姫路城特別公開

折廻櫓の特別公開と備前門

折廻櫓

折廻櫓(おれまわりやぐら)は、東西16.4m、南北5.7m、高さ9mの大きさがある。備前丸にあった本丸御殿の東側の入口に設けられた櫓で、西側は大天守の石垣に面している(写真左手)。内部は1階が2室で、南側以外の三方は石垣に囲まれており、その分2階に比べると床面積は68平方メートルと狭い。2階は約110平方メートルあり、3室に仕切られている。また、屋根には鯱瓦が揚げられていない。城内にもいくつかの櫓や門で鯱瓦が無いケースがあり、一説には秀吉時代からの建物とする説も。
折廻櫓は、普段は内部非公開。まれに特別公開されることがある。筆者の記憶では、2007年、2009年、2018年、2023年と公開された。

櫓といえば、室内は殺風景に板で仕切られた風景を想像するが、折廻櫓は2階に書院造の部屋もある。襖(ふすま)や障子も使用され、おまけに炉や竿縁天井も設置されている。天井板は室内の温度変化を抑える効果があり、いわば快適に過ごすために設置されるので、城で天井板があれば、臨戦時でなくとも人が常駐するスペースであることを意味している。室内の長押(なげし)には、きらびやかな金属製の釘隠しなどの装飾が復元されており、ここで暮らそうかと思うほど、御殿らしさというか、住居らしさがある。ここでは特別公開時の写真を通して、その見どころを紹介したい。

折廻櫓2階の西室(特別公開)

折廻櫓2階西室には、竿縁天井があり、茶の湯のものと思われる炉が設置されている。左側の物置の内部に傾斜がかかっているのは、大天守石垣の傾斜。右の窓の格子は、姫路城ではめずらしい特殊なもので(後述)、窓下に見られる鉄砲狭間は、2階から、との一門虎口を見下ろすため、すべて下向きの角度で設置されているのが分かる。

2007年11月公開時
1階の囲炉裏
2018年2月公開時
折廻櫓・2階西室の炉(2018年)
2階西室の炉
折廻櫓・2階西室の炉(2018年)
天守台に沿って傾斜している壁
折廻櫓2階・天守台に沿う壁

折廻櫓2階の東室は、書院造(特別公開)

よく見ると、天井のすぐ下に、横に細長く白漆喰が塗られた部分があるが、これは「蟻壁(ありかべ)」といって、部屋の間延びした感じを引き締める書院造のデザイン手法。姫路城大天守最上階乾小天守最上階、東小天守最上階、西の丸の千姫化粧櫓でも見られる。また、窓には鉄格子が入っており、鉄砲狭間は先の西室と同様にすべて下向きの角度で設置されているのが分かる。

2007年11月公開時
折廻櫓特別公開

東室を別角度から
折廻櫓特別公開

2018年2月公開時
床板保護のためかジュータンがひかれ、ちょっとカラフル(涙)。せめて濃い茶色にするか、イメージを崩さないグレーを選んで欲しいと思った。
折廻櫓2階東室・書院造(2018年)

釘隠等の装飾類

当時は、六葉の菱形の釘隠しが使用されていたらしく、今見る装飾は、金メッキを施した金具で復元されたもの。
金属製の釘隠し等の装飾

折廻櫓北側の虎口(特別公開)

折廻櫓は、北側・西側は壁として機能し、東側は備前門に繋がっている。住居の色合いが濃いとはいえ、防衛上、重要な櫓であることは間違いなく、南の「りの門」、北の「ちの門」からの侵入者をさらに防ぐ意味あいと、すぐ北側の虎口(「との一門」「への門」に囲まれたエリア)と、本丸御殿のある備前丸との仕切りという、防衛上、重要なポジションに位置している。それでは詳しく見てみよう。

北側の曲輪(虎口)
「との一門(上写真・左手)」は搦手道で、ここから攻められた場合、敵は「ちの門(写真右手)」が視野に入らず、心理的に登ろうと写真手前の階段を上がり「への門」へ行こうとする。折廻櫓は、これを背後から襲うも良し、「ちの門」へ押し寄せた敵を狙うも良しとなっている。

要するに、敵はこの虎口から先に進むには「ちの門」か「への門」を突破するしかない。「との一門(写真左手)」の大きさと比べると、2つの門は間口がかなり狭いので、この虎口で敵が思いっきり渋滞し、「折廻櫓」、「への門」の続き土塀、「大天守」の東面の三方から散々に討たれることになる。

