越木岩刻印群

西宮市甑岩町に「越木岩神社(こしきいわじんじゃ)」がある。先の「甲山刻印群」から南西に約1.5kmの位置で「北山刻印群(北山公園)」のすぐ南に位置する。

越木岩神社の創建は600年~700年頃と推定され、付近一帯の山手の産土神だ。その境内に矢穴石が残されている。この辺りは徳川大坂城の石丁場の跡で、備中松山藩の池田長幸、出雲松江藩の堀尾忠晴が担当した。周囲は宅地開発されているが神社を含む一帯がそうだったのだろう。石に関係する「角石町」「石刎町」という町名が残っている(越木岩神社Webサイト)。境内地に残る矢穴や刻印は、神社がゆえに石が現代に残されてきた。

御神体は、高さ約12m周囲約40mの霊岩『甑岩(こしきいわ)』が鎮座しており、その岩に刻印と矢穴列痕が残るほか、境内地の至るところに矢穴石がある。

越木岩神社の案内板にはこうある。

「霊岩甑岩を大坂城築城(1583年?)のために切り出そうと豊臣秀吉が石工達に命じて割らせていたところ、今にも割れんとする岩の間より鶏鳴し真白な煙が立ちのぼり、その霊気に石工達は岩もろとも転げ落ち倒れ臥し、如何にしても甑岩は運び出せなかったと言い伝えられています」

現地には、徳川大坂城の築城期の採石を示す矢穴のタイプや刻印が確認できるので、時代が異なるが、豊臣期、徳川期ともに御神体からの採石ができなかったのかもしれない。実際に訪れると、御神体やその他の石を見ても作業途中で採石を止めているようにも見えるので、この話が見る風景に重なってしまうところが面白いところだ。

越木岩神社の刻印石
入口にある刻印石。整形された石で、右手の残石には池田長幸(備中松山城主)の刻印があり、左側の立ててある残石には、鍋島勝茂(肥前佐賀城主)の刻印が見られる。

越木岩神社御神体の霊岩『甑岩(こしきいわ)』
御神体の霊岩『甑岩(こしきいわ)』。高さ約12m周囲約40mと言われている。

越木岩神社の御神体『甑岩』に残る刻印
越木岩神社の御神体『甑岩』に残る刻印
御神体の霊岩『甑岩(こしきいわ)』には、東側に池田家の刻印が2つ見られる。

越木岩神社の御神体『甑岩』に残る矢穴列痕
『甑岩』の北面には、一部を割った跡(矢穴列痕)が見られる。

越木岩神社の境内にある矢穴石
越木岩神社の境内にある矢穴石
境内にある矢穴石。

越木岩神社の境内にある矢穴列痕がある石
矢穴列痕が残る調整石は境内各所で散見された。

越木岩神社の貴船社(雨乞社)
越木岩神社の貴船社(雨乞社)。

越木岩神社の貴船社背後の調整石
貴船社はその囲いや背後に矢穴列痕が見られる。

越木岩神社の貴船社背後の十字の矢穴列
さらに背後の巨岩には、十字に彫られた矢穴列がある。

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