味なのだとか。
( 宮平)さんより