戦国期の大野地方は、一乗谷朝倉氏館の背後の防御上重要な地域で、一乗谷の逃げの城ともいうべき戌山城がある。朝倉義景は、信長に対抗するため近江へ出陣し、天正元年(1573)の戦いで大敗、一乗谷に撤退し最終的にこの地の六坊賢松寺に逃れ、従兄弟の朝倉景鏡にそむかれて自害している。六坊賢松寺の場所は定かになっておらず、今の墓は、寛永12年(1800)に、旧家臣の子孫によって、曹源寺境内に建立され文政5年(1822)に、現在の地に移設されたものだ。五輪塔のそばには義景の家族・家臣の墓石も並んでいる。
しまなみ海道に浮かぶ能島城。能島村上氏(村上水軍)の拠点だった城跡で、島全体が城だった。周囲の海は潮流が激しく、流れを知らなければ近寄ることもできない。岸には武者走りが掘られ、岩礁ピットと呼ばれる柱穴が残る。
大阪城は、大手門、千貫櫓、火硝蔵など13棟の重要文化財と壮大な石垣を有する。秀吉が築いた豊臣大坂城を包み込むように…
北条氏の本拠、巨大要塞、小田原城。相模国の西端にあり、南は相模湾、西は箱根連山を隔てて駿河国と接している。海と山を天然の…