写真:岡 泰行
一ツ戸城の歴史と見どころ
一ツ戸城の歴史
建久3年(1192)の築城となっているが、康暦元年(1379)頃、大内義弘が豊前守護となり中間氏の祖・友杉民部が地頭に任じられ築城したと推測されている。 中間氏は山国三郷(やまくにみさと)(下郷/しもごう・中摩郷/なかまごう・溝部郷/みぞべごう)を領地とした。
天正15年(1587)豊臣秀吉の九州平定後、黒田官兵衛考高が豊前に入ると一ツ戸城主・中間六郎右衛門統胤(ろくろうえもんむねたね)は、黒田氏に巨従し、豊前統一の一翼を担った。 官兵衛は一ツ戸城をそのまま黒田の出城とし統胤に黒田の性を与え城番とする。
慶長5年(1600)関ヶ原合戦の項により黒田官兵衛・長政父子は筑前(福岡)に移封し、統胤もこれに従い一ツ戸城を去る。 黒田の後、細川忠興も一ツ戸城を重要視して出城とするが、元和元年(1615年)、幕府の発した「一国一城令」により破却された。
[石田一人(17.04.06)]
一ツ戸城の関連史跡
後藤又兵衛の墓
裏耶馬溪温泉の近くにある「後藤又兵衛の墓」。大坂の役の後、放浪の旅でこの地へ落ちのびたという伝説がある。また、奈良県宇陀市にも後藤又兵衛が落ち延びたという伝説があり、その屋敷跡に咲く桜「又兵衛桜」が有名だ。そのほか鳥取にも後藤又兵衛の墓がある。
[shirofan(16.05.01)]
城とは直接関係ないが足を伸ばしてみては
猿飛甌穴群(さるとびおうけつぐん)国天然記念物
一ツ戸城から国道212号線、日田方面へ向かい信号3つ目を右折。約10kmそのまま道なりに沿って進む。 猿飛甌穴郡の看板があるため、すぐにわかる。右手に溝部(みぞべ)郵便局がありその反対左手にある。 無料パーキングあり。交通量、信号が少ないため一ツ戸城から20分弱の近さ。 小石と川の流れによってつくられた甌穴が、川床から岩の中に広がっている。 昭和10年、国の天然記念物に指定。 とにかく甌穴のスケールが大きく迫力がある。中津市山国町に訪れる際には一度は拝見するべき場所。
[石田一人(17.04.06)]
旅の疲れを癒すなら「なかま温泉」
大分県中津市山国町中摩3485-1 TEL:0979-62-2655 定休日なし 営業時間11:00〜21:00。お値段は¥300とリーズナブル。 Phが高く入浴するとツルツル感が非常に強い。
[石田一人(17.04.06)]
一ツ戸城のおすすめ旅グルメ
一ツ戸城から車で5分程の場所に「やすらぎの郷」食事処がある。
大分県中津市山国町藤野木12-1
TEL :0979-62-2186
定休日:毎月第1、3火曜日 営業時間 11:30〜21:00(ラストオーダー20:00)座席数50席
名物「万葉丼」¥1,000 やや高額であるが味とボリュームから考えるとリーズナブルである。投稿者本人が一度食事したが、非常に美味しく他人にオススメしたいと感じた。食べてみる価値あり。
温泉施設あり 営業時間 10:30〜21:00(ラスト20:30)¥400(毎週水曜¥300)
[石田一人(17.04.06)]
秀吉の九州平定後、黒田官兵衛が備前に入った際、一戸城を出城とした。黒田氏の後、細川忠興の出城となったが、一国一城令で廃城となった。断崖で囲まれた山頂に本丸ある。石垣や曲輪、石段、竪堀がある。
( shirofan)さんより
一ツ戸城は、大分県中津市耶馬溪町(やばけいちょう)と、山国町(やまくにちょう)の境にあるトンネルの上に聳えている岩山の頂上に築かれている。城の遺構としては、頂上近くに雑木林の中に曲輪とわずかに石垣の跡が残っており、ここが城門跡と言われている。標高364.5m比高220m 傾斜が厳しい岩山である。真下には山国川が迫って天然の掘になっている。一ツ戸城はこの岩山の山頂に本丸、東側山腹に二の丸(現在、一ツ戸大神宮がある)を構えていた。
( 石田一人)さんより