ちなみに、折廻櫓の北面(写真右手)を見ると1階建の櫓に見えるが、見えているのは2階部分で、石垣の内側に1階が存在する(折廻櫓の1階は、南側以外の三方が石垣に囲まれている)。

櫛目格子窓(北面)

折廻櫓2階北面の「櫛目格子窓(くしめこうしまど)」という窓(下写真)。この格子窓は、外からは内部はよく見えないが、内側からは外がよく見える監視目的の格子窓となっている。

櫛目格子窓(外側)

櫛目格子窓を内側から

櫛目格子窓(内側)

無数の隠し狭間(北面・東面)

狭間は2階の北側に14、東側に10設置されている。「櫛目格子窓」のまわりには、隠し狭間が多数見られることから、監視のみならず、攻撃面もかなり意識していたのだろう。この鉄砲狭間は人の背丈くらいの高さにあるため(折廻櫓2階の床面すれすれに狭間がある)、接近した敵も倒せるよう、内側から見れば、ずいぶん下向きの角度で狭間が設置されている。攻め手にとっては、ちょっと面倒な存在かもしれない。そのほか、この北面(下写真)は、漆喰で塗り固められているが、南面(本ページ冒頭の写真)は、敵に面していない内側のため、柱や窓は漆喰が塗られていない。写真右手の櫛目格子窓は、先に紹介した炉のある西室だ。
隠し狭間

折廻櫓1階・東室(特別公開)

1階は、東西2室からなり、南側以外の三方は、石垣に囲まれている。写真正面と左手の壁は石垣面で、東室には写真のように、釣棚があるが、西室には釣棚は無い。備前門に付随する武器が収められていたものと推測されている。
折廻櫓・1階東室

備前門(びぜんもん)

折廻櫓に続く備前門は、門扉は鉄板張り、2階部分には、鉄格子窓や隠し狭間が設けられている。ここで見落としやすいのが、槍落(やりおとし)で、普段は蓋が閉まっているので判別しにくいが、門をくぐるときに見上げるとその蓋がある。写真(下)はその内部だ。

備前門2階内部(特別公開)

備前門の2階部分は、折廻櫓の続き櫓となっていて、折廻櫓から入る。ちょうど写真(下)床の真下に備前門がある。床面左手に注目してほしい。槍落の蓋が設置されている。臨戦時はここを空けて、門をくぐる敵兵を討つ。こういった櫓門の槍落は、大坂城大手口多聞櫓など、現存の城門で見られることが多い。また、外側に向いた左手の窓は、鉄格子で戸板の外面は漆喰で塗り固められている。右手の窓は、備前丸の内側に向いているため簡素に木格子となっている。
備前門・2階内部

槍落(やりおとし)の蓋

備前門2階の槍落とし

備前門と石棺(一般公開)

門右手には、縦石として石棺が配置され、門前の狭い空間の中で、デザイン的にすっきりとした印象を与える。縦石(たていし)は、人目につきやすい石垣の出隅部など見栄えを良くするために縦長に積んだ石のことで、城主の権力も誇示する。写真右手の建物は井郭櫓で監視目的の与力窓がある。また、写真左手の石垣は、備前丸の石垣で、備前門へ押し寄せる敵への横矢掛り(側面攻撃)として機能しただろう。
備前門と石棺
さてその左手の石垣(備前丸石垣)に、もうひとつ石棺が使われている(下写真)。このほか城内では多数の石棺が使われている。この付近でいうと、備前丸の石垣にこれとは別に、石棺が使われていた箇所があったが、新しい石材に置き換えられ、古い石棺は「リの二渡櫓」の軒下に屋外展示されている。
備前門の門の石棺

折廻櫓、備前門ともに、昭和6年(1931)12月に、重要文化財指定を受けている。実はよく分からないことがあって、筆者の間違いかもしれないが、昭和の大修理の現状工事図面を見ると、備前門の2階部分は、どうやら存在していないようにも見える。復元図面の方を見ると、今見られる2階部分が記載されており、これは昭和の大修理とのきに復元されたのだろうか、どうにも定かではない。

その後、姫路城英語ボランティアガイドの三左衛門さんに備前門の経緯をご教示いただいた。明治に本丸御殿が焼けた時、備前門も焼けたらしい。当時、その修理が簡易的なものだったらしく、2階部分は作られなかったそうだ。昭和の大修理の際、復元された。

なお、折廻櫓・備前門の写真は、こちらでも公開しているのでご参照を(姫路城の城門・櫓)。

(文・写真=岡 泰行)

参考文献:
『姫路市史 第14巻 別編姫路城』(姫路市)
『日本名城集成 姫路城』(小学館)

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